hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

日経新聞から学ぶ

2015-03-12 | スキルアップ 文章力

日本経済新聞:春秋を読んで

 

新聞のコラムを手書きで写す作業を毎日行っている。

大学ノートを半分に折り、左側半分に600字余りの文章を書き写す。

右半分には、自分の考えや感想を書く。

新聞のコラムに対する反論(?)はハードルが高い。

しかし、手書きで書き写すことで言葉や言い回しを覚えることができる。

さらにコジツケでも反論して自分の考え方を書くことは脳の活性化にもつながる。

では、今日の手書きの文章を書き写すことにする。

 

下記が本日(3月15日)の記事である。 

▼沖縄には「チュラカサ」という言葉があるそうだ。漢字だと「美瘡」、つまり疱瘡(ほうそう)(天然痘)をあえて美称で呼ぶのである。人を苦しめる天然痘と対決するのでなく上手に敬遠し、身をかわし、退散してもらう――。民俗学者の赤坂憲雄さんが「震災考」に書いている。

▼かつて岡本太郎が紹介したこの思想は、防災や減災にも通じるはずだと赤坂さんは言う。東日本大震災の巨大津波は、過去の教訓を生かした万里の長城のような堤防をも越えた。だからといってもっと高く長い防潮堤を、と抗(あらが)い続けるべきなのか……。そんな自問を重ねて、災害との向き合い方を考えてきた私たちである。

▼きのう午後2時46分、職場で学校で家庭で、みんなが心のなかで手を合わせたに違いない。あれから4年。1万5891人が亡くなり、いまも行方不明者は2584人にのぼる。暴威をかえりみつつ、しかし1秒後にはまた大地が揺れだしてもおかしくはないこの列島の宿命を思う。そして、ここで生きるすべを思うのだ。

▼チュラカサの思想は反文明ではなく、いかに抗っても抗いきれぬものをやり過ごす知恵なのだろう。必ずやってくる大地震や大津波の災禍をうまく避けること、そこからうまく逃げること。わずかな差で落命した多くの人たちが、その大切さを教えてくれていよう。5年目に入った震災後の社会は、なお学ばねばならない。

 

以下が、私の拙い意見である。

「命」を守るためには、「チュラカサ」の思想は大切である。上手に敬遠し、身をかわし、命を守る。素晴らしい考え方である。一方で、大地震や津波に対しては「チュラカサ」の思想だけで対応ができるのであろうか。確かに「命」を守るためには、上手に津波から身をかわし、逃げることである。そのためには避難路を造り、日々の教育が重要である。

もう一つの課題は、その後の生活である。命は助かったが、大地震や津波で家が無くなり、電気・水道・下水道・道路・橋梁・鉄道・港湾などのライフラインは使える状態ではない。そのために仮設住宅に住み、地元を離れる若者も多い。あれから4年が過ぎたが復旧・復興はまだまだである。

人間、命は一番大切である。次に大切なものが日常生活である。命の次に大切な日常生活を守るために、高く長い防潮堤を造っているのではないだろうか。この防潮堤について賛否両論あり、「景観が悪い」という人もいる。確かに景観も大切である。

ライフラインを守り、人々の日常生活を維持する方法は他にあるのだろうか。多くの関係者が議論を重ねた結果、他の方歩を見いだせなかったのではないか。防潮堤はベストの選択肢ではないかもしれない。だが今考えられるベターな選択肢として選んだ結果だと思う。

 


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