おとうちゃん、おめでとう 苦い「まやかし嬢」

2012-04-01 20:00:00 | 日記風
 わたくしごとであるが、4月1日は私にとっていつの間にか記念日になってしまった。

 私の本「まやかし嬢」のおとうさんの誕生日が4月1日である。「エイプリルフールに生まれ冗談のような人生を送ったおとうさん」なのだ。
 その父が胃がんで余命3カ月であるというのがスト―リーの一端をなしている。そして4月1日としたのはそれなりに重い意味があってのことだった。


 でもこれを出した頃、本当に辛かった。これを書いてしまってよかったのだろうかと悩みに悩んだ。

 出した同年、劇団の師であるつかこうへい氏が肺がんに冒されていた。


 これは単なる偶然だ。

 私がこの話を出したのは2009年の暮れのことだ。しかし原型ができたのはそれより2,3年前のことだ。



 しかしこの事実は痛いほど心に突き刺さる辛い出来事だった。



 私がこんなものを出したから…そう自分を責めたくなるようないやな偶然だった。


 作品は作品である。私の生命を半分上げて1人で生きていけるよう、手放した娘だった。

 しかしどちらの事実も忘れることもできず、私にとっては重い現実である。


 作品(わが子)はどんなにしても作品(わが子)である。忘れることも否定することもできない。


 だから、せめて私だけでも「おとうさん、おめでとう」と言っておきたいのだ。

 おとうさん、いつまでも元気でいてね。





 タイトルをおとうちゃんとしたのは、私が子どもの頃、実の父をそう呼んでいたからだ。

 おとうさんとおとうちゃん。共に大きく心に残る人物なのだ。
 師と共に。

それを韓国では卵かけご飯と呼ぶらしい

2012-04-01 18:00:00 | 日記風
 日本では定着し、それ用の醤油まである卵かけご飯はある地位を築いている。

 はて世界にそういうご飯はあるのか?
 同じご飯を食べる国、韓国でも ケランパブ もしくは カンジャケランパブ があるそうだ。

 前者は卵ご飯、後者は醤油卵ご飯となるようだ。


 しかーし、それを生で食するわけではない。
 目玉焼きとして食するのだ。


 醤油をご飯にかけその上に目玉焼きを乗せることをいうそうだ。

 そして混ぜ混ぜが大好きな国らしく、かき混ぜていただくのが正統派の食べ方だそうだ。


 これをお弁当として持参することもあるそうだ。韓国人には当り前のご飯だ。

 白いご飯に赤い梅で日の丸の弁当のように、白いご飯に白と黄色が映えるお弁当。それをビビンバのごときかき回していただく。


 うーん、想像がつかない。
 
 そして日本のように目玉焼きを食べる際、醤油をかける派、ケチャップをかける派、マヨネーズをかける派と別れるように、胡麻油を添える、バターを入れる。コチジャンを入れると色々あるそうだ。

 目玉焼きの焼き具合もそれぞれの好みだ。半熟、完熟、黄身を潰しておく。それぞれの趣味で違うらしい。

 夫婦でさえ、喧嘩になるくらい好みがあるものね。




 っていうか、こういうみんなが食べるものってそれぞれ好みが入るから難しいのよね。



 生卵自体は食べる習慣がないそうです。


 そうだよな。今でさえ当り前に卵かけご飯で生卵を食べるけど一昔前の日本人は生卵でご飯を食べるのは男性で、女性はそれを野蛮と感じる時代があったもんな。

 知り合いの夫婦だって、旦那さんが独身の頃はこれが好きだったけど、彼女が嫌がるからと止めたくらいだもん。

 一般にいいと認知されだしたのは日本だってそんなに遠い昔からじゃないのよね。



 私もよく定着したなって思う。子どもの頃は食べていたけど今って食べないもん。流行りでも、どこかであんまり食べない物だって記憶ができたから必ず火を通してって方が多いもの。


 それって今としては損なのかしら?

韓国食材店のお土産

2012-04-01 15:00:00 | 日記風
 単にお買い物しちゃったってだけです。



 あわびのもち米のかゆ



 ひまわりの種のチョコらしい。



 とうもろこしのひげのお茶。これは前に仁川の空港で買って感動したんだけど、飲んでも美味しいとは思えなかったのね。でも後から薫るとうもろこしの風味が何とも言えない。

 パックになってるのもあるからそれを買ってきて作って冷やして飲むのも暖かくして飲むのもよしかもしれない。


 まあ、またそこへ行けばですが。


 仕事の合間にざらっと行っただけなので、もういけるか判らない。


 でも異国はいいよ。今は私にとってのワンダーランドで新天地。


 心が救われる瞬間だった。

がんじがらめの国の中で何を見る

2012-04-01 02:00:00 | 日記風
 私、思ったんだけど、ちょっとしたことで、今日の落ち込んでいた気分が上がったんだよね。


 その理由が韓国食材の店に行ったこと。

 別に韓国である必要はない。フランスでもイタリアでもいい。単に日本じゃない国の文化に触れたいのだ。

 読めない字を辿りながら、その国特有の道具や化粧品を見ていると気分が落ち着いた。


 これは単に海外に出たいと、それだけじゃないか?


 どうしてもね、言葉の通じない国に行くと、必死になるんだよ。身体の底から生き抜いてやるという、多分日本人にとっての戦後の混乱期を生き抜いた強さがわきあがるんだよ。くだらないことに悩まない本能が動くんだ。

 私にはそれが大事なのかもしれない。

 今、欠けているのはそのハングリーさなのかもしれない。


 様々な理由でそんな簡単に実行できないけどね。


 時期が来れば大丈夫かもしれない。

 そしたらパリへ行く。パリしかない。こんなの理屈じゃないからね。


 日本無理だー。


 しがらみに縛られて辛い。

 でもそれを断ち切れるときじゃない。今は我慢なんだ。

 それでも私をがんじがらめにしてる。


 でも我慢だ。


 その時が来れば…なのだろう。


 まあ、違う国にいればいるほど異国を感じて泣き暮らす日々も長いだろうけどさ。
 それに耐えることが私にはいる。


 ずっと前からパリにいたかったもん。ずっとずっと思ってたんだもん。

 やはりそれを望んでいるんだと思う。