涼風野外文学堂

文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身の回り徒然日記系。

笙野キタ――(゜∀゜)v――

2008年05月29日 | 読書
 手持ちの1万円札を崩さないと明日のお昼ごはんが食べられないという緊急事態に陥り、仕事帰りに近所の本屋へ。取り立てて欲しい本もなかったのですが、ここ数日気になっていた「論座」6月号を手にとってみました。
 いや何が気になってたかって、笙野頼子の特集。
 文芸誌ならいざ知らず、論壇誌で特集するにはあまりに無謀な作家のチョイスです。気になります。とても気になります。しかも朝日です。なんか目も当てられない大惨事になってるんじゃないかと思い、天下一武道会の決勝戦に向かう孫悟空ばりに、オラわくわくしながらページを繰ります。
 特集記事の冒頭は笙野本人へのインタビューでした。インタビュアーは「ネオリベ現代生活批判序説」なんて、タイトル聞いただけでおなかいっぱいもう結構です、と言いたくなるような書物で名を馳せた、白石嘉治です。この人選に朝日的意図が見え隠れします。これは悲惨なことになりそうです。
 案の定、白石はインタビューの冒頭で、笙野の「だいにっほん」三部作のキーワードを「ネオリベ批判」と決めうちし、「そうした『だいにっほん』三部作のキーワードについて伺いたいのですが」と水を向けます。やっぱり悲惨なことになりました。「こいつ文学読めてネェ!」と指差して罵倒したくなります。「絶望した!ネオリベだの新自由主義だの名前をつけただけで全部分かったつもりになる浅薄な連中に絶望した!」と喧伝しながら駆け回りたくなります。
 しかし、これに対する笙野の返答が、秀逸でした。ちょっと引用してみます。

 よい紹介をありがとう。照れますね(笑い)。でも白石さんごめんなさい。あなたも大切にしているはずの差異を確認し、そこから始めましょう。私がネオリベ批判に行き着く必然(的)とあなたはいま言われた。でもそれは必然ではなくて、私の創意です。また文学をネオリベの手がかりにするのではなく、ネオリベをキーワードとして使い文学を隈取るのです。※強調は引用者による

 ……。

 …………。

 笙野キタ―――ヽ(ヽ(゜ヽ(゜∀ヽ(゜∀゜ヽ(゜∀゜)ノ゜∀゜)ノ∀゜)ノ゜)ノ)ノ―――!!!!

 いやはや心配無用でした。こんな政治的で朝日的な誘導なんぞに笙野頼子は引っかかりません。それどころか、そんなもの粉砕です。言うなれば「あんたみたいな馬鹿を叩き潰すためにアタシは文学やってんのよ」って言ってるのと大差ないです。
 今日はもうこのひとくだりのためだけに780円払う価値があると確信し、生まれて初めて「論座」を金を出して買い、帰路に着いたのでした。

 ……さて、目下の問題点は、この「論座」、笙野の特集以外にほんとにまったく読むところがないことなのですが。


※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
 「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。

ケータイで書いてみる。

2008年05月21日 | 日記・身辺雑記
 ケータイ小説始めました(激しくマテ

 かれこれ3年以上かかってまだ書き上がらない小説放ったらかしにして、新たに携帯で小説書き始めた俺がいますよ。白狐と鬼と陰陽師の出てくるギャルゲー風ほんのり伝奇風ラノベですよ。
 だってパソコン立ち上げて小説書く暇なんてありえないんですもの。今日ひさびさにパソコン起動したらウィルス対策ソフトさんに「15日も更新してないぞコラ」と叱られましたよ。

 ……なんだかどちらの小説も未完に終わるんじゃないかという懸念が。

 先日、昔の友人とひさびさに会って酒飲みながら話したことなのですが(Bunちゃんお疲れ様、また飲もうね&コーネリアスのCD返ry)、涼風が狙っているのは「オトコノコのためのケータイ小説」なのです。
 巷を賑わしているケータイ小説に涼風はほとんど目を通していないのですが、遠めに見て「女の子のための共感ツールだなぁ」というイメージを漠然と抱いているのです。これではいけない。今こそ、男の子の男の子による男の子のためのケータイ小説を立ち上げるべきではないのか!なんて、ちょっとそんな使命感みたいなものも抱きながら、書き始めたわけです。
 それで行きつく先が「ギャルゲー風」ってのも俺らしいですが。

 ちなみにそんな自論を語ったところ、上記の友人からのアドバイスは「男の子のための小説だったら、むしろ、ジャンプ風じゃない?」でした。一理ある。
 ……戦闘力の数値化でも導入してみるか(オイ


※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
 「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。