浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

東京美術学校への軍事統制

2024-04-05 09:24:12 | 画家と戦争

 自由な学風で知られた東京美術学校ではあるが、戦時体制が強化される中で、そのような雰囲気が押し潰されそうになった。多くは自由の喪失にやむなく従ったが、そうでない者もいた。『東京藝大百年史』には、当該時代のことが記されているようだ。『輓馬の歌』からの孫引きである。当時学校には、配属将校が派遣され、学生たちに軍事教練をさせていた。

 ある時、身体の具合が悪く、教練を見学することを許された生徒がいて、彼は当時の学生たちがたいてい手にしている岩波文庫を座って読んでいたため、教官に注意された。だが、彼は「教練を見学するくらいならこれを読んだほうがずっといいんです」と言って止めない。そのためひどく殴られたが、いくら殴られてもやめなかった。

 ある日、図案部の学生たちは、数人のモデルに裸のまま教室に整列してもらい、そこに配属将校を呼んできた。案内されて教室に入ってみると、予想外の事態で、あわてふためいた配属将校は真っ赤になって、怒鳴りながら足早に去っていった。留飲を下げた学生たちは、それを拍手で見送ったという。

 四年生のときだったか、その配属将校が、全生徒に丸坊主になるよう命令した。ほとんどが従ったが、中に10人ばかり実行しない者がいて、私もその一人だった(内心は怖かったが)。すると教官室に呼ばれ、「お前たちは非国民である。日本は戦っているのに何と思っているか。この次までに坊主になって来なかったらすぐ退学させて兵隊として現地に送る」と威嚇された。真っ青になった私たちは、その次には頭を刈ってきたが、ただ一人、韓国人のTさんは髪の毛をみな制帽の中に入れて丸坊主のように見せてやってきた。教練の最中、将校は何かおかしいと気づいて、帽子をとれと命じた。彼が帽子を脱ぐと、下から髪の毛がうじゃうじゃとかぶさった。将校は「貴様あ」と言って、いきなりTさんを殴った。途端にTさんは興奮して、銃を捨てたかと思うと将校を殴り返した。学生が将校を殴るなどということはありえないことだったから、その将校はあっと思って怯んでひっくり返った。Tさんはそれに馬乗りになり、さらにボコボコ殴った。すると遠くにいたもう一人の将校がそれを見つけ、「貴様あ」と刀を抜いてかけてきた。それでTさんは門の外に逃げていってしまった。そのため彼は退学になったが、結局後で復学が許されたと聞く。それは将校の経歴に傷がつくのを避けるための処置だったらしい。私たちはというと「やった。やった」って言って手をたたいたりしてたもんだから、後で岡さんが心配して、皆を集めてそれは大変だった。

 また東京美術学校へは、様々な仕事が持ち込まれた。

 東京美術学校の学生たちには戦争に協力するような課題が与えられた。

「南方共栄圏における広告塔図案」という課題。

 イ、大東亜民族団結せよ ロ、楽土大東亜 ハ、日本軍と協力せよ ニ、同生共死の同朋よ ホ、働くから勝つのだ ヘ、鬼畜の米英

 等の内容を色調明快、構図は単純にあくまで力強き表現様式たること

 

陸軍省からの「特別幹部候補生募集」のためのポスター作成の要請、その指示。

右は軍報道部において本校図案部学生諸氏にたいし期待、依頼せられたる緊急要求ポスターにて、およそ16、7歳より20歳までの優秀なる少年を多数に募集したき旨にあり、既往の陸軍ポスターにとらわれず諸君の情熱において年若き少年の奮起を促すにたる明快、力強きものを制作提出せられんことを希求する

 戦争は、つまり軍隊は、抑圧し、同時に利用できるものは何でも利用するのだ。東京美術学校の学生たちにも、そうしたものが押しつけられた。

 ああ、戦争はいやだ。にもかかわらず、アメリカの命令のもと、日本国家は戦争準備をしている。ああ、怖い!!

 

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