浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

戦争と画家(その1)

2024-04-03 21:31:57 | 画家と戦争

 かつて香月泰男と浜田知明の展覧会に行ったことがある。いずれも戦争の絵を描いている。戦争の絵と言っても、香月はみずからが体験したシベリア抑留、浜田は兵士として中国に連れて行かれた兵卒としての体験を描いている。戦争を賛美する絵は描いていない。彼らは、戦争を体験したあとに画家となり、戦争の負の側面を描いた。

 戦時下、すでに画家となっていた者たちは、戦争讃美の絵を描いたし、描かされた。藤田嗣治、宮本三郎、向井潤吉など。横山大観は時流におもねる絵を描いた。

 近代天皇制国家は、画家を戦争に駆り立て、画家になる者に絵筆ではなく銃剣をもたせた。そしてそのなかで、命をなくした画家もいた。亡くなった画家の多くは、その卵とも言うべき人たちだった。もし生きていれば、彼らはどんな絵を描いてくれたのだろうか。

 私は、上田にある「無言館」に展示された絵を描いた画家たちについて書かれたものを読んだ。『芸術新潮』の1997年7月号、特集は「大いに語れ 戦没画学生、未完の夢」である。これは出版されたときに購入したものだ。

 戦没画学生について、私はいま語ろうと思っている。そのために、戦没画学生について書かれた本を借りだした。今日は、木村亨が叔父である久保克彦について書いた『輓馬の歌 《図案対象》と戦没画学生・久保克彦の青春』(国書刊行会)を借りてきた。久保の卒業制作の絵《図案対象》は、東京藝大にある。文部省買上となった作品である。才能ある画家のひとりが、戦死したのだ。

 その本のあとがきを最初に読んだ。そこには、非戦の訴えが熱をおびて書かれていた。私も、その非戦の訴えをもとにしながら、「戦争と画家」を語ろうと思う。

 いま政治は、戦争を知らない世代に移りました。政府を選ぶのも、メディアの姿勢を変えるのも、国民です。政治も、国民全員が責任を負っているはずです。メディアや時代のなりゆきに流されることなく、真実を見極め、自分で考えることが必要です。「歴史は繰り返す」と言いますが、そうではなく、「歴史忘れられる」のだと思います。忘れられるが故に、繰り返すのだと思います。歴史を直視し、歴史に学ばなくてはなりません。不幸な歴史を繰り返してはなりません。

 戦争が終わったとき、誰もが戦争の無意味さを語り、平和を願ったはずでした。そしてそれは、「戦争の放棄、交戦権の否認」、「思想及び良心の自由」、「集会・結社・表現の自由」などを定めた日本国憲法に結実しました。いま、それらはともすると忘れられがちになっています。

 平和をつづけるためには、一人ひとりの強い意志と覚悟が必要です。

(中略)

 克彦を含め、あの時代の若者たちは、自分の信念や理想は胸の奥深くに押し込めて、国を守るために自己のすべてを投げ捨てたのでした。歴史の潮流に押し流される自らの運命を悲しみながらも、真剣に生き抜いたのでした。

 全てを断たれて戦死した若者たちの、そして310万人の犠牲を、無駄にすることがあってはなりません。

 戦争を直接知る最後の世代としての、切実な願いです。

 2019年5月

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「差別を将来に残したくない!」

2024-04-03 18:55:23 | 社会

 今日の『東京新聞』特報欄で、「在日3世の69歳男性 同窓生を提訴」という記事があった。在日コリアンの金正則さんが、Xにヘイト投稿をしている同窓生を訴えた。同窓生は、「朝鮮人ってやっぱりばかだね。救いようがないよな」、「もう日本にたかるのやめなよ」と投稿したり、「在日の金さん」とよびかけ、金さんが高校時代まで名乗っていた日本名を明かしたりしているという。

 人間としての礼節をまったく弁えない暴言に、私はあきれてしまった。

 私にも、中学校の同級生の在日コリアンがいる。しかし、彼はみずからが在日であることをいっさい言わないで生きている。しかし、地域や同級生など周囲の者は、彼が在日コリアンだということを知っている。私も含めてみな、今も、彼を通名で呼んでいる。

 おそらく彼の父親は済州島出身であったと思う。私が戦後補償裁判を担っていたことを知っていた彼は、私が訪韓を繰り返していたことから、「済州島に行ったことはあるか」と尋ねたことがあったからだ。

 私たちは、彼が言いたくない以上、彼との交友関係において在日であることを前提としないで、昔からのつきあいかたを通している。

 なぜ地域や同級生が彼が在日コリアンであると知っているか、その背景に在日コリアンへの差別意識があったことを、私たちは肌で感じていた。中学生の頃、彼と仲よくしていた私たちに、大人たちは彼が在日であることをそっと教えにきた。

 背後に差別意識があったからこそ、私たちは、そのことを、いっさい語らない。それが礼節であるし、配慮である。

 彼が自らを在日であると表明しても、私たちの関係はまったく変わらないだろう。

 

 知っていても語らない、言及しない。

 

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『感染症の歴史学』読了

2024-04-03 10:00:08 | 

 飯島渉の『感染症の歴史学』(岩波新書)を読了した。第1章は新型コロナであるが、第2章以下は天然痘、ペスト、マラリアをとりあげている。

 高等学校で『歴史総合』という科目が登場し、そこでは感染症の歴史を取り上げることとなっているようで、その点でも本書(今年1月発売)は売れることだろう。

 天然痘は、世界的に撲滅された感染症であるが、歴史的に日本でも何度も流行を繰り返している。この病気については、「日本史」の教科書でも言及されている。明治天皇の父である孝明天皇の死因がこの天然痘であったことが有力な説として存在している。また「あばたもえくぼ」ということばも、天然痘に感染した痕である「あばた」をもつ者が多かったことを示すのであろう。日本も天然痘に苦しめられたことから、日本史に於ける天然痘にかかわる対策がこの章で記されている。

 ペストは、日本ではほとんど流行しなかったが、ユーラシア大陸では大流行が繰り返され、それに関する書籍が多く出されている。私も村上陽一郎の『ペスト大流行』(岩波新書)を読んだり、ノーマン・F・カンターの『黒死病』(青土社、今のところ積ん読状態である)を本棚に並べている。ペストは、歴史を大きく変えたからである。

 ペストがどこを起点に発生したのかは、今も結論がでていないようだ。学説の幾つかが紹介されている。このペスト菌、日本軍が悪用して中国での流行を引き起こしたことがあることを忘れてはならない(関東軍731部隊)。

 そしてマラリア、これは今も各地で流行を繰り返している。今日本ではほとんどないが、戦前、各地での流行の記録がある。そうした資料を見た記憶がある。また日本軍兵士が、中国、東南アジア、太平洋諸島でマラリアに苦しめられた。

 マラリアは、熱帯地域、亜熱帯地域で流行しているが、日本では北海道で研究が始められたとのこと。

 感染症の問題は、政治や社会の問題へと波及する。それはまたグローバルな問題ともなり、感染症対策には、国際協調が求められる。だからこのような指摘が書かれる。感染症対策は、巨視的に行われなければならないのである。

人間が健康的な生活を送り、安全で快適な社会を構築するためには、人間だけが健康ではダメで、人間が生活している環境や生態系も健康的でなければならない。新興感染症のリスクを減らすためには、「ワンヘルス(one health)や「プラネタリーヘルス(Planetary Health)」という理念のもとで、社会を設計し、環境との調和を実現しなければならないという考え方が登場しています。新型コロナウイルスとの「共生」というポスト・コロナ社会はそうした課題を解決するための努力をする時代だと言えるでしょう。「開発原病」としてのマラリアは、私たちにそれを語りかけているのです。(193)

 また著者は、新型コロナウイルス関係の史資料の保存を訴えている。おそらく後世の歴史家は、もし人類が存続していたなら、必ずやこの COVID-19のパンデミックについて研究するに違いない。しかし資料がなければどうしようもない。歴史学は以下のような学問だからである。

歴史学は、資料にもとづき、できるだけ事実に近いと考えられることがらを確定しながら、その順序や因果関係を示し、現在にとっての意味を明らかにする学問です。重要なのは未来に向かって叙述を行うことです。(203~4)

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