goo blog サービス終了のお知らせ 

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】山本義隆『私の1960年代』(金曜日)

2016-01-03 20:55:12 | 近現代史
 将来を嘱望されていた山本義隆。社会や政治、学問のあり方に開眼してしまった彼は、ただ単に学問研究に専念するという道を選ばなかった。もと東大全共闘議長。『朝日ジャーナル』を読んでいたボクのところに、彼の動きは否応なしに入ってきていた。

 しかし学生運動の波が引いていく中で、いつしか彼の名も消えていった。ところが、『磁力と重力の発見』で大佛次郎賞を獲得するなど、突然ボクの視界に入ってきた。そうか予備校の先生をしていたのか。

 予備校には、学生運動をしていた優秀な人たちが、入りこんでいた。その業界だけが、過去のそうした運動経験などを問題にしなかった。彼もそうであったのだ。

 ボクはその本は読んでいないが(『十六世紀文化革命』は読んだ)、やはり出てきたかと思った。とにかくとてつもなく優秀な学者の卵であったから、当たり前だと思った。岩波書店の編集者で会った故吉野源三郎(この人については、ボクが尊敬する人の一人だ。岩波新書の『同時代のこと』はすごい名著であると今も思っている)の娘さんの家庭教師であったということも、吉野の本で知っていた。

 本書は、東大闘争のことだけではなく、日本に於ける科学技術の近代史が記されている。この点でたいへん参考になったことは先ず記しておこう。日本では、科学と技術がセットで欧米から輸入され、その科学技術は資本と軍事によって推進されてきたこと、その際に東大などがその先頭に立ってきたことなどが記述されている。その記述のために、彼はたくさんの本を読み込み、どうせなら『近代日本の科学技術史』として出版したらどうかと思うほどだ。

 本書でボクがもっとも関心を持ったことは、東大闘争がどう収拾されていったのか、ということ、そして彼がその後どういう生き方をしてきたかということである。前者については、実はあまりその関係の本を知らない。
 東大闘争の収拾に関して彼がどう考えているかを読み、あの収拾方法が欺瞞的であったことがよくわかった。

 彼のほうが年齢はずっと上だが、同じ時代の空気を吸っていたので、よくわかる、そして現在の日本社会のあり方に関する思いも同じだ。

 全共闘世代ということばがあるが、確かに1960年代後半から70年代前半は、学生たちが街頭にでたが、しかしそれとて全学生数からすれば少ない。そして街頭に出た学生たちの多くはその後、体制の中にきちんと入りこんでいった。
 この頃の志を持ち続けている人のほうが少ない。

 彼が、まだ志を持ち続けていることがわかっただけでも嬉しい。




「朝生」のいかがわしさ

2016-01-03 14:40:41 | メディア
 テレビ朝日の「朝まで生テレビ」。ずっと前に一度だけ見たことはあるが、それ以外見たことはない。司会者の田原なる人物の司会のやり方が、あまりに専制的独断的で、見るに値しない番組だと判断したからだ。

 さて12月31日にも放映したようだ。番組の中で、自民党の区会議員が鉄工業経営者として意見を開陳したようだ。自民党の区会議員という肩書きをいっさい出さないで。

 さてその区会議員。以前からも出演していたそうだ。テレ朝のディレクターと昔から懇意にしていて、その関係からの出演だったそうだ。

 区会議員が自民党議員であることを隠して出演し、意見を表明したことが問題とされているが、テレ朝のディレクターの行動に問題があるのではないか。 


 まあ「朝生」という番組のいかがわしさが露呈したということだ。みなさん、見るのはやめよう。

http://buzzap.jp/news/20160103-omori-akihiko-asanama/

奨学金

2016-01-03 09:24:33 | 政治
 今日の『中日新聞』に奨学金の記事があった。大学への進学が5割ということで、経済的に豊かでない家庭の子どもが大学へ進学している。日本の大学の学費は、私学はもとより、国公立でもなかなかに高い。今後は、文科省の方針で、学費を国公立大学も私学並みにあげていくようだ。となると、豊かでない家庭の子どもたちは、さらに多くの借金を抱えることになる。

 日本学生支援機構の奨学金には、無利子と有利子とがある。無利子の奨学金受給者は、有利子に比べると少ない。

 高等学校では、機構の奨学金を受ける希望をもつ高校生の申請を手伝っている。その際、親の経済状況などを資料として添付する。もちろんほとんどの高校生は、無利子を申請し、もし無利子の奨学金が取れない場合を考えて有利子のそれも申請する。

 どちらの奨学金を支給するかの判断は、学生支援機構が行う。ところが、その結果を見ると、なぜこの高校生が無利子ではなく有利子なのか、その判断に疑問を持つことがある。機構では、あまりきちんと精査しないで、適当に決めているのではないか。

 以前中国からの留学生の世話をしたことがあった。留学生は、日本にある奨学金を片っ端から調べ、そのなかから返済義務のない奨学金をさがし出して、うまい具合にそれを受給していた。

 奨学金といえば、日本学生支援機構の奨学金が代表的であるが、その奨学金は「学生支援」になっていない。逆に学生の未来を閉ざす役割を果たしているように思う。大学卒業時に、400万円から1000万円の借金を抱え、正社員でさえも低賃金という若者から返済させるというのは、あまりに酷である。

 日本は「豊かな国」とされていても、高等教育(全てのレベルの教育も)への国庫からの支出はあまりに少なく、また返済義務のない奨学金制度をもたない、驚くべき国家である。

 ボクは、多くの若者、いや返済している中年の人びとを苦しめている日本の政治に対する怒りが、あまりに少ないことを嘆く。

 来年度の予算でも、軍事費やアメリカ軍への「思いやり予算」などが増えている。あるいは大企業への補助金もかなり多い。

 我慢ばかりするのが「美徳」ではないのだ。