『週刊金曜日』の最新号には、伊藤詩織氏の「Black BOX Diaris」に関するインタビューと想田和宏さんの「ドキュメンタリー映画と倫理的責任」が掲載されている。
わたしは、想田さんの指摘に全面的に同意する。
2月20日の、性被害の弁護団による記者会見をみたが、弁護団の主張は、もっともだと思った。わたしも戦後補償裁判で、複数の弁護士とともに闘ったことがあるが、弁護団との信頼関係がないと訴訟を担っていくのは難しい。訴訟が終わっても、弁護団の方々とは良好な関係にある。
しかし、今回の場合、伊藤氏の側から信頼関係を崩している。少なくとも、訴訟を一緒に闘った者同士、そこには信義誠実の原則がなければならない。みずからの訴訟を一緒に闘った人たちを、みずから信頼関係を崩した上で「敵」として扱うのかいかがなものか。
『週刊金曜日』には、インタビューを行った神奈川新聞の石橋学氏の文が載せられているが、わたしにはその批判は揚げ足とりにしかみえない。伊藤氏の行動に違和感を抱いた人びとに、「「支援してあげた者」への見下しを見る」、「一部の特権者が「はみだし者」をよって叩くムラ社会、ニッポンの姿だ」とまで書いている。
また石橋氏は、「元代理人やかつての支援者は自分たちが望むような映画ではなかったからこそ拒絶を示しているのだろう」と書いている。元代理人や支援者である望月衣塑子さんらはそんなことは言っていない。問題点を指摘し、その問題をクリアするように求めているのである。なぜそれができなかったのか、伊藤氏はなぜしなかったのか、それが問われているのである。
ところで、石橋氏は、伊藤氏の訴訟を積極的に「支援」していたのだろうか。
少なくとも、今回の伊藤氏の行動は、差別問題などに対して闘う良心的な人びとを分断したことは間違いがないと思う。