浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「直接行動」

2024-04-09 21:33:53 | 

 『社会運動史研究』5を読む。

 ぼくは、この本を読む前に、「直接行動」ということばについて、こう考えていた。ぼくが市民運動やデモに出るとき、日常生活と異次元の行動に関わることすべてが「直接行動」だと。浜松市当局がごみの有料化を画策したことにたいして、友人たちと反対の声を挙げているが、その行動も「直接行動」だと、ぼくは考えていた。

 この本の「座談会 運動史から考える直接行動」を読んでいて、「直接行動」というのは、一般的に、座り込みや、あるいは「暴力的な」抗議活動などをイメージしているのだろうかと思った。座談会の発言の中で、もっとも触発を受けたのは、酒井隆史さんのものだ。酒井さんの発言の背後に、大杉栄の影響もあるなあと思いながら読んだ。

 大杉のこの文。

運動には方向はある。しかし所謂最後の目的はない。一運動の理想は、其の所謂最後の目的の中に自らを見出すものではない。理想は常にその運動と伴ひ、其の運動と共に進んで行く。理想が運動の前方にあるのではない。運動其者の中に在るのだ。運動其者の中に其の型を刻んで行くのだ。
 自由と創造とは、之れを将来にのみ吾々が憧憬すべき理想ではない。吾々は先づ之れを現実の中に捕捉しなければならぬ。吾々自身の中に獲得しなければならぬ。
 自由と創造とを吾々自身の中に獲(え)るとは、即ち自己の自己である事を知り、且つこの自己の中に、自己によつて生きて行く事を知るの謂である。
・・・・・・・・
 自由と創造とは、吾々の外に、又将来にあるのではない。吾々の中に、現に、あるのだ。
(「生の創造」、1914年、『全集』2)

 酒井さんは、こう語っている。

社会運動はつねに二つの要素をもっていて、一つが獲得目標の手段であること、もう一つはそれ自体が未来社会の先取りである、つまり目的そのものであるということ。

 こうも言っている。

直接行動は最も狭義には、何かに抵抗する行動ではなく、それを超えて、新しい世界を現実の世界そのもののうちに直接に建設していく行動のことを意味しています。 

 大杉の主張と重なる。また酒井さんは、暴力、非暴力というカテゴリーに加えて、「反暴力」を打ちだしている。「暴力を考えるときに、反暴力という尺度をもっているかどうかが決定的に重要だと思います」と。慧眼だと思う。

 私は「非暴力」の立場であるが、しかし国家権力はじめ、彼らは平気で暴力を振るう。だとするなら、彼らの暴力に対抗して暴力で対峙することもあり得ると思う。その場合でも、やはり「反暴力」という価値観は離してはならないと思う。暴力に反対することは、同時にモラルの地平でヘゲモニーをもたなければならないからだ。

 次に小泉英政さんに対するインタビューを読んだ。共感するところがたくさんあった。今まで小泉さんを知らなかったが、読んでいて、生き方そのものが「哲学者」ではないかと思った。尊敬できる人間である。

 私もカネにならない農業に従事しているが(作物は子どもに送ったり、近所の人にあげたりしているのでまったくカネにはならない)、有機農業を実践している小泉さんの生き方そのものが、まさに「非暴力直接行動」なのだということに共感した。

 自分の信念、自分の呪文。それはその人にとって何であろうといいんだけれども、譲れないものをきちんと持って、それで社会と向き合っていく。

 なるほど、そこに小泉さんの強靭さがあるのだと思った。このインタビューを読んだだけで、この雑誌を購入した価値があった、と思うほど共感した。

 

 

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浜松ベ平連の記事(続)

2024-04-09 19:42:00 | 近現代史

 なぜ浜松ベ平連の記事を載せたのかを説明すると、昨日から『社会運動史研究』5を読んでいて(『社会運動史研究』の1と2は購入して読んでいるのだが、それ以降の特集はあまり関心を抱かなかったので買っていなかった。すると、ある方から5号を読んだ感想を読みたい、との仰せがあり、急遽購入した次第である)、そのなかに市橋秀夫の「殺されない手立てを身をもって示す」という、北九州市の反戦青年委員会の活動を紹介したものがあった。

 そういえば、私が若い頃、反戦青年委員会というのがあったこと、彼らが浜松ベ平連のデモにも参加していたことを想い出したからだ。先の吉川さんの文にも、反戦青年委員会への言及がある。反戦青年委員会のメンバーが『前進』に言及しているから、中核派系かも知れない。

 考えてみれば、反戦青年委員会という組織があったことは知っていたが、ほとんど接触はなかった。北九州市の反戦青年委員会の活動に関しては資料があり、またその担い手からもインタビューできたそうだが、私が今まで調べた限りで言うと、その類いの資料もなく、またどういう人が反戦青年委員会に加わっていたのかもまったくわからない。

 私は、高校生の頃、浜松ベ平連の一員でもあった。高校卒業後、上京したので、浜松ベ平連のその後についてはまったくわからない。

 1960年代後半の静岡県におけるベ平連のような市民運動も、歴史研究の対象となりうる。誰かやらないかしら・・・

 

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浜松ベ平連の記事

2024-04-09 19:22:20 | 近現代史

 すでに亡くなられた吉川勇一さん。ベ平連の資料をネットにあげて、資料収集に励んでおられた。私は、吉川さんに2度、連絡した。ベ平連は浜松にもあったし、磐田にもあった、と。すると、吉川さんは調べたらしく、「浜松ベ平連の講演会に参加し、その後のデモにも参加した」という連絡。私は確か、ベ平連ニュースか何かにそのことが掲載されていた記憶があると連絡した。吉川さんは、『週刊アンポ』第10号(1970年3月23日)をさがし出して送ってくれた。そこには、吉川さんの絵と文があった。文だけを紹介する。

第三日曜日。午後一時。新川公園。これが浜松べ平連の定例デモの集合時間と場所だ。今日は二月二十二日の第三日曜。ただし、夕刻からべ平連主催の市民講演会があったため、特別に出発地は会場の浜松市民会館玄関前に変わり、時刻は講演会集了後の八時であった。

 「核、ミサイル・ナイキ撤去――浜松べ平連」の横断幕。浜松べ平連の緑の旗。それに講演会からデモに引続き参加した浜松市反戦青年委員会の青旗。プラカードはなかったが、その代わりに夜のため手製の四角いアンドンが六つ。「誰でも入れるデモ」「アンポをつぶせ!」「ニャロメ」「デモに入ろう」などと四面に書いてある。ほかに紙コップでつくったキャンドル・トーチが八つ。それぞれローソクの火がともる。京都べ平連からの特別参加によるギターを含めてギター三台。それに反戦の若い闘士の白ヘル、「反戦」「反帝反スタ」「反戦高協」などと記入のあるもの十個。これがデモの小道具。人数は約百人。三列縦隊を組んで夜の浜松市内へとくりだす。先頭部分はギターにあわせて「ウィ・シャル・オーバーカム」の歌、最後尾の反戦は十人でジグザグ開始。「アンポフンサイ! ナイキテッキョ!」

 気がつくと先頭にパトカー。「浜松8 フ・・9」のナンバープレート。ドアに静岡県警の文字。金筋帽をかぶった太った警官が後のガラスごしにデモをにらみつけながらマイクを握って何やらワメク。デモの周囲に私服警官。七人、八人、九人、十人。アア、どうして日本全国、どこへ行っても私服ってすぐ判っちゃうんだろう!

 やっとパトカーのスピーカーが何いってるのか聞こえた。「……この交差点はテンマ町交差点。交通ヒンパンなのでデモ隊は信号と警官の指示に従って行進しなさい。オイ、デモの後部の白ヘルの諸君、ジグザグするな!」

 赤い懐中電灯をもった白ヘルの警官がかけつけて反戦のジクザグをおさえようとする。白ヘルと白ヘルの対決。でも一対十じゃちょっと無理。ジグザグはつづく。前の方は「オー、ディープ・イン・マイ・ハート……」

 「べ平連のデモ隊が通過します。後部は反戦青年委員会の労働者です」これはデモ側のスピーカーじゃない。なんとパトカーの放送。親切にも紹介してくれてんのかな。「隊列は三列! オイ三列だ! 幅をチヂメナサイ!」あっそうか。デモに怒鳴る前に沿道の人に怒鳴る対象を紹介するわけだな。

 「ウィ・シャル……」の節でたちまち即興の替え歌「パ・ト・カー・カーエレ、パ・ト・カー・カーエレ……オー・ミーンナノ・チーカラデー・パトカー・カーエーレ!」

 デモは左折。有楽街のネオンのある繁華街へ入る。いつのまにか「反戦」の文字の入った浜松べ平連の小旗がもう一本先頭にふえている。「ナイキ基地を撤去せよ。自衛隊基地を粉砕するぞ!」「ニッティの海外侵略をソシするぞ!」(このへんになると聞いてもちょっと判んないんじゃないかな)

 隊列は十列ぐらいに拡がっている。しまりかかったシャッターが開いて「ほていや浜松センター」のスーパーマーケットから店員が顔を出す。何人も出てくる。沿道に人が多くなる。べ平連の紹介のビラが配られる。「アンポ・フンサイ! ナイキ・テッキヨ!」のかけ声が一段と大きくなる。右側に浜松東映――ただ今「念仏三段切り」と「組長と代貸」上映中。シャンボール――焼立てフランスパンただ今到着。「核ミサイル・ナイキ基地を撤去するぞ!」 左側にステレオ・イケヤ――コロムビア歌謡大行進の看板。前を浜松べ平連の大行進。後方から「ナイキ撤去!」前方から「デモ隊は幅をチジメナサイ!」これもステレオだ。

 「万国博を成功させよう」のポスター。ああインターナショナール、我らがもの。

 浜松は楽器とウナギの名産地。ヤマハ・ピアノの大きなビルの角を右へ曲ると大通り。デモは右側行進に移る。ここだけどうしてかな?と思って道の向こう、左側をみると「おもちゃの王国ヤマタカ」の看板。その前のバス停に制服の自衛隊員が三十人ほどたむろしてる。そうか、ここから基地ゆきのバスが出るのか。

 冬物一掃バーゲンセール、マギーと菓子のこぎくの間を右に曲がる。よくゴチョゴチョ曲るデモだ。もうどこがどこやら方角はまったく判らない。どうも見たことがある街だ。キョロキョロ見まわす。鯛めしやの看板。右の看板は「組長と代貸」ああ浜松東映だ。鶴田浩二さん、若山富三郎さんまたコンバンワ。

 驚いた。同じところを二度通っているのだ。こんなデモはじめてだ。たしかにこれは人間の渦巻か。

 両側は商店街のアーケードで、ジュラルミンの雨おおいが張り出していて、シュプレヒコールの声がよくひびく。「アンポ・フンサイ、ナイキテッキョ!」

 花と園芸、フロ一リストないとうからおばさんが顔を出す。ビラが渡される。べ平連は花で武装する、か。

 「ヤッテルナー、カンバレヨー!」とフラフラの酔っぱらい二人、レストラン・ウィーンから出てくる。手をふって暗がりに消える。そこを左折。道は広くなり、両側の歩道には、はぼたんが植わり、石膏の彫刻が並んでいる。浜松みゆき座――「十七才」上映中。あたし十七才よ。そおお。キャーッ。女の子が持っていたアンドンが風に飛ばされてコロコロころがってゆく。それを追いかける十七才。

 宝塚劇場――八日封切「蝦夷館の決闘」。「テッテテキに闘うぞおー!」(ハテ、つげ義春流シュブレヒコールか)「全軍労のストと共に闘うぞー!」中央劇場――「激戦地」上映中。

 連尺町を左折。「オソレハシーナイ、今日コソワーレーラー……」左側にパチンコ・サカエホール。「今日は第三日曜日」の看板。ハテ? パチンコ店もべ平連定例デモに協力か? もう一度よくみてみる。「毎月第三日曜日は家庭の日です。この運動に全面的に協力する為、家庭の日に限り、営業時間を左の如く致します。午前一〇時~午後八時まで。浜松青少年協議会。浜松遊戯場組合」ナルホド。マイホームのパパさん、早くお帰りなさい。今日は家庭の日です。アア、涙ぐましき家庭よ。遊戯場組合の「全面的御協力」によって、日本の家庭は安泰、健全です!

 その隣りにまた看板。「青少年の非行をなくしましょう。どんな小さな暴力も見逃さず届出致しましょう。浜松中央警察署。浜松市青少年補導センター。浜松遊戯場組合」ここでもうるわしき三者の協力。「大きな暴力――戦争と侵略は見逃しましょう!」

 また左折。「伝馬町交差点」 ハテ、ここも前に通らなかったかな?「アンポ・フンサイ!」パトカーが何かいっているが聞こえない。

 フランキー堺の「極道ペテン師」上映中の日活前を過ぎると突然バラバラと私服が車道上へ飛出してきて、ジグザグを続ける反戦青年委のグループに襲いかかる。なんと浜松の私服は警棒をもっている! 双方いり乱れて、路上でゴチャゴチャになる。べ平連のグループの中の一人が写真機を構えると「キサマ、何をするかッ!」と歩道上の私服がそのカメラマンにつかみかかる。逮捕者は出ないが、列はメチャメチャでデモ隊はギターを中心にダンゴのようなかたまりとなって歩く。何人かは肩を組んでアンポ・フンサイと叫びながら踊り歩きまわる。とにかくこれは面白いデモだ。ダンゴ・デモ!。

 ようやく向こうに国鉄浜松駅がみえてくる。左側に浜松郵便局。その手前が新川公園。ここが今日のデモの解散地。友愛の泉という石垣から水がチョロチョロ出てる。「オー、みーんなのー、チーカラで、勝利の日ィまァーでー」 もうあんどんや紙コップのろうそくはすっかり消えている。

 公園で輪をつくって総括集会。浜松市反戦の挨拶。「ひさびさのべ平連集会で百名ものデモが出来たが、このことだけでも意義があったと思います。この量を質へ転換させれば……」 反戦の部分からイギナシの声。反戦青年委の諸君は、今日のデモの質には御不満らしい。

 シュプレヒコール、「ナイキJ撤去! われわれは最後まで闘うぞーッ、闘うぞーッ、闘うぞーッ……」闘うぞーッ!は六回くりかえされる。さらに肩を組んでインターの合唱。これで解散。

 反戦青年委の人が怒鳴る。「だれか『前進』の縮刷版忘れた人いませんかー。いたらとりにきて下さい。預ってます」 「半額なら買うぞ!」の声。

 ガヤガヤと散る。パトカーはまだ道路上で待っている。そのあとに「浜松市反戦青年委員会」の大旗、旗竿ごと忘れもの。

 さて最初にも書いたように、浜松の定例デモは何月第三日曜。つぎは四月十九日。浜松市および近郊の読者のみなさん、お忘れなく。

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