涼風野外文学堂

文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身の回り徒然日記系。

次回作予告?

2008年12月09日 | 文学
 さて、原稿用紙454枚の長編小説を書き上がったことのご報告は前回のエントリでさせていただいたところですが、涼風的には早くも、次に何を書こうか、ということに考えが向かっています。既に書き上がった作品への愛情が早くも薄れています。

 というのも、この長編小説を書いている途中からもう、「次は絶対に毛色の違う作品を書く!」と思っていて、正直、もうこのグダグダな長編小説を仕上げるのが嫌になってきていて、でも書きかけの小説放ったらかしにして別の小説を書き始めるのは自分で自分が許せなくなるような気がして、最後の方は「これさえ書き上がれば別の小説が書ける!」ということを励みに書き進めていたような状況があったからなのです。それでいいのか俺。

 特に、ここ1年くらいずーっと「ラノベ書きてぇ!」とか思う気持ちが強くあって(1年前のエントリ参照)、実際、既に書き始めているものが1本あります。これは、先の長編小説が完成する前から書き始めたもので、携帯を買い換えたのを機に、携帯で小説書いてみたらどうなるかな、という実験を兼ねて書いているものです。
 もともと学生時代に友人と協力して同人ギャルゲー作ろうとしていたときのシナリオの焼き直しです。高校生男子の主人公と三姉妹(おっとり天然ボケ眼鏡娘の長女、貧乳ツンデレ料理上手の次女、無邪気ロリ元気娘の三女)のラブコメ的展開かと思わせておいて物語中盤から狐だの鬼だの陰陽師だの絡んできて一気に平安末期のテイスト強まるそれってどこのAir?って感じの話です。
 ギャルゲー的文体(短いセンテンスと台詞中心の展開、情景描写少な目)と、1画面内の文字数制限が厳しい携帯というデバイスは、きっと相性がいいはずだ、という根拠のない信念のもとに書き始めましたが、ここまでは概ね思惑通りです。

 それはそれとして、携帯ではなくパソコンのキーボードを入力デバイスとした小説も、平行して1本くらい書き進めたいな、と思っています。
 候補はいくつかあって、ラノベということでいえば、

【候補1】
 舞台は中世ヨーロッパ風、主人公は小国の第2王子。女の子と見まがうほどの華奢な男の子で、腕っぷしはからきし弱いが、隣国間の争いに巻き込まれ、父である王と兄である第1王子が囚われの身となる中、国と民を救うべく、下町でスリをしていた少女や、寡黙なボディガード等、多くの人々の協力を得ながら、持ち前の「知恵と勇気」で難局を切り抜けていく、という、超前向き系ファンタジー。
 エロシーンもなく死人もほとんど出ない、涼風らしからぬ健全なストーリーを目指す。

【候補2】
 市民革命前夜のヨーロッパのイメージに、魔法を持ち込んだ、言うなれば「ガンズ&ソーサリー」。主人公は、「爵位を金で買った」裕福な商家の息子で、著名な魔術師。その相棒は、貧民街の生まれながら、ふとした偶然で国王の目に留まり取り立てられた、軍人の男。一方は、自らは富も名声も手中に収めていながら、世界のあり方に漠然とした違和感を覚え、王権政治への不信を強めていく。他方は、社会の底辺で生活する者の実態を知り、支配階級への強い嫌悪感を持ちつつ、自らを取り立てた王への絶対的な忠義を捨てられない。
 この2人を中心に、1つの国が市民革命へと向かう過程を描く。

 いつもながらのグダグダの純文学でいけば、

【候補3】
 「最後のキスは、大切な人としたい」
 そんなことを言い放つ30代後半女と、中学校の同級生だった引きこもり系主人公男との、心の触れ合わなさっぷりをだらだらと描く倦怠感たっぷり小説。
 過去には希望に満ち溢れていたであろう二人の、現在における希望の無さを、これでもかと徹底的に書き連ねる。

 若干エンタメ性の強いものとしては、

【候補4】
 涼風流犯罪小説。ある死刑判決に関して、被害者と加害者の物語を並列的に綴る。強姦致死事件の被害者が、どのように家族から愛され、幸せな人生を歩いている途上だったか。加害者が、どのような生い立ちを経て、どれほど追い詰められ自暴自棄になっていたか。物語はそのうち両者の両親、あるいは祖父母の代にまで広がって、このような犯罪が誰の身にも起こりうること、誰しもふとしたきっかけで凶悪事件の犯人になりうること、などを考えながら、死刑について再度考え直すことの契機となるような作品を目指す。

 ……と、まあ、これくらいの候補作が脳内シミュレーションを重ねながら出番待ちをしている状態であるわけです。

 ここまで説明できる形に煮詰まっていない、着想を得ただけのものも含めれば、涼風の脳内にはもう3つ4つの「小説候補」がありますし、ある程度煮詰まっていていつでも書き始められる状態にあるものの、いざ書き始めると原稿用紙数千枚になりそうな超・長編で、躊躇してしまいまだ書き始めていない、というものも1本あります。

 ……さて、この中でいくつ形になって、いくつ墓場に持っていくことになるのかな。
 何年か前(『スイヒラリナカニラミの伝説』脱稿直後)には「アイデアが枯渇した」って思ってまったく小説書ける状態になかったことを考えれば、ずいぶん贅沢な悩みです。


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脱稿!

2008年12月02日 | 文学
終わった――――!!

 ……ふぅ。

 かれこれ4年がかりで書いてきた小説が、ようやく書き上がりました。
 これから誤変換のチェックとか全体を通しての字句の統一とか、あるいはちょっと書き足りない部分の加筆だとか、色々手直しをするので、最終的な完成と言えるまでにはもうしばらくかかりますが、とりあえず、エンドマークを書き込むところまできました。最初から最後まで通して読める状態まで持ってきました。

 400字詰め原稿用紙換算で454枚。

 ……投稿先ないなぁ。どうしてくれよう。

 もともとは「群像」か「新潮」か、いわゆる四大文芸誌の新人賞の中でも、比較的「本格派」のところを目指して書いていたのですが、いざ書き上がってみると、あまり「純文学」とも言えないような気がしてきました。
 だからといって大衆文学かというと、エンターテインメント性は皆無なので、それもますます違う感じです。
 じゃあその小説は何なんだ、って聞かれると、んー、「つい最近塾講師の職を見つけてニート脱出したばかりの34歳独身男が酒呑んでエロいことしてまた酒呑んで中学の同級生とかその娘とかとエロいことして最後孤独だナァって呟くそんな小説」……なんかどうしようもない気がしてきました。
 ある意味、世代論的なところは強く出ていて、われわれの世代(20代終盤~30代前半を想定)にある程度共通する諦念とか、無常感とか、小学生の頃思い描いていた未来と現在とのギャップとか、そういうものを積極的に盛り込んでいる部分はあります。
 ……ロスジェネ小説、とか言ってみるべきなのか?


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