被差別にかかわる本の書評を依頼された。私は、被差別の歴史については、15年ほど前に静岡県にかかわる資料を集めて書いたことがあるが、その後はまったくご無沙汰していた。
書評を書くためには、その本だけを読むのではなく、現在の被差別を取り巻く全国的な状況や研究水準などをしらべておかなければならない。一冊の本の書評をするのもたいへんなのだ。
さてこの本は、被差別のことを「路地」と表す。それは今はなき、「路地」出身の中上健次が使い出したものだ。
著者、上原氏も大阪の「路地」出身である。その彼が、全国各地の路地を訪ね歩いて書いたものが本書である。かなり自由な書き方をしていて、地理的に飛んだり(それは「路地」同士は、遠方であってもつながりがあるからだ)、時間を行ったり来たりする(つまりそれぞれの「路地」ができた由来を書いたり、現在の「路地」の姿を描いたり)。
この本を読みながら、私が15年前に被差別を調べたとき、そこに生きている人々の生活をまったく書かなかったことに気付いた。私が依拠したのは、ほとんどが文献資料であった。二つの地区だけ訪ねて話を聞いたりしたが、その地域の生活を詳しく聞いたのではなかった。
私も、県内の被差別とされているところを歩いて、そこに住む人々と接触すればよかったと、この本を読みながら思った。
読み始めると、「路地」というものがどういうものであるか、それが地域差を伴ったり、あるいは普遍的なものもあったり、そういうところがきちんと押さえられている。
昨日読み始めて、今読み終えた。なかなか面白かった。書評を書く上で、参考になる考えもあった。
書評を書くためには、その本だけを読むのではなく、現在の被差別を取り巻く全国的な状況や研究水準などをしらべておかなければならない。一冊の本の書評をするのもたいへんなのだ。
さてこの本は、被差別のことを「路地」と表す。それは今はなき、「路地」出身の中上健次が使い出したものだ。
著者、上原氏も大阪の「路地」出身である。その彼が、全国各地の路地を訪ね歩いて書いたものが本書である。かなり自由な書き方をしていて、地理的に飛んだり(それは「路地」同士は、遠方であってもつながりがあるからだ)、時間を行ったり来たりする(つまりそれぞれの「路地」ができた由来を書いたり、現在の「路地」の姿を描いたり)。
この本を読みながら、私が15年前に被差別を調べたとき、そこに生きている人々の生活をまったく書かなかったことに気付いた。私が依拠したのは、ほとんどが文献資料であった。二つの地区だけ訪ねて話を聞いたりしたが、その地域の生活を詳しく聞いたのではなかった。
私も、県内の被差別とされているところを歩いて、そこに住む人々と接触すればよかったと、この本を読みながら思った。
読み始めると、「路地」というものがどういうものであるか、それが地域差を伴ったり、あるいは普遍的なものもあったり、そういうところがきちんと押さえられている。
昨日読み始めて、今読み終えた。なかなか面白かった。書評を書く上で、参考になる考えもあった。