最近ボクは、某紙に以下のような文をのせた。「底辺の視座」という題だ。これはボクが歴史研究をする場合に、常に心がけていることだ。「底辺」から社会を見る、「底辺」から歴史をみる。「底辺」とは、差別され、抑圧され、搾取収奪される人間の眼で、社会や歴史を見るということだ。別の言い方をするなら、弱者の視点とも言える。
まずボクが書いた文を載せる。
視座
浜松駅からバスに乗って帰宅する。いつも車で通る道ではあるが、乗用車に乗って眺めるときと、バスの窓から見るときとは景色が大きく異なる。これが同じ道なのかと思う。
どこから、どういう視点から見るかによって、見え方が異なる。これは日常的に体験していることだ。そしてそれは様々な場面に通用する。
浜松市街地
今は少し改善されたけれども、駅周辺は障がい者や高齢者にはきわめて歩きにくい地域である。浜松駅前に立ち、目の前にある郵便局に行こうとする。もっとも速い行き方は地下道を通ることだ。健常者なら難なく行ける。しかし足が不自由な方、あるいは高齢者にとっては、地下道を上り下りすることはなかなかたいへんだ。それを避けようとすれば横断歩道をさがすことになるが、遠回りしなければならない。ヤマハ浜松店の前の地下道が横断歩道になったことで少しは近くはなったが、それまではもっと遠回りをしなければならなかった。浜松は、健常者中心、車優先のまちづくりであるといえよう。しかし、高齢者や障がい者に優しい街は、本当は健常者にも優しいはずなのだ。
区
「平成の大合併」で、全国第二位の面積を持つ浜松市が誕生した。それと同時に7つの区ができた。政令指定都市には区を設定しなければならないからでもある。さらに天竜区や北区などには、その下に旧市町ごとに地域協議会がつくられた。浜松市に合併された市や町の住民の声を拾い上げやすくするためであった。しかしそれはもうない、鈴木康友市政が廃止したのだ。人口が少ないところだと、市議会議員の当選も難しくなるから、地域の声が市政に通じなくなった。
そして鈴木市政は、今度は区の数を減らそうとしている。何ごとかを解決するために、今までは区役所に行けば良かった。もし減らされると、遠い浜松市役所に行くことになるのだが、またあの駐車場が車で数珠つなぎになるのではないだろうか。
区を減らすと人件費などが浮いて、より行政サービスが充実するというが、地域協議会がなくなって行政サービスは充実したのだろうか。
「効率的な行政運営」ということで、学校給食も指定管理になった。そうしたら、市内のいくつかの小中学校では、指定管理の業者が辞退して給食が提供できなくなっている。区の削減も、「効率的な行政運営」が旗印だ。区を削減して3区にすると10億円削減できるという。削減できたとしても、そのカネはどこでどう使われるのだろう。
区の削減問題も、どの視点からみるかによって評価は異なる。たとえば旧水窪町に住んでいる人から見たらどうなのだろうか。いずれにしても、区の削減は、住民自治を確実に犠牲にする。鈴木浜松市政は、住民自治を顧慮しないことで一貫している。
底辺の視座
どういうところから見るかというとき、私はもっとも弱者(交通弱者、買い物弱者、病弱者・・・・)の立場に置かれている人の視点から見たり、考えたりすべきだと思う。弱者が幸せな社会は、弱者ではない人にとっても幸せなはずだ。
今、格差(経済格差だけではなく、地域格差など)が拡大して、様々な弱者が誕生している。そうした弱者が生きやすいかどうか、政治の尺度はそこにあると思う。
底辺から見れば、その社会がどういう社会であるかはよく見えるのだ。底辺からはすべてを見通すことができるからだ。
『Journalism』5月号の、朝日新聞熊本支局の籏智広太さんの文章に、「弱者の可視化」ということばがあった。「「弱者」の側に立ち続けているか 学生時代からの問題意識引き継ぐ」というテーマの文である。籏智さんは、記者として「弱者の可視化」というテーマをもとに記事を書いているという。彼は学生時代にいろいろな人から学んでいる。土井敏邦さんからは、「権力や世の中の仕組みが生み出す、ひずみや不条理、そして差別にきちんと「怒れる」こと」を学んだ。学生時代に学んだ「思いやりと想像力、そして怒り」を意識するとき、背筋を伸ばすという。
「底辺の視座」からみつめること。しかしそれはその後、何らかのかたちで表現することへと至る。ボクも、歴史叙述というかたちで、あるいは講演などのかたちで、表現しているが、ボクの場合は内在的な方法による「弱者の可視化」ということになる。記者の場合は、外在的な「弱者の可視化」ということなのだろう。
いずれにしても、「弱者の可視化」は、現代社会においてきわめて重要な課題である。
まずボクが書いた文を載せる。
視座
浜松駅からバスに乗って帰宅する。いつも車で通る道ではあるが、乗用車に乗って眺めるときと、バスの窓から見るときとは景色が大きく異なる。これが同じ道なのかと思う。
どこから、どういう視点から見るかによって、見え方が異なる。これは日常的に体験していることだ。そしてそれは様々な場面に通用する。
浜松市街地
今は少し改善されたけれども、駅周辺は障がい者や高齢者にはきわめて歩きにくい地域である。浜松駅前に立ち、目の前にある郵便局に行こうとする。もっとも速い行き方は地下道を通ることだ。健常者なら難なく行ける。しかし足が不自由な方、あるいは高齢者にとっては、地下道を上り下りすることはなかなかたいへんだ。それを避けようとすれば横断歩道をさがすことになるが、遠回りしなければならない。ヤマハ浜松店の前の地下道が横断歩道になったことで少しは近くはなったが、それまではもっと遠回りをしなければならなかった。浜松は、健常者中心、車優先のまちづくりであるといえよう。しかし、高齢者や障がい者に優しい街は、本当は健常者にも優しいはずなのだ。
区
「平成の大合併」で、全国第二位の面積を持つ浜松市が誕生した。それと同時に7つの区ができた。政令指定都市には区を設定しなければならないからでもある。さらに天竜区や北区などには、その下に旧市町ごとに地域協議会がつくられた。浜松市に合併された市や町の住民の声を拾い上げやすくするためであった。しかしそれはもうない、鈴木康友市政が廃止したのだ。人口が少ないところだと、市議会議員の当選も難しくなるから、地域の声が市政に通じなくなった。
そして鈴木市政は、今度は区の数を減らそうとしている。何ごとかを解決するために、今までは区役所に行けば良かった。もし減らされると、遠い浜松市役所に行くことになるのだが、またあの駐車場が車で数珠つなぎになるのではないだろうか。
区を減らすと人件費などが浮いて、より行政サービスが充実するというが、地域協議会がなくなって行政サービスは充実したのだろうか。
「効率的な行政運営」ということで、学校給食も指定管理になった。そうしたら、市内のいくつかの小中学校では、指定管理の業者が辞退して給食が提供できなくなっている。区の削減も、「効率的な行政運営」が旗印だ。区を削減して3区にすると10億円削減できるという。削減できたとしても、そのカネはどこでどう使われるのだろう。
区の削減問題も、どの視点からみるかによって評価は異なる。たとえば旧水窪町に住んでいる人から見たらどうなのだろうか。いずれにしても、区の削減は、住民自治を確実に犠牲にする。鈴木浜松市政は、住民自治を顧慮しないことで一貫している。
底辺の視座
どういうところから見るかというとき、私はもっとも弱者(交通弱者、買い物弱者、病弱者・・・・)の立場に置かれている人の視点から見たり、考えたりすべきだと思う。弱者が幸せな社会は、弱者ではない人にとっても幸せなはずだ。
今、格差(経済格差だけではなく、地域格差など)が拡大して、様々な弱者が誕生している。そうした弱者が生きやすいかどうか、政治の尺度はそこにあると思う。
底辺から見れば、その社会がどういう社会であるかはよく見えるのだ。底辺からはすべてを見通すことができるからだ。
『Journalism』5月号の、朝日新聞熊本支局の籏智広太さんの文章に、「弱者の可視化」ということばがあった。「「弱者」の側に立ち続けているか 学生時代からの問題意識引き継ぐ」というテーマの文である。籏智さんは、記者として「弱者の可視化」というテーマをもとに記事を書いているという。彼は学生時代にいろいろな人から学んでいる。土井敏邦さんからは、「権力や世の中の仕組みが生み出す、ひずみや不条理、そして差別にきちんと「怒れる」こと」を学んだ。学生時代に学んだ「思いやりと想像力、そして怒り」を意識するとき、背筋を伸ばすという。
「底辺の視座」からみつめること。しかしそれはその後、何らかのかたちで表現することへと至る。ボクも、歴史叙述というかたちで、あるいは講演などのかたちで、表現しているが、ボクの場合は内在的な方法による「弱者の可視化」ということになる。記者の場合は、外在的な「弱者の可視化」ということなのだろう。
いずれにしても、「弱者の可視化」は、現代社会においてきわめて重要な課題である。