ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県佐渡市、市野沢「実相寺の三光杉(千年杉)」(市指定)です!!

2022-07-09 19:17:21 | 巨樹・大木
 市野沢地区は、佐渡市役所の西約5kmのところ

 県道306号線を南西へ、墓石の吉運堂と子供服の西松屋の間を北へ入ると

 実相寺の参道入り口前に出ます


日蓮宗 御松山 実相寺です

 参道を進んで山門前の駐車場に車を止めさせて頂きました

山門の仁王門です

説明版です
  佐渡市指定記念物(天然記念物)
   三光杉 (平成16年3月1日指定)
 実相寺境内に育成するこの杉は、樹高30m、根元幹囲約11.9m、目通り幹囲訳6.47mに達する巨木で、枝張りは南北約22m、東西約19.8mに及ぶ。「三光」と呼ばれるのは、この杉に三光鳥(サンコウチョウ=鳴き声が「月・日・星」と聴こえる夏鳥)がよく飛来したことに由来しており、樹齢がおよそ1000年と伝わることから「千年杉」とも呼ばれている。
 実相寺は、寺伝によると文永8年(1271)に佐渡へ流された日蓮聖人が同9年(1272)に開基したと伝わる日蓮宗の寺院である。
「一の谷」(いちのさわ)と呼ばれたこの地に移り住んだ日蓮は、晴れた日には必ずこの杉がある丘へ行き、朝日を拝み念仏を唱えたといい、日蓮に赦免の吉兆をもたらした鳥が止まった木もこの杉であったと伝えられている。
  佐渡市指定有形文化財(彫刻)
   木造 仁王像(平成16年3月1日指定)
 この両像はいずれも木製の彩色像で、阿形が像高1.97m、吽形が像高1.93mとなっており、いずれも中国風の甲冑を身に着け、力強い風格を漂わせている。また、像背面の墨書銘により、製作者は京都七条仏所の大仏師で法橋(ほっきょう)位を持つ康慶(こうけい)であることがわかる。康慶は鎌倉時代初期に活躍した仏師で、彫刻界を支配した運慶の流れを汲む名門の出身である。
 この仏像は「子安仁王尊」として古くから地元の人々に親しまれ、今も子供の無病息災を祈願したワラジが掛けられるなど、長きにわたり信仰を集めている。
  佐渡市指定有形文化財(絵画)
   普門品註画(平成16年3月1日指定)
 「普門品註画」とは、法華経「観世音菩薩普門品(妙法蓮華経)」の第八之巻の経文の内容を文字と絵で説明したものである。
 この註画は、絵師の狩野胖幽(はんゆう)により、文は楷書、絵は人物全員が繊細な筆法で描かれている。胖幽は延宝2年(1674)に佐渡へ流されて以来数多くの作品を残しているが、註画形式の作画は他に例がない。
 また、箱書きには「奉納普門品註画九幅 狩野胖幽守則筆」「為追善菩提」「施主 孝子狩野一角守美 表具箱共納之」「元文四巳未歳二月彼岸時正之日」などが記されている。文中の「一角」とは、胖幽の四男のことであり、父胖幽と母の追善のため、元文4年(1739)の彼岸に息子の一角が実相寺に納めたとされる。
    平成31年3月
    佐渡市教育委員会



説明版です
  御松山実相寺の縁起
 文永9年4月7日一の谷に謹居の身となった日蓮証人は、毎日朝この丘に登り、之松の根元より数歩の沢辺に湧出する清水を見付けて喜ばれ、老松に袈裟を掛け、清水で手を清め、口を漱ぎ昇天する朝日に向けて妙法を唱え、天下泰平四海帰妙の祈りを捧げ、遠く郷土安房の父母を追慕し親恩の深きを感謝され、生きて再び帰洛する事を、旭日に祈念なされた。
 「袈裟掛けの松」「御手清水」残っている、また樹齢千余年の「三光の杉」が町の文化財に指定されており、昭和56年には日蓮聖人思親銅像建立されました。袈裟掛けの松に因みこの寺を通称「お松」といいます。合掌
  昭和63年建之


苔に覆われた参道を進みます

杉並木の参道ですが、一般的には西側の車道を本堂前まで入れるため参道を歩く人はいないようです
石段下から境内の中門と目的の三光杉が見えました

石段を上がってきました

門を潜ると正面に本堂です

右手に三光杉です

西側から、目通り幹囲6.8mの巨木で、単幹の杉では佐渡最大です

天然記念物標柱です

説明版です
   千年杉(天然記念物)
 文永10年7月日蓮上人この大杉と袈裟掛け松の間に停ち梵天、帝釈、日月、四天に帰倉を念誦されるや白頭のカラス飛来す。
   燕の丹太子「山からす頭も白くなりにけり 我帰るべき時や来ぬらん」の故事にも等しく、翌、文永11年3月8日ご赦免状佐渡国に到達、同14日御出船され四ヶ年振りに御帰倉なされ給う。


北側から

鐘楼です

本堂右手には祖師堂です

さらに東側の建物です

境内東端には

日蓮の衣を掛けた松は切られてしまったようです(切り口は新しいものでした)

御堂です

三光杉を東側から

祖師堂前のアカマツです

西側から

日蓮聖人像です

境内西側の松の大木です

では、次へ行きましょう
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新潟県佐渡市、平清水「毘沙門天の百足杉」(市指定)です!!

2022-07-09 06:45:42 | 巨樹・大木
 国中平野は、佐渡の人口の約8割が集中した稲作の中心地です

 大佐渡山地と小佐渡山地に挟まれた地溝帯で、南北約8km、東西約12kmです

 北東の加茂湖側が高く、大佐渡山地と小佐渡山地から流れて来た川の多くは

 国府川に合流して西の真野湾に流れています、真野湾岸は砂丘が形成されています

 では、

 平清水地区は、佐渡市役所の北西約5kmのところ

 県道306号線を西へ、黒木御所入り口信号を右(北)へまだ県道306号市野沢中興線です

 道なりに進んで、北側の台地の上で平清水会館前を左(西)へまだ県道306号線です

 道なりに進むと藤津川の橋を渡り右(北)の道路へ、間もなく多門寺の案内板が有ります

 右(東)へ入って多門寺駐車場に入りました

 多門寺です

本堂です

山(鐘楼)門です

 山門前を東へ下ります

坂の下には御堂です

 参道入り口です


 社號標が並びます

 百足清水です

 弁財天です

 説明版です
   百足清水
  所在地 平清水 毘沙門堂 坂下
 江戸時代の「順村記」に毘沙門堂前に百足杉あり、杉の脇に池あり、その流れを百足水という、と記されている。
 この水のかかる田畑の旱魃を救うこと諸人の知る所である。
 百日照るとも水出ずと言うことなく、又百日雨降るとも増水して濁ると言う事なし。
 是尊像の地、毘沙門天の御加護によるものである。
    平泉文化財保護会


 参道右手に目的の百足杉です

 西側から


 天然記念物標柱です

 説明版です
   百足杉
  所在地 平清水 毘沙門堂 坂
 承久の頃、順徳帝が黒木御所から千種の里へ行啓の途中、藤津川で百足の波紋が立っているのをご覧になられ、「この川の上流に毘沙門天が鎮座されているのか」とお共の者にお尋ねになられた。
 共奉員は謹んで状況を申し上げると、帝は毘沙門堂にお立ち寄りになられる事になった。
 当時村々は大干魃で百姓達が苦しんでいたので帝は親しく毘沙門天に雨乞いの祈祷が行われた。
 この時、杉を植えてこれに百足杉と名づけられたのである。
   推定樹齢1000年
   平泉文化財保存会



 参道石段です

 石段下から見ました、目通り幹囲6.7mの巨木です

 石段中段から


 水盤です

 登りきると毘沙門堂拝殿です


 本殿です

 説明版です
   毘沙門天の由来
 毘沙門天は商売繁盛の神様だといわれる、別名、多聞天とも呼ばれ、四天王の一つである。
 その昔(587年)聖徳太子が物部守屋を討伐に向った時、四天王の像を戴き出陣し、大勝を得たので以来四天王を信仰することが深かったと伝えられる。られる。
 その後太子は、柳の霊木で毘沙門の像を二体彫刻し、元木の像は当毘沙門堂に納められ、末木の像は京都の鞍馬寺に安置された。
 現在、毘沙門堂の本尊は、延暦16年(797年)9月3日天台の儀真僧都という坊さんが佐渡へ渡り、奉安したものといわれている。
 以前、毘沙門天は平清水の鎮守であった、このことから平清水区民は毘沙門天の氏子として、柳の木の下駄ははかなかったという。
 縁日は2月と9月の3日である。特に2月の縁日は、2日の晩からおこもりがあり、3日の早朝にかけて近郷近在から老若男女が集まり、商売繁盛、家内安全を祈願し賑っている。



 東側には白山神社です

 説明版です

狛犬です

更に東側には、太子堂です

では、次へ行きましょう
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