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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「音と、声と、匂い」

2016-01-13 09:04:31 | 日記
 「音と、声と、匂い」。これは藤本としさんに残されている感覚である。藤本さんはライ病者であった。あったというのは二重の意味だ。一つは、もう藤本さんはこの世にいないということ、もう一つはかつてハンセン病を患ったが後年はその後遺症があった、ということだ。

 藤本さんには触覚がない。ただ残されている触覚は、舌のそれであった。その舌で本(点字)を読み、それが何であるかを感得していた。

 藤本さんは、随筆家であった。彼女が書いたものを読むと、淡々と記されているその文に、思いがけない珠玉の文を見つける。

 藤本さんは聴覚、嗅覚をフル活用する。何らかの物に「出会った」とき、藤本さんはその物を打って音を聞く。すると、その物が何であるかを知るのである。藤本さんはこう記している。
 
 「これ何製なの・・・」と聞いてしまえば楽である。けれど・・・、これではあまりに自分が空しい。おかしなことでも馬鹿げていても、自分で理解し得たこの歓びには、少しばかり誇らかなものさえ加わって、ほのぼの身内がぬくくなる。生きているのだと、そう思えてくる。これが明日へつながる力になるのだ。

 何ごともみずから理解する、その歓びが生きていることを感じ、明日へつながるのだ。

 藤本さんは、みずからの人生を語った。それが「地面の底が抜けたんです」である。

 そこで藤本さんは「死に切る」ということについて語っている。

 死に切るというのは、まあ、言ってしまえば、苦しさであれ、悲しさであれ、徹底してひきうけるってことですかねえ。逃げきれるものなら逃げますけれども、もう、どっちむいたってどうせ苦労なんですもの、同じ苦労なら、いやいややったってしかたがないんです。それまでを、すっかり捨て切ってしまって、いっそおもしろくやってやろうと・・・そうでなければ、グチだけが残ることになります。だけど、捨てきるっていうのは、なかなかのことじゃありません。

 藤本さんの文を読んでいると、みずからの運命を引き受けて、そこに歓びと希望を作り出している姿が浮かび上がってくる。

 だから「地面の底がぬけたんです」の最後に、こう記すのだ。

闇の中に光を見いだすなんていいますけど、光なんてものは、どこかにあるもんじゃありませんねえ。なにがどんなにつらかろうと、それをきっちり引き受けて、こちらから出かけて行かなきゃいけません。光ってものを捜すんじゃない、自分が光になろうとすることなんです。それが、闇の中に光を見いだすということじゃないでしょうか。

 そして藤本さんは、今なお「光」を発している。

 この本、図書館から借りたものだが、書名は『地面の底がぬけたんです』(ほるぷ、1980年)。