涼風野外文学堂

文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身の回り徒然日記系。

歴史を逆回しに学んでみる、という発想。

2010年01月15日 | 日記・身辺雑記
 中学・高校の頃、日本史や世界史の授業のたびに、どうしてサルの時代の話から始めなきゃならんのか、と思っていた記憶があります。歴史を古い順に学んでいく作業は、中学生男子的には、さっぱり面白くない。戦国時代くらいに達すればだんだん面白くなることが分かっているとしても、そこに至るまでがとことんウザい。もう平安時代飽きたヨ、とか言って教科書の角にパラパラ漫画を描き始めることになるわけです。
 さすがに当時よりは年を取って分別をわきまえまして、歴史というのは連続性の中で理解しなければならないから、順番を入れ替えたり美味しそうなところだけつまみ食いしたりしたのでは歴史の上っ面しか理解できない、という事情は分かりました。しかしながら、中学校で歴史を学んだ子がみんな歴史研究者になるわけではないのですから、多少の逸脱は見逃してもらえないものだろうか、という気持ちは拭えません。

 阪神・淡路大震災から、まもなく15年になります。当時私は高校生で、横倒しになった高速道路の橋脚の映像にショックを受けて、訳も分からないなりに、部活の仲間に働きかけてなけなしの小遣いをかき集め、義援金を送りました。そんな感覚がつい先日のことのように思い出されますが、冷静に考えれば、これはもはや「現代史」として教えられるべき出来事になりつつあります。
 例えば、2歳になった私の娘が中学生になる頃には、きっと歴史の教科書の最後の方には、阪神・淡路大震災もそうですし、ソ連の崩壊も地下鉄サリン事件も、9・11テロだって、歴史上の出来事として記されているのでしょう。それらの物事を、今後、どのように娘に教えていくことができるのか。少々気が早い話ですが、そんなこともぼつぼつ考えていかなければいけないような気もしています。
 そう考えると、歴史というのは、個別の出来事の羅列ではなく、連続したひとつの流れとして今・ここにまで繋がっているものであるから、逆に「今・ここ」を基準として、歴史を遡りながら学んでいく方が、却って理解しやすいのではないか、という気がしてきました。最近の出来事から順に、次第に過去へと向かいながら、歴史を学ぶ。そうすれば、明治維新が、徳川幕府が、現代に繋がるどのような仕組みを産んだのか、理解できようというものです。…学生時代にこういうことに気づいていれば、もう少し日本史や世界史の成績良かったと思うんだけどな。

 そんなこんなで、最近の涼風は「あの戦争」の辺りまで遡ったところで思考停止中で、手塚治虫『アドルフに告ぐ』とかこうの史代『この世界の片隅に』だとかを読みながら若干涙腺ウルウルさせております。

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 今年も当ブログをよろしくお願いします。

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