将来を嘱望されていた山本義隆。社会や政治、学問のあり方に開眼してしまった彼は、ただ単に学問研究に専念するという道を選ばなかった。もと東大全共闘議長。『朝日ジャーナル』を読んでいたボクのところに、彼の動きは否応なしに入ってきていた。
しかし学生運動の波が引いていく中で、いつしか彼の名も消えていった。ところが、『磁力と重力の発見』で大佛次郎賞を獲得するなど、突然ボクの視界に入ってきた。そうか予備校の先生をしていたのか。
予備校には、学生運動をしていた優秀な人たちが、入りこんでいた。その業界だけが、過去のそうした運動経験などを問題にしなかった。彼もそうであったのだ。
ボクはその本は読んでいないが(『十六世紀文化革命』は読んだ)、やはり出てきたかと思った。とにかくとてつもなく優秀な学者の卵であったから、当たり前だと思った。岩波書店の編集者で会った故吉野源三郎(この人については、ボクが尊敬する人の一人だ。岩波新書の『同時代のこと』はすごい名著であると今も思っている)の娘さんの家庭教師であったということも、吉野の本で知っていた。
本書は、東大闘争のことだけではなく、日本に於ける科学技術の近代史が記されている。この点でたいへん参考になったことは先ず記しておこう。日本では、科学と技術がセットで欧米から輸入され、その科学技術は資本と軍事によって推進されてきたこと、その際に東大などがその先頭に立ってきたことなどが記述されている。その記述のために、彼はたくさんの本を読み込み、どうせなら『近代日本の科学技術史』として出版したらどうかと思うほどだ。
本書でボクがもっとも関心を持ったことは、東大闘争がどう収拾されていったのか、ということ、そして彼がその後どういう生き方をしてきたかということである。前者については、実はあまりその関係の本を知らない。
東大闘争の収拾に関して彼がどう考えているかを読み、あの収拾方法が欺瞞的であったことがよくわかった。
彼のほうが年齢はずっと上だが、同じ時代の空気を吸っていたので、よくわかる、そして現在の日本社会のあり方に関する思いも同じだ。
全共闘世代ということばがあるが、確かに1960年代後半から70年代前半は、学生たちが街頭にでたが、しかしそれとて全学生数からすれば少ない。そして街頭に出た学生たちの多くはその後、体制の中にきちんと入りこんでいった。
この頃の志を持ち続けている人のほうが少ない。
彼が、まだ志を持ち続けていることがわかっただけでも嬉しい。
しかし学生運動の波が引いていく中で、いつしか彼の名も消えていった。ところが、『磁力と重力の発見』で大佛次郎賞を獲得するなど、突然ボクの視界に入ってきた。そうか予備校の先生をしていたのか。
予備校には、学生運動をしていた優秀な人たちが、入りこんでいた。その業界だけが、過去のそうした運動経験などを問題にしなかった。彼もそうであったのだ。
ボクはその本は読んでいないが(『十六世紀文化革命』は読んだ)、やはり出てきたかと思った。とにかくとてつもなく優秀な学者の卵であったから、当たり前だと思った。岩波書店の編集者で会った故吉野源三郎(この人については、ボクが尊敬する人の一人だ。岩波新書の『同時代のこと』はすごい名著であると今も思っている)の娘さんの家庭教師であったということも、吉野の本で知っていた。
本書は、東大闘争のことだけではなく、日本に於ける科学技術の近代史が記されている。この点でたいへん参考になったことは先ず記しておこう。日本では、科学と技術がセットで欧米から輸入され、その科学技術は資本と軍事によって推進されてきたこと、その際に東大などがその先頭に立ってきたことなどが記述されている。その記述のために、彼はたくさんの本を読み込み、どうせなら『近代日本の科学技術史』として出版したらどうかと思うほどだ。
本書でボクがもっとも関心を持ったことは、東大闘争がどう収拾されていったのか、ということ、そして彼がその後どういう生き方をしてきたかということである。前者については、実はあまりその関係の本を知らない。
東大闘争の収拾に関して彼がどう考えているかを読み、あの収拾方法が欺瞞的であったことがよくわかった。
彼のほうが年齢はずっと上だが、同じ時代の空気を吸っていたので、よくわかる、そして現在の日本社会のあり方に関する思いも同じだ。
全共闘世代ということばがあるが、確かに1960年代後半から70年代前半は、学生たちが街頭にでたが、しかしそれとて全学生数からすれば少ない。そして街頭に出た学生たちの多くはその後、体制の中にきちんと入りこんでいった。
この頃の志を持ち続けている人のほうが少ない。
彼が、まだ志を持ち続けていることがわかっただけでも嬉しい。