浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

戦争という事態への姿勢

2022-09-16 13:15:25 | 日記

 ベトナム戦争の時代、その頃は私の青春時代であった。ベトナムに落とされたナパーム弾やダムダム弾など、そして枯葉剤、アメリカが行った戦争は、まさに侵略であった。戦場の写真を見て、私は怒りを持ち、ベトナム戦争反対の運動に関わった。その侵略に対して戦うベトナム民衆は、無条件に支援の対象であった。

 この構図は、日中戦争と同様だ。日本は中国を侵略した。日本軍に抵抗する中国軍民の抵抗は正当であった。

 アメリカのイラクへの侵攻、アフガンへの侵攻も、正邪は明確であった。言うまでもなく、アメリカが邪悪であった。

 何が正しくて何が悪なのかがわからなくなったのが、ユーゴスラビアの混乱であった。セルビア人、クロアチア人、そしてムスリムが対立し殺しあった。私がこの戦争で言えるのは、「殺すな」であった。

 政治に関わる者たちが、政治権力を掌握していた者たちが、民族や宗教などの違いの旗を掲げて、今まで仲よく暮らしていた人々を分断し、殺し合いをさせ、そして強い、強い憎悪をつくりだし、そのなかでみずからの政治的地歩を固めていった。今まで通りの生活を望んでいた庶民はズタズタに切り裂かれた。

 さてロシアのウクライナ侵攻はどうなのか。ロシアがウクライナに侵攻するに至るまでには、いろいろなことがあった。ロシアにだけ、あるいはウクライナにだけ非があるわけではない。政治権力者たち、あるいは政治権力とつながりたい者たちが、あえてロシアに反ウクライナの、ウクライナに反ロシアの意識をつくりだしたのである。そこにはロシア・ウクライナ間の歴史、どちらかといえばロシアによるウクライナへの抑圧の歴史があった。しかし同時に、ウクライナとロシアとの間には、共存共生の歴史もあった。

 共存共生の歴史に楔を打ち込むことは、ロシア側もウクライナ側も行った。しかし庶民は、ずっと共存共生のままに生きてきたし、共存共生を望んでいた。共存共生の歴史があるが故に、直接的な戦闘がなければ、両国の間には和解への道があったはずだ。

 それをぶち壊したのが、ロシアの軍事侵攻であった。ウクライナ東部が「独立」を宣言した。しかしその国家を承認したのはロシアのみである。もしロシアがウクライナ東部のロシア系の人びとを救出するために「特殊軍事作戦」をおこなったとするなら、ロシア軍は東部のみに派兵するはずだが、しかしロシア軍は東部だけではなく広い範囲でウクライナに侵攻した。

 これにより、共存共生の歴史を保持してきたロシアとウクライナは、回復不可能な状態へと入り込んだのである。憎悪が憎悪を呼び、分断と対立は恒久的になってしまった。

 私は、戦闘中の双方から出される情報については、基本的に紹介することはしてこなかった。戦闘が始まれば、双方とも憎悪をかき立てるような情報をだす。これはいかなる戦争でも行われることだ。私はそのような情報を見ても、それらを正しいと判断することはしなかった。判断の中止も必要なのである。

 私は、ユーゴスラビア内戦のときと同じように、「殺すな」と言い続けたい。しかし、ウクライナに戦争を仕掛けたのは、ロシアであることは事実である。

 日本国憲法9条の、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」は、まったく正しいのである。

 

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