数多の犠牲者たちが葬られた大地―その土から作られた人形たちが、35年前の虐殺の成り行きを語り始める。闇に葬られたクメール・ルージュの悪夢、その狂気の実像を白日の下にさらす渾身のドキュメンタリー!映画監督リティ・パニュは、幼少期にポル・ポト率いるクメール・ルージュによる粛清で最愛の父母や友人たちを失った。クメール・ルージュの支配の下、数百万人の市民が虐殺され、カンボジア文化華やかなりし時代の写真や映像はすべて破棄された。奇跡的に収容所を脱出し、映画監督になったリティ・パニュは「記憶は再生されるのか」というテーマを追求し、あの忌まわしい体験をいまに伝えることを自らに課し、監督自身の過酷な体験を“土人形”に託して描く。本作は、カンヌ国際映画祭〈ある視点部門〉で上映され、グランプリを獲得。また、カンボジア映画として初めてアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるという栄誉に浴した。
上記の文は、映画に記されていた解説である。
忘れてはならない事実。見続けるのが苦しいほどの事実だ。しかし実際にあったことである。
ナチス・ドイツによるジェノサイドは、今もなおつぎつぎとつくられる映画などで振り返る。しかしカンボジアに於ける、クメール・ルージュによるジェノサイドは、あまり語られることはない。
なぜポル・ポトらは、彼自身フランスでの生活を経験しながら、人類史に残るような蛮行を行ったのか。また、「オンカー」という、おそらく架空の、強力なリーダーをつくりあげ、クメール・ルージュに関わる様々な人間が、「オンカー」に語らせることによって、みずからのどす黒い情熱を、民衆に押しつけ、殺していった。
クメール・ルージュの思想は、「オンカー」に代表されると思っている。つまり、「オンカー」が架空であるように、思想も架空なのだ。だがしかし、その架空の思想は、各級の人々によって具体的に担われ、現実化していた。架空であるが故に、その思想にはいろいろなものを入れ込むことができた。マルクスやルソー、スターリン、毛沢東・・・・・それだけではなく、憎悪や嫌悪、悪意、嫉妬・・・・ありとあらゆる負の感情も入れ込むことができた。その「オンカー」が、暴力的に人々に襲いかかった。
人間は、カンボジアのジェノサイドから学ばなくてはならない。もちろん繰り返さないために、である。また人間を理解するために、である。