大平中目梨ノ木平山は、白石市の西側の山の中です、今回の宮城県取材の初日に東側(白石市街側)からアプローチしましたが、ルートが見つからなかったため、最終日の帰り道に西側(小原温泉側)から入りました
国道113号線の小原温泉トンネルの南詰から約300mを左(東)へ、すぐに左の急坂を登ります
赤坂の集落に入って丁字路を左へここから沢沿いの林道になり約700mで砂利道に変わります
道成りにゴロゴロ石の林道をゆっくり進むと約1.6kmで四本の道路が交わる

鉢森峠に出ました、南東側への道路を進みます

尾根道の上空には送電線が通っています

約400mで道路脇に「逆さケヤキ」の案内板です
ここに
車を止めさせて頂いて

南へ下る林道を進みました

最初は緩やかですが、徐々に急になります

地図アプリで見ると、この下あたりなのですが~、下側の林道が見えました

ヤマナシの木保護の立札が立ちます

更に下って行きます

林道分岐です、左へ進みます

林道脇にケヤキの木が見られます

林道のスギ木立の間にケヤキが見えて来ました


北東側の折口です



降り口から太い幹を見ました


山道を降りて見ました



北西側から

西側に降りて来ました、角度40度ほどの急斜面にケヤキが立って居るのが分かります


山道が無くなってしまいましたので、草むらを進みようやく南側に降りる事が出来ました

説明版です
天然記念物 嘉右衛門山の逆さケヤキ
県指定 平成17年5月10日
所在地 白石市大平中目字梨ノ木平山
樹種 ケヤキ
学名 Zeikova serrata(Thunb.)Makino
嘉右衛門山の逆さケヤキが立っているのこの場所は、通称西山と呼ばれる一帯の山腹で、かつて小原方面に通ずる旧山道が通っていた。
急な斜面に生育しているため、根元の南側は1mの根上がりとなっており、地上約1mのところで不明瞭な二幹に分れ、直立しているもの、斜上しているもの、また、横に伸びて枝の端が地上に接するほど垂れているものなどがある。
中央に立っている最大の幹周りは、分岐部から1.3mのところで2.25mで、同様に2mを越える枝が数本ある。
その昔、源義家が逆さに立てたケヤキの杖が活着したとの言い伝えから、嘉右衛門山の逆さケヤキと呼ばれている。
大きな露出根のそばには、安政年間に建立された「嘉右衛門山の神」の小祠がある。
嘉右衛門山の逆さケヤキの概要
樹高 22m、 幹まわり 8m(地上0.35mで計測)
枝張り 東西 44m、 南北 45m 推定樹齢 350年
参考文献 「白石市の文化財」「白石市文化財調査報告書第25集 巨木・名木調査報告書」「白石ガイドブック」
平成20年11月 白石市

もう一枚は由来記です
逆さケヤキの由来
八幡太郎義家が前九年の役(1051)で、陸奥一帯を支配していた豪族安部一族と戦うため親と共にこの中の目山中に陣を張ったとき、義家が持っていた杖を地面に刺したのが根付いて「逆さケヤキ」になったと伝えられている。
しかし、このケヤキは専門家によると、樹齢は350年ぐらいといわれます。
また義家にまつわる伝説はこの地に沢山残されています。この木の北側の山腹には、義家の連れていた犬が狼と戦ったとき岩にふんばってつけた足跡のある「闘犬石」や、さらにその上方には恐怖のあまり石になってしまった「狼石」などがある。
この木の根元の東側のホコラは「嘉右衛門山の神」で、近年まで木造であったが朽ち果てそうになったので、現在のものに嘉右衛門の子孫が納め変えた、当初は狼の牙もホコラの中にまつられていたという。
嘉右衛門は今ならさしずめ便利屋のような仕事をしていた商人であったと思われる。
ある日のどに骨をひっかけた狼を助け、その狼に守られたので山賊や狼からの害が無く、商売は大繁盛したという。(日本昔ばなしでも紹介された有名な話である。)
この木の所有者 中の目部落牧野共同組合

南側から



大きな幹を見上げました、三つの祠が確認できます


南東側から

太い幹を見ました


東側斜面から、やはり急な斜面です

東側に離れて見ました

ケヤキの西側の斜面を登るのには気が引けたので、南東側下への林道を少し進んで、降り口へ戻る林道を登返しました
車を止めた尾根筋の林道から、逆さケヤキまでは約1kmでした
帰りは、尾根筋の林道を南へ出ました

約800mで「沼田入峠」です、取材初日に分からなかったルートなので、左(東)へ降りてみる事にしました
小原温泉側から鉢森峠への林道より、はるかに多くの車が通っているようですが、国土地理院地図でも黒の実線にしかなっていないので、決してお勧め出来ない道です
下り切ると、取材初日に迷ったところ、松野コンクリート工業(株)と製品置き場の間に下って来ました

では、次へ行きましょう

国道113号線の小原温泉トンネルの南詰から約300mを左(東)へ、すぐに左の急坂を登ります
赤坂の集落に入って丁字路を左へここから沢沿いの林道になり約700mで砂利道に変わります
道成りにゴロゴロ石の林道をゆっくり進むと約1.6kmで四本の道路が交わる

鉢森峠に出ました、南東側への道路を進みます


尾根道の上空には送電線が通っています


約400mで道路脇に「逆さケヤキ」の案内板です

ここに


南へ下る林道を進みました


最初は緩やかですが、徐々に急になります


地図アプリで見ると、この下あたりなのですが~、下側の林道が見えました


ヤマナシの木保護の立札が立ちます


更に下って行きます


林道分岐です、左へ進みます


林道脇にケヤキの木が見られます


林道のスギ木立の間にケヤキが見えて来ました



北東側の折口です




降り口から太い幹を見ました



山道を降りて見ました




北西側から


西側に降りて来ました、角度40度ほどの急斜面にケヤキが立って居るのが分かります



山道が無くなってしまいましたので、草むらを進みようやく南側に降りる事が出来ました


説明版です
天然記念物 嘉右衛門山の逆さケヤキ
県指定 平成17年5月10日
所在地 白石市大平中目字梨ノ木平山
樹種 ケヤキ
学名 Zeikova serrata(Thunb.)Makino
嘉右衛門山の逆さケヤキが立っているのこの場所は、通称西山と呼ばれる一帯の山腹で、かつて小原方面に通ずる旧山道が通っていた。
急な斜面に生育しているため、根元の南側は1mの根上がりとなっており、地上約1mのところで不明瞭な二幹に分れ、直立しているもの、斜上しているもの、また、横に伸びて枝の端が地上に接するほど垂れているものなどがある。
中央に立っている最大の幹周りは、分岐部から1.3mのところで2.25mで、同様に2mを越える枝が数本ある。
その昔、源義家が逆さに立てたケヤキの杖が活着したとの言い伝えから、嘉右衛門山の逆さケヤキと呼ばれている。
大きな露出根のそばには、安政年間に建立された「嘉右衛門山の神」の小祠がある。
嘉右衛門山の逆さケヤキの概要
樹高 22m、 幹まわり 8m(地上0.35mで計測)
枝張り 東西 44m、 南北 45m 推定樹齢 350年
参考文献 「白石市の文化財」「白石市文化財調査報告書第25集 巨木・名木調査報告書」「白石ガイドブック」
平成20年11月 白石市

もう一枚は由来記です
逆さケヤキの由来
八幡太郎義家が前九年の役(1051)で、陸奥一帯を支配していた豪族安部一族と戦うため親と共にこの中の目山中に陣を張ったとき、義家が持っていた杖を地面に刺したのが根付いて「逆さケヤキ」になったと伝えられている。
しかし、このケヤキは専門家によると、樹齢は350年ぐらいといわれます。
また義家にまつわる伝説はこの地に沢山残されています。この木の北側の山腹には、義家の連れていた犬が狼と戦ったとき岩にふんばってつけた足跡のある「闘犬石」や、さらにその上方には恐怖のあまり石になってしまった「狼石」などがある。
この木の根元の東側のホコラは「嘉右衛門山の神」で、近年まで木造であったが朽ち果てそうになったので、現在のものに嘉右衛門の子孫が納め変えた、当初は狼の牙もホコラの中にまつられていたという。
嘉右衛門は今ならさしずめ便利屋のような仕事をしていた商人であったと思われる。
ある日のどに骨をひっかけた狼を助け、その狼に守られたので山賊や狼からの害が無く、商売は大繁盛したという。(日本昔ばなしでも紹介された有名な話である。)
この木の所有者 中の目部落牧野共同組合


南側から




大きな幹を見上げました、三つの祠が確認できます



南東側から


太い幹を見ました



東側斜面から、やはり急な斜面です


東側に離れて見ました


ケヤキの西側の斜面を登るのには気が引けたので、南東側下への林道を少し進んで、降り口へ戻る林道を登返しました

車を止めた尾根筋の林道から、逆さケヤキまでは約1kmでした

帰りは、尾根筋の林道を南へ出ました

約800mで「沼田入峠」です、取材初日に分からなかったルートなので、左(東)へ降りてみる事にしました

小原温泉側から鉢森峠への林道より、はるかに多くの車が通っているようですが、国土地理院地図でも黒の実線にしかなっていないので、決してお勧め出来ない道です

下り切ると、取材初日に迷ったところ、松野コンクリート工業(株)と製品置き場の間に下って来ました


では、次へ行きましょう


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