マインド・コントロ-ルという言葉は、オウム真理教の問題が大々的に報じられてきたとき、ある種の流行語となっていた。しかしそれ以降、あまりみかける言葉ではなくなった。
『中日新聞』の書評欄に本書が紹介されていたことがあり購入してあったのだが、やっと読んだ次第である。マインド・コントロールは、カルト教団特有の言葉ではなく、日常生活と密接に結びついていることがよくわかった。
マインド・コントロールされる人は依存性が強い人であるとのこと、しかしそういう人はそこいらにたくさんいる。だから、政治の世界でもその影響が露出することがある。ナチズムに熱狂したドイツ国民が、それである。本書にもしばしばそれに言及がある。
未来に希望が見いだせないとき、「強い確信を持って希望を約束する救い主が放つ魅力に、知識人さえも容易に欺かれ、自分から進んでマインド・コントロールされてしまう」(212)である。
「多くの人が、強い確信を持って希望を約束されると、その言葉を信じてしまう。なぜなら、多くの人は、現実の世界では満たされない願望やフラストレーションや不安を抱え、希望や救いを求めているからだ」(213)
確かに、知性も品性もない、あたかも確信を持っているようにみえる輩が、「アベノミクスで・・・・」などと言われると、信じてしまうのだろう。その輩をみていると、「傲慢なまでの自信と揺るぎない確信」(56)をみてしまう。しかしこの説明は、オウム真理教のあのグルについての説明である。日本国民は、あたかもそのグルに付き従う信者のようだ。
「自信たっぷりに語る人に、日本人は騙されやすいのだ」(149)。
未来への不安を抱く人が多い日本、その時代にあの輩の支持率が高い。私は、その輩の周囲に、マーケティングの達人や、こうしたマインド・コントロールについて詳しい人がいるのではないかと疑っている。
あの輩は、今ハワイである。メディアは大々的に、彼の姿を流す。アメリカ大統領と一緒にいるところをみせつける。日本人の支持は高まる。
あの輩に勝手なことをさせないために、カウンター勢力は、不安を抱く一般庶民に届く声をつくらなければならないのである。
なお本書は、いろいろな点で勉強になる。