昼間はよい子で大人しくしている娘が、夜も12時を回った辺りから大泣きを始めるので参っています。昼夜逆転生活。夜型人間なのか。まあ父親が俺では仕方ないか。
娘の機嫌が悪いときに、抱っこしながら歌を歌ってやったりすると少しぐずり泣きが収まるので、この何ヶ月か、やたらに歌を歌いまくっています。二十年以上も前に歌っていたような童謡だの唱歌だのをよく覚えているものだなぁと自ら感心することしきりなのですが、同時に、子どもの頃は深く考えずに歌っていた歌の歌詞を、今にして噛み締めてみると、色々思うところがあったりします。そんな、童謡の歌詞に関して最近気づいたことやマメ知識など、以下五月雨式に。
1:
「おもちゃのチャチャチャ」の作詞は野坂昭如。焼跡派で知られる野坂御大の作詞と考えると「鉛の兵隊トテチテタ/ラッパ鳴らしてこんばんは/フランス人形素敵でしょう/花のドレスでチャチャチャ」なんて歌詞にも、ついぞ本当に欲しいときに手にすることが出来なかった物質的豊かさへの、限りない憧憬を感じませんか。俺だけですか。
ところでこの話を妻にした際「野坂昭如って誰?」と聞かれて「ほら、あのテレビに時々出てる酔っ払い」としか答えられなかった俺の知識の浅さを何とかしてください。慌ててフォローするように「ジブリの映画になった『火垂るの墓』の原作者」と初心者向けの解説をして却って誤解を与えたような気がするorz
2:
「雨ふり」(あめあめふれふれ~)の作詞は北原白秋。そう言われてみると、傘を持たず柳の木の下でずぶ濡れで泣いている子に「君、君、この傘差し給え」などと上から目線でものを言う辺りに明治のテイストを感じます。
ちなみに同じ白秋の作詞による「この道」に出てくる、アカシヤの花が咲いてる道は、札幌にあります。しかしここでもお母様かよ。
3:
「手のひらを太陽に」の作詞はやなせたかし。言わずと知れたアンパンマンの生みの親。なお「ミミズだって/オケラだって/アメンボだって」の部分の「アメンボ」は当初「イモムシ」で行こうとしたが周囲に止められたというトリビア。
ところで、テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の主題歌「アンパンマンのマーチ」の作詞も同氏が行っていますが、テレビで流れているのは2番の部分。テレビで流さない部分の歌詞は、正直お子様向けとは言い難いところがあるので、そのへんにもテレビ局の配慮というか大人の事情を感じます。「たとえ胸の傷が痛んでも」だの「時ははやく過ぎる/光る星は消える/だから君は行くんだ/ほほえんで」だの、有限の命の儚さを身につまされながら今を精一杯に生きようとする氏の哲学が読み取れます。
そのようなやなせたかしの哲学を意識しながら歌えば「僕らはみんな生きている」という有名なフレーズは「いつか死ぬ」ということを常に意識することと同義であるわけですね。
4:
文部省唱歌の中には今なお歌い継がれているものが少なくないですが、歌詞を読み返してみると当時の世相が浮かぶものがありますね。「行ってみたいなよその国」で終わる「海」だの「角出せ槍出せ」と囃し立てる「かたつむり」だのは、帝国主義的展開を暗示しているように思えてなりません。
「蛍の光」とか「仰げば尊し」を童謡のカテゴリに含めるのは適切ではないかもしれませんが、「修身の授業かよ」と突っ込みたくなるような、当時の理想とされる人物像が浮かぶものも数多くあります。「故郷」あたりはその典型例です。父母や友人の安否を気遣いながら、立身出世を果たして故郷に錦を飾ることこそ本懐とされたのでしょう。ニュータウン育ちで帰るべき故郷を持たない涼風には永遠に理解できない世界です。
5:
まど・みちお+團伊玖磨といえば、北原白秋+山田耕筰とかサトウハチロー+中田喜直あたりと並んで「童謡界の夢のツートップ」とでも言うべき取り合わせですが、このコンビによる名曲中の名曲「ぞうさん」。その出だし「ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね」というのは、象の身体的特徴をからかっている様子を示しているのだとか。これに対し「そうよ/かあさんも/ながいのよ」と返す辺りが、身体的差異をむしろ肯定的に捉えようというメッセージだと解釈できるということですが、あのぅ、それってつまり「みんなちがって、みんないい。」ってやつでしょうか?
上に挙げた以外にも、童謡の作詞には阪田寛夫だの野口雨情だの魅力的な研究対象がごろごろしてますが、それらを語るには涼風の知識が若干不足しておりますので、今日はとりあえずこのへんで。
あと、童謡の作曲についても、先に挙げた團伊玖磨や山田耕筰はもちろんのこと、芥川也寸志だの服部公一だの、濃い目の面々がところどころに姿を現し、これはこれで興味を引かれるところですので誰か俺の代わりに語ってくれませんか駄目ですか。
※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。
娘の機嫌が悪いときに、抱っこしながら歌を歌ってやったりすると少しぐずり泣きが収まるので、この何ヶ月か、やたらに歌を歌いまくっています。二十年以上も前に歌っていたような童謡だの唱歌だのをよく覚えているものだなぁと自ら感心することしきりなのですが、同時に、子どもの頃は深く考えずに歌っていた歌の歌詞を、今にして噛み締めてみると、色々思うところがあったりします。そんな、童謡の歌詞に関して最近気づいたことやマメ知識など、以下五月雨式に。
1:
「おもちゃのチャチャチャ」の作詞は野坂昭如。焼跡派で知られる野坂御大の作詞と考えると「鉛の兵隊トテチテタ/ラッパ鳴らしてこんばんは/フランス人形素敵でしょう/花のドレスでチャチャチャ」なんて歌詞にも、ついぞ本当に欲しいときに手にすることが出来なかった物質的豊かさへの、限りない憧憬を感じませんか。俺だけですか。
ところでこの話を妻にした際「野坂昭如って誰?」と聞かれて「ほら、あのテレビに時々出てる酔っ払い」としか答えられなかった俺の知識の浅さを何とかしてください。慌ててフォローするように「ジブリの映画になった『火垂るの墓』の原作者」と初心者向けの解説をして却って誤解を与えたような気がするorz
2:
「雨ふり」(あめあめふれふれ~)の作詞は北原白秋。そう言われてみると、傘を持たず柳の木の下でずぶ濡れで泣いている子に「君、君、この傘差し給え」などと上から目線でものを言う辺りに明治のテイストを感じます。
ちなみに同じ白秋の作詞による「この道」に出てくる、アカシヤの花が咲いてる道は、札幌にあります。しかしここでもお母様かよ。
3:
「手のひらを太陽に」の作詞はやなせたかし。言わずと知れたアンパンマンの生みの親。なお「ミミズだって/オケラだって/アメンボだって」の部分の「アメンボ」は当初「イモムシ」で行こうとしたが周囲に止められたというトリビア。
ところで、テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の主題歌「アンパンマンのマーチ」の作詞も同氏が行っていますが、テレビで流れているのは2番の部分。テレビで流さない部分の歌詞は、正直お子様向けとは言い難いところがあるので、そのへんにもテレビ局の配慮というか大人の事情を感じます。「たとえ胸の傷が痛んでも」だの「時ははやく過ぎる/光る星は消える/だから君は行くんだ/ほほえんで」だの、有限の命の儚さを身につまされながら今を精一杯に生きようとする氏の哲学が読み取れます。
そのようなやなせたかしの哲学を意識しながら歌えば「僕らはみんな生きている」という有名なフレーズは「いつか死ぬ」ということを常に意識することと同義であるわけですね。
4:
文部省唱歌の中には今なお歌い継がれているものが少なくないですが、歌詞を読み返してみると当時の世相が浮かぶものがありますね。「行ってみたいなよその国」で終わる「海」だの「角出せ槍出せ」と囃し立てる「かたつむり」だのは、帝国主義的展開を暗示しているように思えてなりません。
「蛍の光」とか「仰げば尊し」を童謡のカテゴリに含めるのは適切ではないかもしれませんが、「修身の授業かよ」と突っ込みたくなるような、当時の理想とされる人物像が浮かぶものも数多くあります。「故郷」あたりはその典型例です。父母や友人の安否を気遣いながら、立身出世を果たして故郷に錦を飾ることこそ本懐とされたのでしょう。ニュータウン育ちで帰るべき故郷を持たない涼風には永遠に理解できない世界です。
5:
まど・みちお+團伊玖磨といえば、北原白秋+山田耕筰とかサトウハチロー+中田喜直あたりと並んで「童謡界の夢のツートップ」とでも言うべき取り合わせですが、このコンビによる名曲中の名曲「ぞうさん」。その出だし「ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね」というのは、象の身体的特徴をからかっている様子を示しているのだとか。これに対し「そうよ/かあさんも/ながいのよ」と返す辺りが、身体的差異をむしろ肯定的に捉えようというメッセージだと解釈できるということですが、あのぅ、それってつまり「みんなちがって、みんないい。」ってやつでしょうか?
上に挙げた以外にも、童謡の作詞には阪田寛夫だの野口雨情だの魅力的な研究対象がごろごろしてますが、それらを語るには涼風の知識が若干不足しておりますので、今日はとりあえずこのへんで。
あと、童謡の作曲についても、先に挙げた團伊玖磨や山田耕筰はもちろんのこと、芥川也寸志だの服部公一だの、濃い目の面々がところどころに姿を現し、これはこれで興味を引かれるところですので誰か俺の代わりに語ってくれませんか駄目ですか。
※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。