浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

夢二と関わった人びと

2019-06-25 21:07:34 | その他
 夢二と関わった人びとについて話さなければならないので、いろいろな本を読んでいる。
 そのなかでゾルゲ事件の渦中で死亡した宮城与徳について調べている。今読んでいる本は、野本一平『宮城与徳』(沖縄タイムス社)である。
 夢二はアメリカ滞在中、画家のひとりでもあり、社会主義的な思考をもっていた宮城と会っているからだ。

 宮城は沖縄出身である。1919年、16歳のとき、移民としてアメリカに行っていた父に呼ばれて訪米。美術学校に通ったりしながら生活していた。在米日本人との交流の中、政治・社会的な意識をもった「黎明会」などのメンバーとして活動していた。そして1931年にはアメリカ共産党に入党する。そして1933年、ロイこと野坂参三らが宮城に日本へ行くことを指示する。1933年秋のことだ。

 この宮城の日本への渡航を指示したことを、野坂はずっと隠し続けた。野坂は自伝である『風雪の歩み』で、訪米したのは1934年3月だとしているが、いろいろな資料から、野坂はすでに1933年7月には在米していたことが判明している。野坂は、ゾルゲ事件には関わっていなかったとしたかったようだ。

 周知のように、野坂は1992年、日本共産党を除名されている。

 ソ連において、野坂は同志であった山本懸蔵らを売り渡したということが知られているが、それだけではなく、私は、彼は日本の国家権力のスパイでもあったと思っている。また戦後の日本共産党を「指導」してきた宮本顕治も、である。

 凡庸な人間は、地位・名誉・財産を求める。そのためには、悪事も働くのだ。日本共産党という反体制的な政党であっても、内部は地位や名誉を求める者たちが蠢いている。野坂も、宮本も、そういう人物であったと思う。
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【本】山崎洋子『熱月』(講談社)

2019-06-20 21:00:40 | 
 1994年に発売された本。竹久夢二に関わる本をひたすら読んでいるが、その一冊。辻潤と伊藤野枝との間に生まれた辻一(まこと)の妻イヴォンヌの父は武林無想庵、母親は中平文子である。なぜこれが夢二と関係するかというと、夢二の次男・不二彦は辻まことの友人であり、まこととイヴォンヌの間に生まれた野生(のぶ)が不二彦夫婦の養女になったからである。

 伊藤野枝は大杉栄と一緒になった結果、まことは父親に育てられた。とはいっても父はダダイストというか放浪生活をこととし、通常の父親のように子どもを養育するということそのものに関心のない人で、したがって妹夫婦に預けられたりして成長した。一方イヴォンヌの父親・武林無想庵も、哲学者であり翻訳家でもあったが、生活能力はない男であった。
 フランスに行くという武林についていきたいために文子は武林と結婚(文子は、それ以前に藤堂伸二と結婚し子どもが三人いたが、婚家をでてその後代議士の息子である林田浩平と結婚しているから、無想庵とは三度目ということになる)、武林との間に生まれたのがイヴォンヌであった。

本書は、その文子の伝記である。といっても、無想庵と別れて宮田という男と4回目の結婚をする時までである。その間、経済能力のない無想庵にかわって、カネを稼ぐために文子はきわめて行動的で、エネルギッシュに生きる。金を持っている男と関係を持ちながら、カネを貢がせ、また自分自身の欲望を満足させる。その凄まじい生き方には、感服する。

 カネを得るため、欲望を満足させるため、名誉を獲得するためには、とにかく何でもする。すごい女性である。

 読んでいて、私にはそういう上昇志向みたいなものはないなあと思ってしまう。

 476頁という大部な本だが、厭きさせない。夢二のところからお葉を追い出した山田順子よりももっとすごい女性であった。
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素粒子

2019-05-28 21:08:44 | メディア
 『朝日新聞』の今日の「素粒子」。

すべて西暦で。皇室と米国の関係を語る「お言葉」に元号なし。明快で新鮮だった。
   ×  ×
 「爆買いするF35を載せる空母です」。護衛艦「かが」で首相はそう説明したかな。


 日本にだけ通じる元号は、もう衰退させなければならぬ。竹久夢二は、元号をつかっていない。

 安倍政権は、国民の税金をアメリカに差し出す売国奴だ。

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【本】後藤正治『天人 深代惇郎と新聞の時代』(講談社文庫)

2019-05-19 22:43:10 | 
 電車に乗る時には、必ず新書か文庫を持参する。しかし、電車の揺れはなぜか眠りを誘う。本を開いても、いつのまにか目が閉じてしまう。しかしこの本の場合、私の眼は、眠気を吹き飛ばしながら活字を追い続けた。後藤の筆録と、深代惇郎という「天声人語」を書いていた人間の魅力、この二つが私を眠らせなかった。
それほどの内容をもつ。

 内容は多彩だ。もちろん深代が中心ではあるのだが、その周辺に配された人物も魅力溢れる者たちである。「新聞記者が好きです好きでたまらない」という共通意識がありながら、その現れ方はまったく個性的で、その個性と個性との接触が、この本の面白さでもある。本書に紹介されている記者たちに、今どきの記者に見られるヨコ並びの思考はない。
 したがって本書は、新聞記者論でもあり、同時にジャーナリズム論でもある。

 そして深代が朝日新聞を代表する文の書き手であるが故に、文章論にもなっている。深代のような文を書くために必要なことは、「人に会うこと、本を読むこと、深く考察すること」であり、またひとり旅も付け加えられる。

 この本を読んでいて、いま私が描こうとしている竹久夢二と深代とがつながるような気がしている。それは寂しい人であったということだ。本を読んでいる時、頭の中では、その人のイメージを思い浮かべる。深代の場合は、夜の街をコートを着てひとり歩いている、その背後から冷たい風がついて回る、というものだ。夢二も、同じように、絵かきの道具を持ってひとり静かに歩む姿だ。いろいろな交友関係はあったとしても、心はいつもひとり。そしてふたりとも余分なことをしゃべらない、どちらかというと寡黙な人だったようだ。

 昨日昼頃届けられた本であるが、一気に読んだ。約500頁の本である。読まなければならない竹久夢二関連の本は、この本に押しのけられてしまった。
 
 
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祝意の強制

2019-05-02 07:35:33 | メディア
 天皇の代替わりと新元号に関する報道が、あまりに過激である。テレビを見ないからわが家は平静で居られるが、しかし『東京新聞』とて、祝意の強制に余念がない。『朝日新聞』(デジタル)には、「平成から令和へ」という様々な記事が掲載され、今日は「「ふわっとした国民統合」皇室にしたしみ、過去最高に」という表題の記事があった。

 このような記事はファッショ的だ。メディアは「国民統合」を煽り立て、それによりみずから「過去最高に」をつくりだしているのだ。

 私は、自由がない皇族に関して可哀想にという憐愍の気持ちは持つが、他にはなんの感情をもたない。明仁夫妻は人間的には評価できると思うが、それだけだ。天皇制という制度については、批判的である。民主主義に反するからだし、私が生きて行く上でまったく不要な制度だからだ。

 私のようにさめた者たちにも、メディアは「祝意の強制」をしているように思える。

 また、元号の変更によって時代が画されるわけでもない。世界に相手にされないアベの悪政は続いている。

 ちなみに、竹久夢二は、元号をいっさい使っていない。
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書簡

2019-04-16 22:04:40 | その他
 ここ数日、夢二の書簡集を読んでいる。たまき、彦乃、お葉をはじめ、夢二は手紙をよく出している。夢二が書いた手紙がすべて残っているはずもないが、手紙はなかなか情緒がある。

 たまき、彦乃、お葉は、夢二の奥さんや愛人だったひと。夢二は、素直に愛を認め、恋い焦がれる手紙をだす。

 他人との連絡は、電話やメールで済ますことが多くなっているが、私は絵はがきを多用している。今までに購入してきた絵はがきをつかうこともあるが、自分でつくったものもよく出す。わが家を飾る花々、菫、ネモフィラ、バラなどを撮影し、それをPhotoshopで加工してはがきに印刷する。

 62円はなかなか高いと思うが、メールではどうもあじけない。とりわけお礼を言わないといけないとき、メールでは失礼だと思う。だからはがきを出す。62円切手はたくさん買って用意している。

 夢二は、はがきも出すが、女性には書簡である。なかなかマメなんだ。

 1921年2月13日 お葉 宛の書簡の一部

 ほんたうにはやくよくなつておくれ。明日かにをおくつてあげるからそれをたべてげんきになつて、あつたときには いくらキスしてもつかれないやうになつておいで。

 今は、こういう恋文みたいなものを出すのだろうか。

 今日はよい天気で、温かい日であった。いろいろな仕事が立て込んできて、なかなかブログまで手がまわらない。明後日の話のテーマは、「あなたたちの言うとおりにはならない」である。浜松市の区の再編問題を話す。
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「夢二日記」より(1)

2019-04-05 21:12:54 | その他
 今、竹久夢二の日記を読んでいる。彼の絵も好きだが、彼の書いた韻文も散文も、なかなかいいものがある。

 これから少しずつ紹介していきたい。

 1910年

 3・22 「死」といふ言葉を言はずして死を描くことが芸術のゆく道、一生懸命にその形容詞と描写に力を入れねばならぬ。そこに芸術の技巧があるのだ。

 4・3 人の世の普通のことのうちから あるものをぬき出すところに天才の才能が要る、そこに新しい芸術が生まれるのだ。

 4・5 絵としても、文としても、言葉にしても、自己の感傷それ自身ではない、感傷をそのまま画くことは出来ない。それならばなぜ、作をするのか。人の心のうちに自分の影を映したいから。

 
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信州・富士見町

2019-04-03 21:56:38 | その他
 今日は、長野県の富士見町に車で行ってきた。竹久夢二が亡くなった富士見高原療養所の資料館見学のためであった。

 新東名から中部自動車横断道(すべては開通していないが)をつかって山梨に入り、中央自動車道に入り諏訪南ICで降りて、療養所のあったところに行った。今はJAの病院となっているが、そこに二部屋だけが資料館になっている。

 資料館のある富士見町にはまだ雪が残り、冷たい風が吹いていた。ここは、八ヶ岳と甲斐駒ヶ岳などの山に囲まれた高原である。夢二の時代とはかなり風景も変わってしまっているのだろうが、そうした山々の姿だけは変わらずに端然と佇んでいたのだろう。その光景をとにかく見てみようということで行ってきた。

 ここは竹久夢二だけではなく、堀辰雄も入院していた。若い頃堀辰雄の『菜穂子』、『風立ちぬ』を読み、サナトリウムということばをはじめて知った。その小説の印象としては、ギラギラと照りつける太陽ではなく、木々の間から射し込む淡い光で覆われていたような記憶がある。今でも、堀辰雄の文庫本は、書庫にある。

 これで夢二の生家、墓、亡くなったところの三箇所をめぐった。これからは彼の日記や書簡を読み続ける。
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【本】『竹久夢二詩画集』(岩波文庫)

2019-02-28 10:36:45 | 
 私の今年の研究テーマの一つは、竹久夢二だ。6月迄にまとめなければならないので読みはじめた。最初に読んだ本がこれ。

 夢二は、詩人である。抒情的な、心が動かされる詩が並ぶ。そのなかに、この詩があった。

 いざよいの晩、
 私は泣きながら生まれた。
 その時、みんなは笑った。

 死ぬ時には、
 私笑つてゐ
 たいとおもふ。

 そして、みんなを
 泣かせてやりたい。


 この世に誕生するとき、赤ん坊は泣き、周囲は喜びに包まれる。
 この世から去るとき、周囲は哀しみに包まれる。

 2月14日にこの世から去ったUさん、あなたは笑いましたか?
 みんな、泣きましたよ。
 
 Uさん、笑いながらこの世を去っていきましたか?
 そうでないと、私の哀しみはさらに増します。

 あの世の存在を信じたいと思うようになってきました。

 今年も、夕顔をいっぱい咲かせます。



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どう生きた?

2019-02-03 21:05:56 | その他
 近年は、歴史研究をほとんどしなくなった。某自治体の歴史編纂を昨年まで引き受けていたが、それは一九八〇年代以降であった。

 近年は、歴史的な人物がどういう生き方をし、どういう考えをしていたかに興味関心があり、それを勉強して話すということをしている。

 みずからが年老いるという自覚を持っているが故に、過去の時代に生きていた人の生き方にひかれるのだ。今年は竹久夢二と小林多喜二をとりあげる。

 ネットをみていたら、今日のNHKの日曜美術館は北川民次をとりあげたそうだ。北川は静岡県出身の画家である。メキシコに行き、そこで民衆と交流し、常に民衆の視点を失わなかった。この人もとりあげたいなあと思う。

 私に歴史的人物をとりあげて講演して欲しいと依頼してきたSさんは亡くなられたが、Sさんがリストアップしていたなかに与謝野晶子がいた。

 いつか与謝野晶子もやらないといけない。

 特定の人物をとりあげる場合、どうしても全集を読むことになる。ひたすら付箋をつけながら読んでいくのであるが、それだけでなく、その人が生きた時代をきちんとおさえることが必要である。歴史的な人物は、必ずその時代のなにものかと闘っているからだ。みずからが生きる時代に違和感をもつが故に、動き始めるのだ。
 一応私の頭の中には時代の動きが入ってはいるが、しかしそれもきちんとおさえなければならない。

 勉強することばかりである。今年の3月は、竹久夢二を訪ねる旅に出るつもりだ。私は、夢二の絵が好きなのである。
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山川菊栄の本

2017-06-14 08:16:49 | その他
 最近、森まゆみが『暗い時代の人々』(亜紀書房)を出した。それを購入して、少しずつ読み進めている。「暗い時代」に生きた人々、竹久夢二、山川菊栄、斎藤隆夫、山本宣治、九津見房子、古在由重、西村伊作らをとりあげて、その生の軌跡を、森なりに描いているものだ。一冊の本にこれだけの人を描くのだから、それぞれの生の全体像を描くことはできない。だからある意味で、つまみ食いで描いている。

 昨日は山川菊栄について読んでいたところ、森が『二十世紀をあゆむ』(大和書房)、『日本婦人運動小史』(大和書房)を引用していた。この本は買ってあったと思い書庫を探したところ、二冊ともあった。前者は読んであった。ところどころ赤線が引かれていた。といっても、1978年発売の本であるから、その内容は忘れてしまっていた。

 昨夜布団の中で『二十世紀をあゆむ』を読み始めたら、なかなか面白く、現代にも通用することが書かれている。秋に向けて、女性史をひもとかなければならないので、こうしたたぐいの本は、たくさん読まなければならない。

 その本で、こういう記述にであった。

大正一〇年頃から治安維持法が政府によって出されるという噂が出ました。当時一部の人々は、そのような法律が出てもかまわぬ。そうすればますます勇敢な人が残るからといっていました。しかし私は、人間というものは、弱い者で決してそんなものではない。ごく少数の例外は残るかも知れない。しかし一般には言論の水準も低下するし、人間の進歩をはばむので、逆境に堪える覚悟は必要ですが、そんな逆境を来させるほど力がよわくてはならない。今日でも、言論の自由と結社の自由は、絶対に失ってはならないということを、過去の経験にてらして強く感じます。(20)

 治安維持法より広範囲に取り締まることができる「共謀罪」が成立させられようとしているが、日本は山川が経験した時代をもう一度繰り返すのだろうか。

 歴史から学ぶことは多いが、今は学ぼうという人が多くはないようだ。

 今日私は、大逆事件について話す。
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「おまえは歌うな」

2016-12-24 08:36:46 | その他
 メールを開いたら、町田の住人から、この詩が送られてきた。中野重治の「おまえは歌うな」である。


  おまえは歌うな
  おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
  風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
  すべてのひよわなもの
  すべてのうそうそとしたもの
  すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
  すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
  もつぱら正直のところを
  腹の足しになるところを
  胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
  たたかれることによつて弾ねかえる歌を
  恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
  それらの歌々を
  咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
  それらの歌々を
  行く行く人びとの胸廓(きようかく)にたたきこめ


 プロレタリア作家であった中野らしい詩である。しかし、中野が詩を詠み始めるのは、室生犀星の影響である。犀星も「風のささやき」や「ひよわなもの」、「風情」などをうたっている。

 中野も、当然、そういうものをうたっていたからこそ、「おまえは歌うな」、つまり自分自身に対して、そういうものをうたうことを禁じようとしたのであろう。

 人間、「恥辱の底から勇気を汲みくる」だけでは、生きてはいけないのだ。

 夢二も、荒畑寒村ら社会主義者とも交流している。
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叱る

2016-12-23 21:12:49 | その他
 今日の『中日新聞』は、来年度予算の報道・解説に大きなスペースを費やしている。安倍政権のもとで、軍拡そして福祉の後退などが継続的に行われている。これは予想されていたことである。

 品性も知性もない人物が首相となり、明らかに先日の日露交渉が何も獲得しなかったのに、あたかも成功であるかのように語る安倍は、いったいいかなる人物なのか、と思う。

 今までの人生の中で、明らかにあらゆる点で劣っているにもかかわらず、驚くべき自信を示す人物に会ったことがある。安倍はそういう人物のような気がする。ある意味で、宗教創始者ではないか。あのオームの創始者のような。

 そういう輩が、国家財政を決めている。何とかならないのかと思っても、何もできない。無力感が先に立つ。

 昨日、竹久夢二について書いたら、町田の住人から、夢二を評価するなんて理解できない、というメールが来た。

 しかし、人間は多面的である。私は今、音楽を聴きながらこれを書いている。リチャード・クレーダーマン、おそらく町田の住人は知らないだろうが、彼の叙情的な美しいピアノが流れている。

 先ほどまでは、今日届いた『竹久夢二詩画集』(岩波文庫)をさらさらと眺めていた。

 いざよいの晩、
 私は泣きながら生れた。
 その時、みんなは笑つた。

 死ぬ時には、
 私笑つてゐ
 たいとおもふ。

 そして、みんなを
 泣かせてやりたい。



 こういう詩に、うーんと唸り、

 「花のゆくえ」にもすばらしいと感動している自分がいる。

 ほろり ほろり と、花がちる。
 花にゆくえを聞いたらば。
 空へ舞ふのは、蝶になる。
 海へ落ちれば桜貝。
 花はのどかに笑ふてる。
 ほろり ほろり と、花がちる。


 こういう詩をよむと、夢二の背後には、孤独がまとわりついている感じがする。

 人間は、そう、孤独だ。ひとりで生まれ、ひとりで苦しみ、ひとりで死んでいく。だから生きているあいだ、ひとりを意識しないでいられるときが必要だ。そこにもうひとりがひつようだ。それが愛かもしれない。

 こんなふうに想念を重ねていくと、ふと、今日の新聞記事のことが思い出される。

 現実をどうするんだ!と、叱る声がする。

 町田の住人からの、罵声が聞こえてくる。

 しかし・・・いいものはいいのだ。


 
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竹久夢二展

2016-12-22 16:35:44 | その他
 浜松市の隣、磐田市に香りの博物館がある。そこでなぜか「竹久夢二展」。今日行ってきた。

 夢二との出会いは高校生の頃。デパートが夢二の展覧会をやっていた。何気なく見に行って、そこに描かれたはかなげな女性の絵に感じ入って、絵はがきを買った。その絵はがきはまだ残っているが、それから、ずっと関心を抱き続けてきた。

 ずっと前、岡山大学で研究会があったとき、早く到着しタクシーで夢二美術館に行った。夢二の生家も残っているようだが、そこには行けなかった。もう一度岡山には行ってみたい。

 東京の夢二美術館にも行ったことがあるが、時間がなくてじっくりみることができなかったので、ここももう一度行ってみたい。

 夢二の絵の世界は、時間の流れがゆっくりであったり、止まっていたりする。時が滞留しているのである。ということは、想いが詰まっているということだ。その想いとは、もちろん男女間のそれである。その想いを絵全体が語る。そういう絵だと思う。

 

 今日は、2017年の暦を買った。もちろん夢二の絵が描かれているものだ。2017年は伊藤野枝を語るべく勉強するつもりだから、2018年には、夢二について語ることができるようにしたい。一年間、夢二の絵を見ながら考えよう。
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講座

2016-09-13 22:21:03 | その他
 今年、「彼らは近代日本国家をどうみたか」と題する講座で、福沢諭吉、中江兆民、田中正造、大杉栄をとりあげた。来年度もやって欲しいという要請を受けた。なかなかたいへんなので未だ引き受けてはいないが、取り上げるとすると

1 幸徳秋水 2 石川啄木 3 美濃部達吉 4 石橋湛山 5 伊藤野枝 6 竹久夢二

 くらいかな、と思った。

 基本的に、ほとんどが近代天皇制国家のなかに埋没せず、自分自身を鮮明にして生きていた人々である。

 このなかで、石川啄木と伊藤野枝は全集を持っている。啄木は、買ったときから一度も開いていないが・・・。

 いずれにしても、これらの人々が生き、そして主張したことなど、ほとんど私たちに継承されていない。彼らから、今を生きる私たちは何を学び取ればよいのか。これは考えるに値することだ。


 今日は一日中静岡で、社会運動史の編集会議があった。私の「安保闘争ー静岡県民の闘い」が、近いうちにネットにアップされるだろう。私の次のテーマは、沼津/三島コンビナート反対運動である。すでにこれについては各所で記述がなされているが、私自身がどういう新しい視点を提示できるか、考えてみたいと思う。

 
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