『週刊金曜日』で、本田雅和氏が、本多勝一氏がかつて取材したベトナム解放戦争のあとを追跡している。
今週は、『母は枯葉剤を浴びた』で高名な報道写真家の中村梧郎氏を取材している。そのなかでこういう記述がある。
南ベトナム解放民族戦線の戦士らと、「一般農民」を切り離して接触させないよう、農村の民を有刺鉄線や竹槍で囲った人工の村に強制移住させ、集中管理する「戦略村」をあちこちに建設した。
この「戦略村」は、すでに日本軍が「満洲」で行っていた。「満洲」でのそれは「集団部落」と称した。『満洲共産匪の研究』第二輯に詳しく記されている。「集団部落」の外は、「共産匪」が跳梁するところであるとして、無差別攻撃が展開されるのである。
いずこの侵略軍も考えるところは同じである。しかし言うまでもないことだが、そのような「戦略村」、「集団部落」を建設しても、侵略軍は必ず追い出されるのである。
そしてアメリカは、枯葉剤を広汎に撒布して、ベトナムの大地を汚し、そこに生きる人民に多大な犠牲を強いたにもかかわらず、それに対する責任を負わないばかりか、被害に対する補償についても押し黙るのである。それは侵略をこととするどこの国家にも共通するところである。
ベトナム戦争は終わっているけれども、枯葉剤などの被害は続いている。アメリカの蛮行を、だからこそ現在も追及する必要がある。「悪行」は「悪行」として、その「悪行」を行った「アメリカ帝国主義」を忘れてはならない。
侵略