浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大杉栄のこと(1)

2020-09-13 21:09:57 | 大杉栄・伊藤野枝
 1923年9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一が、関東大震災の混乱の中(といっても、朝鮮人中国人の虐殺が行われた時から10日以上経過した頃であった)、甥の橘宗一少年を連れ自宅に帰ろうとした大杉、野枝を、東京憲兵隊が連行していった。もちろん、大杉らには警察官の尾行がついていた。

 大杉栄について、不定期に書いていこうと思う。

◎現在と大杉の時代
 残念ながら、現代は19世紀ないし20世紀前半の政治社会に戻りつつある。

 大杉の時代は、様々な弾圧法規と、それを実効せしめる機関(軍隊、警察機構、裁判所など)の存在により、自由は大きく制約されていた。そのため、国家・政治に異議を唱える運動や、その組織は力を持つことができず、まさに民衆は「臣民」(天皇に従属する・支配される人)として位置づけられていた。

 また学校や軍隊は、国家に従順な「臣民」を育成する機関として存在し、その役割を十二分に果たしていた。

 ブレイディみかこの『This is Japan』(太田出版、2016)に以下のような記述があった。「英国の労働運動史のプログレスの歴史」として、
①労働者が闘う労働者を侮蔑して妨害した時代から、
②労働者同士が団結して闘う時代に移行し、
③別の問題で闘っている団体とも協力する時代が訪れ、
④労働者たちが社会には様々な問題があることを知覚できるようになり、ユナイトしてすべての人々の権利のために闘うようになる。

をあげ、「日本の労働運動は、ひょっとするといま、①の状態なのではないか」と記している。

 しかし私は、①にいく前の段階に「戻された」状態であると思う。すなわち、現在ある労働組合のほとんどが労働組合としての機能を果たしていないし、労働者の権利を守らない。それだけではなく、民衆の生活を擁護し、権利を拡充するために、国家や体制に異議を唱える組織(社会団体)が弱体化している状況がある。そして裁判所も、学校も、あの時代と同じ機能を持つようになっている。

 20世紀後半の民主主義的な諸運動の成果が蓄積されなかったということである。

 となると、大杉らが生きた時代と現代とは、あまり変わらないのではないか。だからこそ、運動の形態として、SEALDsのような動きがでてきた。

 大杉は、
僕の政治的理想は、・・各個人が相課する事なくして相合意する。そして此の個人より成る各団体も亦同じく相課する事なくして相合意する、個人も団体も全く自治の連合制度である。そして此の理想は、高遠に若しくは実現する事の出来ない性質のものでなく、既に吾々の日常生活に於ける個人と個人との関係及び種々なる団体と団体との関係の間に既に実現されて、しかも其の真実なる生活であるとされてゐるものである。吾々はただ、吾々の日常生活の中にある此の事実を益々充実せしめ益々拡張せしめて、更に此の真実をして他の種々なる社会生活を、そして遂に政治的領域を支配せしめればいいのだ。(「個人主義者と政治運動」)
と記している。

 つまり社会運動やその対象となる政治的領域は、日常生活と断絶したものではなく、日常生活の関係を、社会的な運動へと拡張していくこと、そして社会生活、政治的領域において主体となるように、日常生活を押し広げていくことを主張する。

 大杉の主張は、閉塞的な現代社会で、それを克服するための思考の端緒を示しているように思われる。


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