涼風野外文学堂

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行政法を学び直す(という、決意だけはしてみる)。

2008年10月08日 | 日記・身辺雑記
 長らく更新お休みしていましたが、ちょっと期間の長い宿泊研修に出かけていて、留守にしてました。
 ……いや、自分のパソコン研修所に持ち込んでたんで、ネットに繋ごうと思えば繋げたんだけど、さすがに研修中ではブログ更新する余裕はありませんでした。

 で。

 この夏友人と会った際に「初学者向けの行政法の教科書でお勧めあったら教えて」と聞かれて返答に窮した法学士失格の俺様がここにいますが、今回、行政法関係の研修を受けるに当たって、いろんな教科書を自分で買ったり図書館で借りてきたりして読み比べているうちに、今さらながら、この国の行政法学の現状が自分なりに整理できてきて、今後どの教科書を手元に置いておくべきなのかについても、何となく見えてきた気がします。
 私自身も、これを機にちょっと真面目に行政法を勉強し直してみようかな、と思った次第ではあるのですが、この友人への今さらながらの返答も兼ねて、行政法学の現状分析と既存の教科書のマッピングを自分なりにしてみたいと思います。

 そもそも、この国の法体系は「上からの近代化」と言われるように、明治時代に主として「大陸法」をアレンジしながら輸入してきたものです。
 その中でも、行政法の分野は、司法裁判所と別に行政裁判所を置いた、というシステムの部分で、大陸法モデルを参照してきたところから、行政法学の理論も、大陸法、特にドイツ行政法学の色濃い影響を受けてきた、というのが、一般的な理解です(ああ、超ざっくり説明してるのでディテールは突っ込まないでね)。
 この観点から、日本の行政法学は「行政行為論」に代表されるように、行政の作用に特別の法律関係(権力関係)を認め、「公定力」のような特別の機能を見出す理論を中心として、展開してきました。

 このような「伝統的な」行政法学(美濃部達吉に源流を発し、田中二郎が完成させた)は、今日においてもなお、行政法の理論体系として強い影響力を保ち続けていますが、その源流は、司法裁判所と行政裁判所を別に置く大日本帝国憲法下の体制から発しているのですから、裁判所が一元化された日本国憲法の体制化では、色々不都合が生じてきます。既に当の田中二郎自身が、日本の行政法学における大陸法から英米法への転換についてその著書で指摘している箇所もありますし、田中二郎の一番弟子というべき塩野宏、さらにその後継者というべき宇賀克也という並びで見ていくと、行政行為の公定力を認め事後的救済に重きを置く(行政の正当性がある程度前提にされている)大陸法的行政法から、透明性と手続的正当性を重視する(行政の無謬性を疑ってかかる)英米法的行政法へのゆるやかなモデルチェンジ、と理解することもできます。

 一方で、こうした伝統的行政法学に対する有力な批判として、そこで論じられる行政法の体系が「体系のための体系」である、というものがあります。
 日本の行政法体系は、戦前においては大陸法的な大日本帝国憲法のもとで組み立てられ、戦後は英米法的な日本国憲法が導入されて、全体としては、大陸法と英米法のハイブリッドのような様相を呈しています。これを体系的に説明しようとするから無理が生じるのであって、現にある法律を総体的に捉え、行政の作用全体を「行政過程」として捉えようという発想が、研究者の中で提唱されていきます。
 早い時期からこのような「行政過程論」の必要性を提唱していたのは遠藤博也ですが、大学紛争の影響などもあって、この点についてのまとまった論考は実を結ばなかったようです。塩野宏も比較的早期から行政過程について言及していますが、どうも問題点の指摘にとどまっていて、詳細な考察を加えているとは言い難い。
 行政過程、という表現を用いてはいませんが、阿部泰隆『行政の法システム』(有斐閣)は、このような考え方を教科書のレベルで纏め上げた、おそらく最初の成果品であったのではないかと思います。伝統的行政法学が行政庁-被処分者という二面的モデルしか持たなかったのに対し、行政庁-被処分者-利害関係者という三面的モデルを提唱したのは、遠藤博也の「複数当事者の行政行為」の理論の発展形と捉えることもできそうですし。

 さて、以上のような理解を踏まえて、どのような教科書を手元に置いておくべきか、と考えると、次のような候補が挙がります。

1:
 まず、受け入れるにしても批判するにしても大前提として、伝統的行政法学の流れを汲んだ教科書を手元に置く必要があります。といっても、今さら田中二郎の教科書をスタート地点に持ってくるのはどうかな、と思いますし、塩野宏『行政法(1)~(3)』(有斐閣)が現実的でしょうか。
 今後のスタンダードを先取りするなら宇賀克也『行政法概説(1)~(3)』(有斐閣)だと思います。田中・塩野行政法を現代的に補強・発展させた教科書とも言えるでしょうし、何より東大ローの教官である宇賀の教育が今後の法曹に影響を及ぼさない筈がない、という実務上の事情もあります。
 3分冊の教科書(作用・救済・組織)というのも田中行政法の伝統を忠実に受け継いでいるようでそれはそれで品質証明のようなものですが、もう少しコンパクトなものを探すなら、原田尚彦『行政法要論』(学陽書房)あたりがメジャーでしょうか。
 より初学者向けということでいえば、藤田宙靖『行政法入門』(有斐閣)が、薄い本にもかかわらずスタンダードな理論の要点を過不足なく押さえています。最高裁判事の考え方に親しむ、ということで、訴訟対応にも向く、かも?口語体の文章に慣れられるかどうかで好き嫌いが分かれそうなところでもあります。

2:
 その上で余裕があれば、こうした伝統的学説への批判的な視座を持った教科書を、合わせて読みたいところです。遠藤博也が北大法学論集に分載した「複数当事者の行政行為」は、今読んでも古びていない明晰な論ですが、残念ながら大学紛争で研究室封鎖されたために未完です。
 そうするとやはり阿部泰隆『行政の法システム』(有斐閣)が完成度高いですが、残念ながら版元在庫切れで入手困難です。涼風は近所の図書館で借りて読みましたが、やはりこの種の本は手元に置いておきたいものです。同じ著者の教科書として、中央大学での講義のレジュメを教科書化したものが11月に出るとの噂に、ちょっと期待してます。
 すると結局、現在容易に手に入る教科書の中で、このような視座を持ったものとなると、大橋洋一『行政法―現代行政過程論』(有斐閣)以外にない、ということになります。これは非常に読みやすい教科書ですが、他の標準的な教科書と並べて読まないと、なかなかその良さが伝わらないかもしれません。
 変り種では、田村泰俊(編)『最新・ハイブリッド行政法』(八千代出版)。テーマが風営法、という辺りで初学者向けに見えますが、前掲の阿部・大橋らの教科書に多大な影響を受けているため、実はそこで展開される理論はなかなか高度です。

 ……というわけで、今から行政法の勉強をするなら、1冊目の教科書としては原田尚彦『行政法要論』か藤田宙靖『行政法入門』のどちらか好きなほうを、スタンダードな理論をより深く学ぶなら宇賀克也『行政法概説(1)~(3)』を、これらを批判的に検証しようとするなら、2冊目以降の教科書として大橋洋一『行政法―現代行政過程論』をお勧めしておきますが、2ヶ月遅れの回答としてはこんなところでいかがでしょうか水薙君。


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