hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

「書くこと」は「価値の創造」だ

2012-04-26 | スキルアップ 文章力

「思考力を鍛える」について、3日目の考察である。

引用は、例のごとく、斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』から行う。

本日は『第1章:書くことは考える力を鍛える、第3節:書くことは価値の創造だ』から。

『文章を書く動機は、人に伝えたい中身があることになる。その中身を正しく伝えるためには、文章を構築する必要がある。論理的な文章で、かつ生命力があふれている文章がある。それは、構築できている文章であるかどうかで決まる。まず、読んだ側の「それで何なの?」という問いにこたえられるかどうか、つまり主題をきちんと打ち出せるかどうかである。
書くという行為に偶然などはない。
自分と正面から向き合って、人ははじめて文章を書ける。書くことによって、自分の意識の中を深く通過しているのだ。』

ブログをはじめて実質2週間余りであるが、書くことで自分を意識することに対して、強く感じている。書くことで、自分を見つめる行為となり、さらに意識の中に入り込み、過去の経験や体験を通じて、その結果どうであったか、推敲することにつながる。そのことが、自分にとってどのような価値であるのか、どのような意味があるのか、書くことによって、常に考えるようになった。私自身の思考力アップには役立っている。
まだまだ課題はある。自分中心から読み手中心の文章を書けるか?読み手がわかりやすく、また新たな気づきの発見につながる文章となると、もうひと山もふた山も越えなければならない。そのためにも、今はただひたすら量をこなすことで、質の向上に備えていきたい。

さらに、引用を続ける。
『書くことは意味を創出することだが、意外に多くの人たちに理解されていない。批評家の中には、作品をけなすことで、「自分はこんなに見る目がある」「自分はこういう考えだ」といった自己主張をしているのだ。それは「書く」という行為を根本的に間違えてとらえている。
作品を批評するとは、その作品とつながろうとしている読者に新たな出会いを提供することである。そこに批評を書く意味がある。
読者にその作品を読むときのとらえ方、つまり読者側の視野を広げ、きっかけを与え、読者の脳と作者の脳が感応して、そこで火花が散るような出会いの機会を与えるのが、本当の批評だろう。』

なるほど、思うようである。さすが氏である。今まで批評を読む機会は度々あったが、批評の中身を気にして本を購読していたが、批評の仕方には目がいかなかった。
これからは、判断基準として、「読者にその作品を読むときのとらえ方」が書かれているかを確認し、さらに「読者側の視野を広げ、きっかけを与え、読者の脳と作者の脳が感応して、そこで火花が散るような出会いの機会を与えているか」などをチェックして、本の購読を決めたい。


『書くという行為は、新しい意味を生み出すことである。意味を生み出すとは、価値を創造することだ。』

『どんなことにもいえるが、「価値を高める」「価値があるものを見つける」「新たな価値を創出することは大変である。』

『何かを取り上げて書くときは、そこに新たな価値を発見し、生み出すことを意味しているからだ。』

新しい意味を見出すこと、つまりイノベーションである。

ドラッカー流に考えてみよう。

一般に、製品やサービスは、すぐに陳腐化する。長くても10年である。だから、常にイノベーションを行い、顧客を創造し、市場拡大とつなげている。

売りたい作品として、「文字を書くという行為」から生まれた作品を製品(商品)と考えるならば、顧客の潜在的欲求を掘り起こし、有効需要に変化させ、顧客と市場を誕生させることである。
では、どうするか。
ドラッカー氏によれば、マーケティングとイノベーションを行い、顧客を創造することである。
その際、顧客が求めているものは、「文字を書いたもの」ではなく、そこから生まれる「効用」である。つまり、作品を読むことにより得られる満足感や気づきである。

ベストセラーになる本とそうではない本違いは何か?
ただ、著者の自己満足(?)から生まれた作品は、ベストセラーになるのは難しい。それは顧客の潜在的ニーズを無視しているからである。
一方、池上彰氏の「伝える力」などの作品は、TVのこどもニュースからはじまり、明らかに社会のニーズや読者の潜在的な欲求を掘り起こし、実質的な需要に結びつくように書かれている。だから100万部売れるのである。

話は変わる。
誹謗中傷について、引用する。
『書くときにもっとも注意しなくてはならないのは、誹謗中傷しないことだ。インターネットの中の掲示板などは、誹謗中傷が横行している。
たしかに書く人は、悪口を言うことによってストレス解消になっているかもしれない。しかし、読む側にとってはけっしていい気分ではない。ストレスをそこら中にまき散らしているようなものだ。』

たしかに、掲示板等では、誹謗中傷は多い。
その昔、私はあるフォーラムで批判されたことがある。批判するする人は、巧みな文章を書き、まわたで締め付けるように、周りからじわじわ取り囲み批判してきた。当時の私には、文章力など全くなく、反論の文章を書いても真意が伝わらず、さらに締め付けが強くなるばかりであった。結果的には、その批判から逃げられなくなり、ストレスもたまり、そのフォーラムから脱退した。いやな思い出の一つである。

『インターネット上で誹謗中傷など絶対にしないというルールを身につけたい。』
『書くことは、価値を下げるのではなく、価値を見出すための行為であることをぜひ意識してほしい。』

その通りである。

その昔、社内監査員をしていたときの話である。
各部門の業務状況をチェックして、「できている」「できていない」と判断していた。
さらに、被監査部門には「できていない原因として、○○がである」と反省文を書かせ、その結果を総括していた。監査方法としては、間違っていないと思うが、受ける立場としては面白くない。いくらルール通り行っていたとしても、面白くない。あらを探され、批判され、反省文を書かされ、さらに社内で公表されてしまう。
今考えれば、いくら業務であっても得策ではない。このようなやり方は、人間としてモチベーションが上がる方法ではない。

今ならどうするだろか。たとえば部下に対する人事評価では、「できていない」というような否定的な表現は使用しないようにしている。
「○○に課題がある。今後この点で創意工夫することで、成長することが可能である。今後を期待したい。」
このようにプラス表現を利用して書くことで、書かれた方はそれほど気分は害しないし、次へのチャレンジ精神が生まれ、その後頑張っている。
このように、書くことに意味を持たせることは、重要であることを最近実感している次第である。

引用に使っている、斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』は3部構成である。
今回は、第1部の「書くことは考える力を鍛える」、つまり初級コースに対して、考察が終わったところである。

初級コースを卒業(?)するには、ただひたすらに、トレーニングを行う必要がある。

目標としていることは、ブログとしての文字数で、

『10万字』

現在、やっと3万字をクリアしたところである。

10万字に達するころには、私も少しは『書く力』が成長することだろう。

自分に期待したい。

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