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からみ・鍰の由来(14) 「鍰(しぼり)」は、泉屋「上棹銅帳」貞享4年(1687)にあり

2021-05-09 09:01:38 | 趣味歴史推論
 近世初期に開発された南蛮吹は、「南蛮しぼり」「しぼり吹」ともいわれ、「しぼり」に対して、一般には「鉸」の字を使ったが、住友では、「鍰」を使った。抜銀した銅を「しぼり銅」といい、「鉸銅」「鍰銅」を使った。結果、江戸期には、「鍰」が「しぼり」と「からみ」の二つの意味で仮借されたのである。どちらが先かを知るために、鍰(しぼり)の字の記録を探った。その結果、上棹銅帳の貞享4年(1687)~元禄11年(1698)に数多くの記録があった。

1. 「上棹銅帳」(1687~1698)1)
①貞享4年卯(1687)5月より9月まで →図1
(A)  240,043斤  代 203貫222匁8分 (銅100斤は銀84.661匁)
・間吹(B)  31,172斤  代 27貫951匁9分3厘 (100斤89.67匁)
・ほと(C)  7,252斤  代  5貫811匁1分3厘 (100斤80.126匁)
・合ほと     226斤  代 169匁5分    (100斤75匁)
・白根銅     330斤  代275匁2分8厘    (100斤83.42匁)
・(合計)鍰銅(D) 279,023斤  代237貫430匁6分4厘(押合100斤85.0935匁)
②元禄11年寅(1698)7月より12月まで →図2
(A) 297,947斤5  代 259貫964匁2分5厘(銅100斤は銀87.25匁)
・間吹(B) 432,631斤  代 356貫185匁1分 (100斤82.33匁)
・程銅(C) 20,181斤5  代 17貫557匁9分 (100斤87匁)
・(合計)鍰銅(D) 750,760斤  鍰銅請払帳  代銀633貫707匁2分5厘

上記のような2~6ヶ月毎にまとめられた記載が貞享4年(1687)3月~元禄11年(1698)12月の11年間に39ヶ所ある。
A,B,C,Dに相当する語の数の内訳は、以下のようになる。
 A:  27  上鍰 6  鍰銅 5  鉸銅 1            合計 39ヶ所
 B: 間吹24  間吹銅7  真吹4  まふき1  まふき銅1  なし2  合計 39ヶ所
 C: ほと 22  ほと銅 10  程銅 4  程 3           合計 39ヶ所
 D: 銅 17  鍰銅 16  鉸銅 4   2            合計 39ヶ所
 
2. 「銅座公用留」(1701)2)
 覚 →図3
多田鍰銅2257貫目
 右は銅致所持候、銅座へ御買可被下候哉、又は入札にて売払可申候哉、但毎年拙者方より長崎銭座下地かねに吹合申候に付、その合かねに吹申度御座候、御指図次第如何様共可仕候、以上
 巳(元禄14年 1701)4月9日       塚口や長左エ門 印
・---
・多田銅入札有之銅の内、此方・大塚や半分宛買取候に付き、大塚や一所に銅座へ断候書付扣
 長谷川六兵衛様御代官多田鉸銅2159貫400目、今日入札御座候、右銅高の内1079貫700目、値段銅10貫目に付き59匁4分替に、私方へ買請申候に付き、御断申上候。残る銅は右同値段にて大塚屋甚右衛門方へ買請申候、以上
 巳4月9日                泉屋吉左衛門 印
                         金福 印
「銅座御用扣」(1702)3)
 覚
・長谷川六兵衛様御代官所多田鍰御銅2183貫800匁、昨11日入札にて御払被為成候、この内1091貫900匁、私方へ買受申候、相残り銅、富屋藤助殿へ買受被申候に付、御断申上候、以上
 午(元禄15年 1702)6月12日      いつミや吉左衛門
 銅座御役所     一枚宛
 長井藤右衛門様 

3. 「鼓銅図録」(文化8~13年(1811~1816)の著作)の南蛮吹
増田綱が著した鼓銅録には、南蛮吹の解説に、「是をしぼりと名づく。字は住友氏は鍰を用ふ。其の他は通じて鉸を用ふ。倶に仮借なり。」とある。「鼓銅図」には、「此の銅をしぼり銅といふ」「鍰吹用具」とある。

考察
1. Aは、「鍰」の字が38ヶ所とほぼ全てが「鍰」を使っているが、「鉸」が1ヶ所あった。
Dは、銀の含有されない銅(間吹やしぼり銅)を指しているが、これを抜銀した銅である「鍰銅」と書いたのが、半数ある。
2. 銅座公用留および銀座御用扣においては、泉屋、塚口やが、多田銀銅山の山元で抜銀された銅を多田鍰銅、多田鉸銅と表示している。使い分けには厳密さはなかったことが伺える。
なお小葉田淳には、「鍰銅とは山元で抜銀した銅を示し」と書いたものがあるが、4)これは正確ではない。住友史料館によれば、山元だから、大坂の吹所だからといった理由で、鍰・鉸の使い分けがされたわけではないとのことである。
3. 貞享4年よりもっと古くから「鍰(しぼり)」は使われていた可能性が高い。
4. 「ほと銅」とは、吹床(南蛮床など)の炉口に溜まる銅のことをさす(住友史料館による)。「程」とも書かれており、「程」の読みは「ほど」であること、火床(ほど)からみて、読みは「ほど銅」であると筆者は思う。
5. 今日、鍰(しぼり)は、生き残っていない。鉸(しぼり)は、金属加工の「へら鉸(しぼり)」で使われている。

まとめ
 泉屋の「上棹銅帳」の貞享4年(1687)に、鍰(しぼり)、鍰銅(しぼりどう)があった。
 鍰(しぼり)は、鍰(からみ)より100年以前から使われていた。


 鍰(しぼり)については、日暮別邸記念館館長倉本勉氏、住友史料館にご教示いただきました。お礼申し上げます。

注 引用文献
1. 住友史料叢書「上棹銅帳」p217,390(思文閣 平成元年1989)→図1,2
2. 住友史料叢書「銅座公用留」p64(思文閣 昭和64年 1989)→図3
3. 住友史料叢書「銅座御用扣」p296(思文閣 昭和64年 1989)
4. 小葉田淳「日本鉱山史の研究」p27(岩波 昭和43年 1968)
図1. 上棹銅帳 貞享4年


図2. 上棹銅帳 元禄11年


図3. 銅座公用留 元禄14年



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