プーチンとロシア国家の犯罪は、世界の民衆に強烈な印象を与え、大きな怒りをうみだしている。
プーチンらの犯罪は、ロシアの民衆にとって大きな、大きなマイナスとなる。世界の民衆がロシアを見る眼は決して優しくはならないだろう。
私は、プーチンとロシア国家の犯罪を許さない。
そしてプーチンに同調する者たちも。たとえ芸術文化の担い手であっても、である。
プーチンとロシア国家の犯罪は、世界の民衆に強烈な印象を与え、大きな怒りをうみだしている。
プーチンらの犯罪は、ロシアの民衆にとって大きな、大きなマイナスとなる。世界の民衆がロシアを見る眼は決して優しくはならないだろう。
私は、プーチンとロシア国家の犯罪を許さない。
そしてプーチンに同調する者たちも。たとえ芸術文化の担い手であっても、である。
アベの後遺症が重い。要するにカネ儲けにつながるアビガンについては騒ぐけど、ほんとうは安価で効果があると言われているイベルメクチンは、一向に普及しない。なぜか。製薬会社など利権につながる企業がもうからないからだ。
プーチン、ロシア国家という名は、血塗られた汚名を帯びたものとして永遠に書き綴られていくはずだ。この二つの語は、もう一切の美辞麗句で修飾されることは許されない。
この二つの語は、ロシア地域に住む人々が過去から築いてきた文化や歴史を、鮮血で塗り替えるものとしてある。実に忌まわしい語である。
良識あるロシアの人々は、プーチンとロシア国家が行っている蛮行を、羞恥と怒りを持って見つめていることであろう。
私も、ロシアというものについて、再考しなければならないと思っている。かくも邪悪な行為を行えるロシア人とは何者か、と。
小田実がなくなって15年が経つ。
私の青春は、ベトナム戦争反対運動とともにあり、またしたがって小田実との接点があった。小田の本は、書庫に並んでいる。
今、手元にあるのは、『環』31号、「特集 われわれの小田実」である。ロシアのウクライナ侵攻を、小田が見ていたら、必ず行動を起こしただろうと思う。理不尽をそのまま捨て置くことはできないのが彼だからだ。
子安宣邦が、そこで「小田は其処にいつづけた」という文を書いている。「小田はいつでも其処にいた」という文で始まる。
「現場とは、人が見て見ぬふりをすることのできない、立ち去ることを許されないような其処である。其処が事件の現場となることによって、立ち続けねばならない此処となる。」
今回のウクライナへのロシア軍侵攻は、「見て見ぬふりをすることのできない」事件である。私はウクライナのことが気がかりで、仕事が進まず、また気分も沈鬱のままである。ネットで、ウクライナの状態を確認し、早く戦争が終わること=ロシアの軍隊が撤退すること=プーチン体制が崩壊することをずっと祈り続けている。
ウクライナ市民が言うように、21世紀にこんなことが起きるなんて、またどんなことでも起こり得る、ということが眼前で繰り広げられている。
子安は末尾にこう記す。
「われわれが其処を立ち去ることのできない現場とするかぎり、小田はわれわれとともに其処にいつづける。それが死者との共闘であり、ほんとうの弔い合戦なのだ。」
ウクライナに平和を!!