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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

地震

2015-05-30 22:57:38 | 日記
 今夜大きな地震が関東地方などであったそうだ。こちらは全然揺れることはなかったので、知らなかった。

 町田の住人から大きな地震があったという連絡があったのではじめて知った。「今日地震があったのですか」と返信したら、「いいねえ浜松は」だって。

 ネットでみたら新幹線が止まっていたり、なかなか大きく揺れたようだ。テレビをつけたら、エレベーターが止まったりして、地震の影響があんがいあったようだ。

 今日は、いつものように晴耕雨読の1日だった。午前中はレジメづくり。夕方は、レタスの苗を植え、ジャガイモを掘り出し、ダイコンも1本収穫。
 夏にほうれん草や小松菜を栽培する場合、虫がつかないようにしなければならないのでつくらない。しかしレタスやサンチュは虫がつかないのでつくりやすい。畑には、レタスやサンチュの葉が繁っている。

 


 

 

『信濃毎日新聞』社説

2015-05-30 21:19:20 | メディア
安保をただす 首相のやじ 国会の歴史に汚点残す 05月30日(土)

 安倍晋三首相は安全保障関連法案をめぐり「丁寧な説明」をすると訴えてきた。

 しかし、国会での首相の言動を見ていると、丁寧さはほとんど感じられない。逆に、荒っぽさがかなり目に付く。

 おとといの委員会審議がそうだった。民主党の辻元清美氏が機雷掃海に伴うリスクを追及しているとき、「早く質問しろよ。演説じゃないんだから」と、耳を疑うようなやじを飛ばした。

 辻元氏も「首相は延々と答弁したではないか」と反論。審議が一時止まる事態になった。

 自衛隊の他国軍支援を地球規模に広げる法案だ。隊員が抱え込むリスクや国民が被る影響など、野党が細部にわたって疑問点を追及するのは当然だし、政府は真摯(しんし)に向き合う責任がある。

 辻元氏の質問は国民の懸念を代弁したものだ。首相は陳謝したけれど、民意を軽んじる傲慢(ごうまん)な態度との批判は免れないだろう。野党は引き続き首相の姿勢を厳しくたださねばならない。

 首相のやじは初めてではない。2月にもあった。民主党議員が当時の農相の献金問題を追及していた際、「日教組はどうするの」などとやじを飛ばしている。

 27日の委員会では、自身へのやじに「議論の妨害はやめていただきたい。学校で習いませんでしたか」と野党議員をたしなめた。自分の言葉を棚に上げ、やじを繰り返す首相の姿は見苦しい。

 そもそも、首相は野党から批判されると、感情的になって強い不快感を示すことが多い。新たな安保法制も含め、強いこだわりを持っている政策に対する異論や反論に耳を傾けようとしないかたくなさと通じる。

 首相はリスクの高まりなどマイナス面にはほとんど言及せず、国民の安全に資するといった主張を繰り返している。丁寧という言葉を逆手に取って、持論を押し通すことで国会審議を乗り切る考えだとしたら問題だ。

 政府が出した法案は集団的自衛権の行使容認の基準をはじめ、曖昧な点が多い。国会はその問題点や疑問点を明らかにする場だ。首相らの答弁を聞いていると、審議は深まらずに、成立ありきで時間が過ぎる恐れがある。

 戦後日本の安保政策の大転換をめぐる重要な論議だ。首相の言動は品位と理性を欠き、国会の歴史に汚点を残す。

日本は素晴らしい?

2015-05-30 20:51:51 | 社会
 テレビをつけたら、外国の駅長を呼んで、東京駅のすごさを印象づけ、日本ってすごいだろう!!という番組をやっていた。

 イギリスから来た人は、メリルボーン駅の駅長さん。しかしイギリス・ロンドンの駅は、各方面からの鉄道線路が1箇所に集中するようにはなっていなかったと思う。日本では、各方向から東京駅1箇所に集まるようになっているけど・・・

 だから東京駅と比較して、東京駅はすごい!なんてやって何が面白いのかと思う。

 我が家から一番近い駅は、東海道本線の天竜川駅。キオスクはない。ホームにJR東海の社員は一人もいない。
 駅の窓口はいつも開いているわけではない。まず夜10時20分になると、駅は無人となる。昼間も断続的に窓口は閉鎖される。
 切符は自動販売機でしか買えないから、新幹線や遠距離の切符を買いたい人は窓口が開くのを待つか、隣の浜松駅で買うしかない。

 まったく不便この上ない。安全上もどうかと思う。

 東京駅を見せて、「すごいだろう、日本って!」をやるのではなく、天竜川駅を見せるべきだ。

 どこの国でも、「すご~い」というところと、「な~んだ」というところがある。「すご~い」ところを見せて、「日本ってすごいだろう!」と喜ぶ日本人って、アホ。

真宗大谷派も「参戦法案」に反対

2015-05-30 08:42:38 | 政治
安全保障関連法案に対する宗派声明発表

 このたび、国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、真宗大谷派では5月21日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。

 日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願う
「正義と悪の対立を超えて」

 私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて「真の平和」の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
 私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
 このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
 今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、「積極的平和主義」の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
 そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。

 「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、
 「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじ
  る愚行を繰り返してもよいのでしょうか」と。

 私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。
 
2015年5月21日
              
真宗大谷派(東本願寺)宗務総長 里 雄 康 意


 
http://www.higashihonganji.or.jp/news/declaration/10924/

第61回宗議会(常会)宗務総長演説(要旨)

http://www.higashihonganji.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/2015%E5%B9%B4%E3%80%80%E7%AC%AC61%E5%9B%9E%E5%AE%97%E8%AD%B0%E4%BC%9A%EF%BC%88%E5%B8%B8%E4%BC%9A%EF%BC%89%E5%AE%97%E5%8B%99%E7%B7%8F%E9%95%B7%E6%BC%94%E8%AA%AC.pdf

FIFAのカネまみれ

2015-05-30 07:33:33 | 社会
 FIFAがカネまみれとなっていることが報じられた。これについては以前から報じられていたが、実際スポーツはカネまみれだ。

 たとえば高校のスポーツ系部活。高校生は、公立高校であろうと、後援会費、PTA会費、生徒会費などを納める。そのほとんどが、スポーツ系の部活動に投じられる。スポーツ系に関係していない生徒(その保護者)は、スポーツ系の部活動に多額の寄付をしていることになる。

 最近、子どもの貧困が論じられるが、貧しい家庭の子どもはスポーツ系の部活動には参加させられない。なぜなら、多額のカネがかかるからだ。まずそれぞれの部活動は部費を納める。その額も、部活動によっては毎月1万円というところもある。それ以外に、遠征だといってはしばしば県外へ出かける、あるいはそれぞれのスポーツに関わる道具やユニフォームなどを買わなければならない。

 そして部費の使途は不明な場合もある。あるいはそれ以外に顧問にカネや商品券を贈る慣行もある。たとえば、スポーツ推薦で進学できたから・・などという理由で。

 とにかくスポーツ系の部活動は、多額のカネが動いている。

 スポーツマンシップなどという美しいことばがあるが、FIFAやオリンピック、サッカーくじ、新国立競技場の建設問題にみられるように、スポーツにはカネの問題がまとわりついている。