涼風野外文学堂

文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身の回り徒然日記系。

御茶ノ水・マイ・ラヴ。

2006年07月31日 | 日記・身辺雑記
 免許の更新に行って参りました。千葉県の免許センターというのは幕張にあって、半日もあれば行って帰ってきて午後から普通に勤務できる程度なのですが、贅沢にも丸一日休暇を取って、ついでに御茶ノ水まで足を伸ばしてきました(ついで?)。
 で、三省堂本店にて稲葉振一郎「モダンのクールダウン」を買ったり(これを種本としたブログ論を後日書きます。多分)、中古CD屋で昔友人に貸したきり回収不能になっているCDを十年ぶりに買いなおしてみたり(Bunちゃん、これ見てたら速やかにコーネリアスの「69/96」を俺に返すように(笑))、かれこれ6、7年ぶりにマジック・ザ・ギャザリングのブースターパック買ってみたり(第9版だってよ。俺がやってた頃第5版だったぜ?ホビージャパンからタカラトミーに版権移ってるし)色々好き勝手に遊び歩いてきたのです。今日はそんなプライベートな話で。

 退屈を承知で個人的な経験を語らせていただきますと、御茶ノ水という街にはちょっとした思い入れがあります。といっても、大学入学前の一年間(要するに浪人時代)、御茶ノ水にある予備校に通っていた、というだけのことなのですが。ご多分に漏れず、受験勉強などそこそこに、三省堂行ったり書泉ブックマート行ったり古本街うろついたり芳賀書店行ったり(?)街中をうろうろしておったわけです。かれこれ十年以上前の話ですが、現在の私の基礎となる部分はこの頃に形成されたように思ってますし、また、この御茶ノ水なる街自体も、十年前と本質的に違いはないのかな、と感じさせる何かがあります。
 私自身の主要なプレイタウンの移り変わりを振り返れば、高島平→津田沼→千葉→御茶ノ水→札幌→再び千葉、と移動を続けてきたわけですが、それぞれの環境を受容したときの自分の年齢と相まって、少しずつ「自らと異なるもの」に自分を慣らしていく過程であったように思います。つまり、私が生を受けて物心つく頃までを過ごした高島平は、典型的なニュータウンで、そこにいる子供たちもその属する家庭も皆似たり寄ったり、右も左も同類ばかりで、基本的にそう大した違いはなかった。ところが、津田沼→千葉→札幌と続く移動は、お上品なニュータウン住民だけでなく、より雑駁なものものを飲み込む「都市」へと、段階的に自らを慣らしていくように、結果的になっていたわけです。
 そのような流れの中で「御茶ノ水」は明らかに異質な街です。「生活」の必然から徹底的に遠ざけられていることの帰結でしょうか。それまで、生きるために考えることしかできなかった私が、ここでようやく、考えるために考えることを可能にしたように思います。津田沼にいたときは津田沼の中で津田沼のことを考え、千葉にいたときは千葉の中で千葉のことを考えることしかできなかった私が、御茶ノ水に至ってようやく、「御茶ノ水という辞書で津田沼を引く」「御茶ノ水という辞書で千葉を引く」ことができるようになった。個人的には、御茶ノ水はそのような変化をもたらしてくれた街なのです。

 えーと、つまり、何が言いたいのかというと、本屋って大事だねということ。かな?

 考えようによっては、神田の古書店街というのも一種のテーマパークであるわけで、私は単にそれに乗せられている愚鈍な大衆の一員に過ぎないのかもしれませんが、巨大な「ライブラリ」としてあるところの御茶ノ水-神田というのは、生活の臭いをあらかじめ排除されてあることが、必要なのではないかな、と思います。図書館でものを食べてはいけません、というのと同程度に。
 いや、もちろん御茶ノ水にも飲食店はあるのです。しかし、あくまでその店内で飲食を行う(あるいはそれに付随して調理済みの食品をテイクアウトさせる)店なのであって、例えば食材を販売するスーパーマーケットは(少なくとも表面的には)見当たらない。そういうことって、案外この街を訪れる人の思考にとって重要なんじゃないかな、という気がしています。
 ですから、靖国通りからさほど離れていない辺りに、近年、中高層のマンション建設が散見されることが、私にとっては、多少不安なのです。もちろん、学生向けのワンルームマンションが何棟か建ったくらいで、御茶ノ水-神田の街がすかさず恵比寿ガーデンプレイスや六本木ヒルズに変化する、ということはありえないと思ってはいるのですが、それでも、もう少し靖国通りから見えないところに建ててもらえないもんかな、と、自分勝手なことを考えてしまう程度には、不安を感じているのです。
 御茶ノ水が、この先十年後も私の愛する街であり続けていますように。

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彼らを「ホームレス」と呼ぶことの問題について。

2006年07月29日 | 政治哲学・現代思想
 ここ数年の「現代思想」は、なんかレベルが落ちたような気がして(要するに書き手が私の好みと合わないだけなのですが)あまり注意して見ていなかったのですが、今回(8月号)は、私の趣味がどうこうというよりは、仕事上読んでおくべき気がして、珍しく購入してしまったのでした。そんなわけで今日は「現代思想」8月号「特集――ホームレス」に触発されて若干思うところを。

 今号の現代思想には、現場の人々――実際に野宿生活をしている人や、支援活動をしている人などの意見を数多く掲載しているのですが、そうなると、どうしても、現場視点からの声になってしまう。出される意見が対症療法的になってしまうし、大所高所から語ることは難しい。
 もちろん、大所高所からの意見だけを並べられて、現場の実感が届かないというのも問題なのですが、他方で、現場の意見であるがゆえに全体像が掴めないという問題もあると思います。双方が双方の意見の間を行ったり来たりすることが最良なのですが、いわゆるホームレスの問題系については、そうした相互交流もどうも困難な状況に置かれているように思います。
 問題を複雑にしている最大の原因は、この「ホームレス」というネーミングそれ自体にあるのではないか、と思います。いわゆる「ニート」についても同じことですが、「ホームレス」というのは、「路上生活・野宿生活をしている」というひとつの「状態」を指す語であって、そのような「ホームレス状態」に陥った「原因」について言及することはない。そうであるがゆえに、いわゆる「ホームレス」と呼ばれる人々がそれぞれ抱えている個別の問題を隠蔽してしまう危険があるのではないでしょうか。
 さらに言えば、「ホームレス」と名付けられることによって、「ホームレス問題」の主たる部分は、「定住する(合法的な)居住地を持たないこと」であると理解されてしまう。そのため、「ホームレス問題への対策」が「当面居住する場所を与え、職を斡旋すること」になってしまう。あるいは「シェルターに放り込んで生活保護与えて終わり」になってしまう。場合によっては民間のシェルター施設が、「取りっぱぐれのない賃借人」としていわゆるホームレスの人々を囲い込み、その生活保護費をほとんど根こそぎ巻き上げ、それで行政も地域住民も「街からホームレスがいなくなった」ということで問題の一応の解決にしてしまう。
 本来、ホームレス問題とは単一の問題ではなく、多種多様の問題であり、解決の手法も多岐にわたるべきなのではないでしょうか。支援センターからハローワークに通わせることで解決する事例もあるでしょうし、それでは解決しない事例もあるでしょう。解決しない事例については、別の方法を考えるべきなのです。例えばアルコールやパチンコへの依存症を有していたら、まずそれを治療しないことには自立も何もあったもんじゃないですよね。職業訓練が効果を発揮する場合もあるでしょうし、単に「生きがい」を見つければ済んでしまう場合もあるかもしれない。案外、ボランティア活動とかをやらせると大成功するタイプもいたりして。
 本来、こうしたデリケートな問題に、単一の名前をつけてカテゴライズするような、ある種の暴力に、抗していくべき立場にある「現代思想」あたりが、表紙にでかでかと「ホームレス」と書いてしまうというのは、少しばかりデリカシーを欠いているのではないかな、と思います。

 いわゆるホームレス問題にはもう一つ看過できない問題がありまして、この「現代思想」に収録されているような「現場の人々」の声にも、「自己決定」という用語が繰り返し(肯定的な用法で)出てくること。これは危険だと思います。「自己決定」という語は往々にして「自己責任」とワンセットになっているので、いわゆる「ホームレス」の立場から「自己決定」を声高に主張することは、「お前が路上生活をしているのは、お前に労働する意欲がない/努力が足りないからだ」という「自己責任論」に力を与えてしまうことがあります。
 福祉と「自己決定」とは本来相容れないことを、行政サイドも受給者/支援者サイドも意識すべきなのではないでしょうか。いわゆるホームレスにしても、障碍者にしても「自立支援」の用語のもとに、自己責任の名のもとに、福祉の制限がどれだけ課せられてきたことか。
 戦時下のイラクにいた若者たちを不当に論難した者たちの論拠が「自己責任」であったことを思い出してみてもいいと思います。「自己責任」の語を、自ら責任を取る側の人間が用いることは、まずないと考えていいでしょう。自己責任とは責任を逃れる側の論理なのです。
 その点から考えると、いわゆる「ホームレス」やその支援者たちが「自立」や「自己決定」をやたらに主張することは、却って「福祉切り捨て」により実質的に排除される帰結を招きかねないと思います。何がゆずれない部分なのか、どのようなサーヴィスを受給される必要があるのか、戦略的な選択を必要とする段階にきているのではないでしょうか。

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「外来語言い換え」に見る日本語の臨界。

2006年07月27日 | 文学
 仕事中にたまたま、国立国語研究所のやってる「外来語言い換え」についての話題になりました。私はあの活動には総じて反対(理由は「センスが悪すぎるから」。大体「ユビキタス」を「時空自在」なんて訳すその感覚が分からない)なのですが、そこからふと、なぜ「今」外来語がこんなに攻撃されなければならないのだろう、という疑問を抱いたのでした。今日はそんな話題で。

 ご承知のとおり、現在日本語として流通している語彙をざっと眺めてみても、伝統的に、日本語が特段外来語への寛容度が低いということはなかったようです(「かるた」とか「いくら」とか)。
 そもそもわれわれの使っている文字からして「漢字」なのであって、これは字面どおり「漢-字」ですよね。英語で言えばChinese Characterです。大陸伝来です。われわれが日常何気なく使用している、日本語古来の伝統的な語彙だと信じているものも、漢字にして、音読みか訓読みか考えてみて、音読みだったら中国語由来じゃないか、とちょっと疑ってみた方がよいです(もちろん、和製漢字とかもあるので一概には言えません)。
 その流れからいけば、日本語の語彙が外来語を取り込んで豊富になっていくのはむしろ自然の流れであって、何を目くじら立てることがあるんだ、という疑問が浮かばないでしょうか。外来語を取り入れる、というのは、往々にして、日本語に直訳すると失われてしまう微妙なニュアンスを含めて言い表したいからであって、日本語表現をいっそう豊かにするものなのであって、歓迎されこそすれ、どうして批判されなければならないのでしょうか。

 ……という風に考えてきた中で、ひょっとしたら、日本語が外来語をカタカナとして取り込むことそれ自体が問題なのではなくて、最近、その外来語の量が多すぎるという、ただ単にそれだけの問題なのではないか、ということに、ふと思い当たったのです。
 もちろん厳密な統計を取ったわけでもないので憶測でしか語れません(そもそも統計なんて取りようがない)が、単純に量の問題だ、というのはなかなか魅力的な仮説だと思うのですが、どうでしょうか。外来語が問題なのではなくて、最近外来語が多すぎるのが問題だ、と。若い子はいいけどわしら年寄りにはついていけないヨ! といった風に。
 仮説の上に仮説を組み立てるのは本来反則ですが、仮に、近年外来語の流入量がどんどん増えているのだとするならば、その原因は何でしょうか。やはり、コミュニケーションツールやメディアの変革がその背景にあると、意識せざるをえないのではないでしょうか。(ラジオからテレビへ、新聞からウェブへ、手紙からケータイへ)

 加えて、国研の言い換え対象に挙げられている「外来語」が、やたら専門用語っぽいものばかり含んでいるように感じられるのは、私だけでしょうか。行政白書からのサンプリングが多すぎるのかな。「コンソーシアム」とか「オピニオンリーダー」なんて、ビジネスの場面でしか使わないでしょうし、「サマリー」とか「アジェンダ」なんて論文書くときしか使わないでしょう。
 逆に言えば「専門用語が日常用語化している」ということでもあるでしょうから、これはこれで注目すべき現象であると思います。ついでに言えば、もとが専門用語なのだから、無理矢理「翻訳」しちゃったら余計意味が通じなくなりますよね。

 総じて、「ついていけないくらい外来語が流入している」という現状は、「時代は新しい日本語を必要としている」という、さらに言えば「日本語の大転換期」を目前にしている、という認識を新たにさせてくれるのではないでしょうか。これは、文学を志す者にとっては実にやりがいのあるフィールドであるように感じられます。うん、なんかやる気出てきたぞ。国研批判が思わぬ発見をもたらしてくれた。

 ついでのついでですが、「ユビキタス」は固有名詞なので訳しちゃダメです。
 「クールビズ」と一緒です。


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初歩的な疑問。

2006年07月26日 | 時事・社会情勢
 当たりもしないミサイル海中にぶっ放した国に制裁決議が出せるのに
 二人の人質取り返すために隣国に空爆ガンガン仕掛ける国には挙げ句職員殺されてもまだ何もできないって
 どう考えてもバランス悪いよね。

 それでも僕らには国連しかないのだ。今のところ。
 それがどんなに不完全なシステムであっても。

もてない男は帰ってこない(小谷野敦をめぐって)。

2006年07月25日 | 読書
 今日は久しぶりに外での仕事です。つっても一日椅子に座って大学の先生方の講演聴いてるだけのゆるーい仕事ですが。それにしても幕張メッセ冷房効きすぎだヨ。
 で、珍しく電車で出かけたので珍しくゆっくり本を読む機会に恵まれました。すっげぇ久しぶりに「文学界」を端から端までほぼ全部(意図的に読み飛ばした部分除く。某東京都知事の連載小説とかね)読んだので、それ繋がりで今日は小谷野敦の話題なぞ。

 文学界8月号は、小谷野敦の小説「悲望」が堂々180枚のボリュームで創作部門のメインを張っており、今月号はまさにこれを読むために買ったようなものだったのですが……いや、痛すぎるよ、これ。どこまで創作でどこから実体験に着想を得たものか知りませんが、しかし、法界悋気というよりもはやストーカーの気配すら漂う最近の小谷野敦の鬼気迫る様子には、正直、ちょっとヒキます。
 まだしばらく書店の店頭にあると思うので、興味がおありの方は是非文学界8月号を探して読んでみていただきたいと思うのですが、要するに、ちくま新書で彼が放ったスマッシュヒット「もてない男」の小説版とも言うべき、「ああ、こりゃ、もてないだろうなぁ」という男の話です。

 「もてない男」は1999年に発売されており、同年のうちに私も大学生協で買い求めて、大変面白く読んだ記憶があるのですが、当時大学の後輩に勧めて読ませてみたところ、「いや、ほんとの『もてない男』は、こんなんじゃないですよ」という感想を聞かせてくれたことを覚えています。その当時は「ああ、自分が『もてない』と考えている人には、『俺が一番もてない』『俺こそもてない男だ』的な各自のこだわりがあるんだろうなぁ」程度に考えていたのですが(ずいぶん失礼なこと考えてたんだな)、他方で、この後輩くんの一言と、それに対して私が抱いた感想とは、それぞれ「もてない男論」のある一面を的確に言い当てていたように思うのです。
 つまり、誰かが「もてない男」について論じ始めたときに、必ず想定される質問は、まず「では誰が『もてない男』なのか?」「『もてない男』はどこにいるのか?」という問いかけであり、ここから一歩進めば「結局お前は『もてない男』ではないのではないか?」という形の批判が当然に出てくると思うのです。実際「もてない男」のカバー裏に掲載されている小谷野敦の写真はなかなか上手に撮れていて、「本当にもてないのかお前」という形のツッコミをしている文芸評論家かなんかも、当時いたように記憶しています。
 つまりは「もてない男論」とは、小谷野敦が世に放ったその当時においては、ある意味においてこの世の誰にとっても「他人事」であったため、そこにはどこか牧歌的な、絵空事を論じるような気楽さがありました。
 で、実際「もてない男」がベストセラーになった後に小谷野敦は結婚し、その様子は写真週刊誌にでかでかと掲載されたりもしたのですが……。

 昨年、小谷野敦は同じちくま新書から「帰ってきたもてない男」なる本を出しました。帰ってきたとはいかなることか、と冒頭を開けば、離婚したとのこと。いやはや、それは、何というか。
 肝心の本の内容は、出会い系サイトに挑戦してみたり、結婚情報サービスに足を運んでみたりとかなり痛い内容になっています。主張することの中身は初代「もてない男」とそんなに変わっていないはずなのに、「もてない男」の時ほど面白く読むことができなかったので、それは何故だろう、と考えてみたときに、要するに、イタいのだ、ということに気づきました。

 馬頭様との往復書簡の中でも私が主張した(「涼風文学堂」に掲載してありますのでよろしければご覧ください)「ポジション」論に通ずるところでもあるのですが、結局のところ、あらゆる政治的発言は(あらゆる発言は政治的なのですが)その発言者が置かれたポジションによるバイアスを免れることができない、と思います。「もてない男論」はそうしたポジションによるバイアスの影響を特に強く受けるように感じられます。発言者は実際のところもてるのか、もてないのか。もてる男が「もてない男論」を論じても空々しいだけで説得力がないし、本当にもてない男(というのがいるかどうか分かりませんが「恋愛関係でこっぴどい目にあった経験を持つ人」ならいるでしょうし、今の小谷野敦はまさにそんな状態です)が「もてない男論」を論じてしまうと、論の中身より先に論者の境遇に目が行ってしまい、結局のところ「イタい」ところばかりが目に付いてしまうわけです。

 かような流れから今回の「悲望」を読めば、とうてい純粋な「創作」として受け止めることなどできず、ただただ痛すぎるわけです。
 以上により私は本作をもって小谷野敦に、尊敬と畏怖を込めて「男中村うさぎ」の称号を与えたいと思います。しかし、小谷野敦にしても中村うさぎにしても岩井志麻子にしても、腫れ物のように肥大する自分を切り売りするより他にない状況に自らを追い込んでいくことは、身の破滅を招きそうに思えて恐ろしいのですが……。

 ついでですが、小谷野の文体は小説を書くには向いてないですね。説明臭さが鼻について気分悪いです。新書やエッセイで読む分にはまったく気にならないのですが。


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ブログはじめました。(冷し中華風に)

2006年07月24日 | 日記・身辺雑記
 そもそも冷し中華ってどうして通年提供しないんだろう。蕎麦屋が「ざるそば始めました」って言うか? サーティワンが「アイス始めました」って言うか? などというどうでもいい疑問とともに何とも締まりのない始まりです。

 というわけで、初めての方ははじめまして。そうでない方はいらっしゃいませ。
 このブログ「涼風野外文学堂」は、私こと涼風輝(すずかぜ・ひかる)(←もちろんHN)が運営する、文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身辺雑記を中心とする(予定の)ブログです。

 最初ですので一応解説しておきますと、涼風は、このブログとは別に「涼風文学堂」なるウェブサイトを運営しています。「涼風文学堂」を「本館」とするならば、この「涼風野外文学堂」は「別館」の位置づけ、という風に考えていただければ、と思います。
 本館・別館とも基本コンセプトは変わらず「大上段に構えた権威主義的な文学を拒否し、『ことばの問題をラディカルに追求する』ものとしての文学にアプローチしていく」というささやかな野望に向けて発信していく場と考えています。
 あくまでも予定は未定ですけどね。ブログ立ち上げ当初はそんな風呂敷広げておきながら、3日も経てばただの身辺覚え書き帳と化している可能性は否定しません。まあ、それはそれでアリってことで。

 ともかくも、今後ともよろしくお願いします。