浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「維新」は肯定すべきなのか

2012-11-21 12:26:40 | 日記
 「維新」については以前に記した。私は明治維新を含めて、「維新」ということばに肯定的なイメージを持っていない。「維新」ということばに、「変革」がつくことによって、はじめて「維新」は躍動的なプラスイメージになる。戦後歴史学は、井上清、遠山茂樹、そして原口清、さらに宮地正人らによって、「維新変革」を豊かに描いてきた。

 最近は「維新」ということばが、新聞や雑誌などで毎日のように出てきている。しかしその「維新」の代表者となった石原慎太郎の言説をみると、きわめてファナティックで、世界やアジアの情勢を無視した、ひとりよがりの非現実的な内容に満ちている。そういう人間を都知事としてきた東京都民を、私はどうかと思う。

 石原は、すでに各所で言われているように、核武装論者である。国際的に核不拡散体制が存在し、核兵器が拡散しないようにという努力はされているが、イスラエルをはじめその体制に入らない核武装国家がふえている。しかしこの体制の中心的な目的は、日本とドイツには核武装をさせないというものである。もし日本が核武装を行おうとすれば、国際的な孤立を招くことは必至である。アメリカこそ、日本の核武装を阻止するように動くだろう。

 日本の自衛隊は、今や米軍との一体化を気兼ねなく推し進めている。そうした防衛省=自衛隊がアメリカがいやがることをするわけがない。そもそも日本の核武装はまったく現実的ではないのである。

 しかし石原がそういうことを話せば話すほど、マスメディアは注目し、報道を重ねる。

 「日本維新の会」は石原だけではなく、橋下も同様だ。独りよがりの、マスメディアが飛びつきそうな過激な発言を行って注目を浴び続ける。

 したがって、彼らの発言は、基本的に脈絡はない。あるいはしっかりと考えた上での政策ではもちろんない。メディアの注目を浴びそうなことを、次々と発し続けるのである。それでないと化けの皮がはがれてしまう。

 さらに批判されたからって、別に動じるわけではない。批判されたら変えればいい。

 彼らに対しては、「無視」がいちばんいいのではないか。これは小熊英二の指摘でもある。「無視」されて騒がれなくなったら、そのとき彼らは引いていく。今度は他で活躍することだろう。
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