9月から10月にかけて1ヶ月の間風邪を引き、何もできなかったし、何もしたくはなかった。その後そのしわ寄せが来て、依頼された仕事をこなすこと、今の時期を外すと農作物が出来ないため、ひたすら畑で汗を流すこと、それに多くの時間を費やし、なかなか読書ができなかった。やっと活字に対面する時間ができた。
昨日読んだ本は、『石油コンビナート阻止ー沼津・三島・清水 二市一町住民のたたかい』(技術と人間、1993)である。これは、遅くとも今年中に、この闘いについて書き上げなければならないので読んだのだが、現在の様々な闘いに示唆を与えるものだと思う。その一つは、学習の重要さである。知らなければ疑問もわかないし、行政や企業がやろうとしていることの結果がどういうことになるのか、それもわからない。学習をしないと、流されるままになってしまうということである。
TPPの問題など、それが実施されるとどうなるか、学習しないとわからない。学習もせずにいると、権力がやることは往々にして「正しい」ことだと考える庶民は、支持してしまう。その結果、多大な被害を被ることになる。
行政やメディアが流す情報だけに依存していると、本当のことを知ることが出来ない、だからこそ学ぶこと、学びあうことが必要なのだ。
それともう一つ。学びあう場が、町内会、婦人会など既存の組織で行われてきたことだ。いつもは「草の根保守」の現場であったところが、学習の場となり、闘いの場となる。そういう「草の根保守」が動いた闘いは、勝率が高い。
勝利した理由は、大きくはこの二つだろう。
ただそれだけではオリジナリティがないので、これから資料を見つめながら、新たな論点を見つけ出さなければならない。
そして次に読み始めたのが、マイケル・サンドルの『それをお金で買いますか』(早川文庫)である。市場主義が世界をおおい、何でもカネで買える時代となっている。しかしカネで買うべきではないもの、ことは、たくさんあるはずだ。その見極めを見つけたいと思って読んでいる。
読み進めているうちに、1980年代以降の経済学者の思考に大きな問題があることがわかった。彼らは机上の空論で議論していることだ。人間は、コストや効率のことを常に考えながら生きているわけではないし、それを十分に認識してカネをつかっているわけではない。にもかかわらず、それを前提にインセンティヴ(奨励金)を「武器」にして人々の行動を誘発して経済行動をとらせようとしているようなのだ。しかしその経済学者らは、現在の日本に見られるように、マクロ的な経済の流れをまったく把握できず、経済学者無用論まで出ている。経済学は、エスタブリッシュメントのために、カネもうけのテクニックを提供しているように思える。
この本は、まだ途中であるが、市場主義が席巻する時代に生きる人が読むべきものであると思う。
追記 これに関して、次の文から示唆を得ることが出来るだろう。
http://lite-ra.com/2016/11/post-2698.html