浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ウクライナのこと

2022-06-20 07:24:52 | 国際

 ロシア国防相が、2月以降、ウクライナから30万7000人の子どもをロシアに避難させたと発表した。

 2月24日以降、ロシア軍はウクライナに軍事侵攻して、ウクライナの人びとを殺し、生活の場を破壊し続けてきた、このことは誰もが認めることだろう。その結果、ウクライナの兵士にもロシアの兵士にも多くの犠牲がでている。戦争だから、こういう事態が起きるのは当然のことである。

 ウクライナ市民の犠牲については、ロシア軍ではなく、ウクライナ軍が殺した、という情報も流されている。その情報がどれほど信憑性があるのかはわからないが、戦争という事態では、様々な情報が飛び交う。遠く離れているところに住む私は、それらの情報の真偽はわからない。だから、私はそうした情報は流さないようにしているし、それらの情報については判断を停止している。

 しかしこれだけは言える。もしロシアが軍事侵攻していなかったら、こうした事態は起こらなかった。

 ロシアの軍事侵攻については、ウクライナ側が挑発したからだという情報も流されている。ウクライナがロシアの軍事侵攻を招いたのだ、と。

 この論理は、聞き覚えがある。1941年12月8日、日本軍はマレー半島のコタバルを攻撃、さらに真珠湾を攻撃し、対米英戦争を始めた。それは、アメリカなどがABCD包囲陣を敷き、日本を追い詰めたからだ、という説明。あるいはアメリカが石油の対日禁輸という措置をとったからだ、という説明。あるいはアメリカが、日本に戦端を開かせるようにしたのだという説明。いずれも、大日本帝国を免罪する説明である。

 問題はこう立てられなければならない。

 第1次世界大戦以降、戦争は違法とされてきたのだ。1920年発効の国際連盟規約には、「締約国は戦争に訴えざるの義務を受諾し、各国間における公明正大なる関係を規律し、各国政府間の行為を律する現実の基準として国際法の原則を確立し、組織ある人民の相互の交渉において正義を保持し且つ厳に一切の条約上の義務を尊重し、以って国際協力を促進し、且つ各国間の平和安寧を完成せむがため、ここに国際聯盟規約を協定す。」とある。「戦争に訴えざるの義務」がうたわれたのだ。だから大日本帝国は、実質的に戦争であるのに、「満洲事変」、「北支事変」などと「事変」ということばでごまかしていたのだ。

 さらに1928年、「戦争抛棄に関する条約」(いわゆる不戦条約)がつくられた。

第一条 締約国は国際紛争解決のため戦争に訴ふることを非とし且其の相互関係に於て国家の政策の手段としての戦争を抛棄することをその各自の人民の名に於て厳粛に宣言す。

第二条 締約国は相互間に起ることあるべき一切の紛争又は紛議は其の性質又は起因の如何を問はず平和的手段に依るの外之が処理又は解決を求めざることを約す。

 締約国は、「国際紛争解決のため戦争に訴ふることを非とし」、「相互間に起ることあるべき一切の紛争又は紛議は其の性質又は起因の如何を問はず平和的手段に依る」ことを誓ったのである。

 今から100年ほど前に、こういう合意がつくられたのである。

 しかしまた世界大戦が起こってしまった。その第2次世界大戦末期、連合国が集まっていわゆる「国連憲章」がつくられた。

 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

 これが第1条の目的の1である。

 

すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。

すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

 これは第2条の加盟国の原則である。

 そして第7章では、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」があった場合、安全保障理事会が中心となってUNとして軍事的な対応をすることが記され、51条では、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。」とあり、武力攻撃に対して個別的あるいは集団的自衛権を行使できるとされている。

 さて、ロシア軍によるウクライナ侵攻は、ウクライナに対する「武力攻撃」であり、ウクライナが自衛権を行使することは合法である。

 重要なことは、たとえどのような理由があろうとも、そしてその理由というものは戦争の当事者がそれぞれに主張するわけで、私たちはそれらの真偽を確かめることはできない。戦争が終わり、様々な資料を突き合わせてはじめて蓋然的な事実が明らかになるのである。

 だからこそ、どの国が武力攻撃を行ったのか、ということに着目するしかないのである。ウクライナはロシアに武力侵攻していない。ロシア軍が、国境を侵して侵入してきたのである。

 なぜそうした理解ができずに、ウクライナがロシアに戦争を始めさせたのだとか、ゼレンスキー政権が東部ウクライナでロシア系住民を迫害したからだとか、ウクライナが東部の二つの地域が独立するのを認めないからだ、ウクライナ軍にはネオナチがいる・・・・などと理由を並べるのだろうか。しかしウクライナ国内で起きていることは、ウクライナの主権下の領域で起きていることであり、ウクライナの国内問題なのである。ウクライナの国内問題を理由に、何故にロシアの軍事侵攻を正当化できるのか。

 この問題については、厳密に国際法の原則から考えることが重要であると、私は思う。国際法は、人類の、戦争をなくそうという意思の蓄積によりつくられてきたものである。

 したがって、この一点、ロシアが他の主権国家の領域を侵して軍事侵攻したこと、つまり非はロシアにある。

 この文の最初に記したウクライナの子どもたち30万人あまりをロシアに「避難」させたという、ロシア国防相の発表をどう考えるか。ロシアにおける愛国教育の事実を考えると、おそらくこの子どもたちは「ロシア化」されていくことだろう。

 いかなる国家も、政権が変わろうと、その国家の歴史の延長線上にある。ロシア史を振り返ると、特異な歴史、たとえば収容所の存在、大規模な民族の強制的な移動、ユダヤ人への抑圧(ポグロム)・・・・などがある。ロシアの歴史的展開のなかで、それらは良い意味で克服されているのだろうか。

 私は、国際法の原則に立ちながらも、事態を総合的に考えることが必要だと思う。真偽不明の情報に躍らされることなく、冷静にものごとを見つめることである。

 

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