涼風野外文学堂

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日本国憲法――未完のプロジェクト?

2009年07月27日 | 政治哲学・現代思想
 前回のエントリに関連して、自分と同じものの考え方をする人を発見して、ちょっと嬉しくなったので、備忘録的に引用しときます。


 それは、例えば阪神・淡路大震災があった直後、一口に死者五千人と言われました。最終的には六千四百人を超えたわけですが、そのときにビートたけしがある評論の中でこういう発言をしました。ジャーナリズムは五千人死んだ、地震が起きた、五千人、五千人と言っているけれど、違うと。一人死んだ悲劇が五千回、五千個同時に起きたんだと言ったわけですね。これは極めて重要な問題の見方です。数字で一まとめにするんではなくて、一人一人の人間、一つ一つの家族がそれぞれの人生や生活をしていき、それぞれの価値観を持っている。それが、命が絶たれる、死亡するというそういう悲しみに直面したときに、そこに生まれる物語というものは全く別です。この見方が極めて重要なんですね。
 ちなみに、我々は、例えばイラクやアフガニスタンでテロ行為があって今日は五十人死んだとか百人死んだといっても、その一人一人の現実は見えないわけですね。あるいはナチス・ドイツがユダヤ人せん滅作戦で六百万人を殺害しましたけれど、その実像は見えてきません。ところが、アンネ・フランク一人の死というものを見ると、極めてリアルに人間の死というものが立ち上がってくるわけです。この視点から臓器移植の現場というものを見ると、また違った姿が見えてくるということです。
 それからもう一点は、専門家の陥りやすい視野の偏りについて、大変僣越でございますが、申し上げたいと思いますのは、現代社会というのは、科学や法律や様々な意味で専門的職業人を要請し、社会はそれで成り立っているわけですが、専門的業務に専念すると、その業務の範囲内で専門的知識と経験を生かしてある仕事を達成しようとします。そして、パフォーマンスを上げようとします。そうすると、自分の専門以外のこと、あるいは今、自分が目の前で直面していること以外のものについて余り関心を持たないか、視野の外に置いてしまうということですね。
 これら視点の二つを、私なりにこの移植問題について申し上げますと、臓器をもっと欲しい、法律を変えれば五百個臓器が増えるという見方と、その五百個のうちの一つ一つに人生の悲しみ、人々の悲しみ、家族の悲しみ、つらさというものがこもっているという視点がいつの間にか欠けてしまってはいないかということ。そしてまた、移植医療を推進するときに、法律を変え、あるいは手続を簡便にすることによって移植医療が推進するということを言っているうちに何かそこで忘れ物がないだろうか。
 私は、いろいろな取材や講演活動の中で面と向かって移植学会の幹部の方に言われたことがあります。柳田さん、もっと臓器を取りやすくするように法律を直してくださいよ、協力してくださいよと言われました。こういう視点が専門家の陥りやすい視野の偏りというものではないかと思うんですね。恐らく、その先生は悪意で言ったわけではない。しかし、自分の専門業務、あるいは自分が診ている患者さんを救いたいというその一点に焦点を絞ったがゆえにそういう言葉が出てきてしまうんだろうと思うんです。
 そしてまた、日本人は奉仕の精神がないから駄目なんだとも言われました。では、脳死状態で今みとろうとしている家族の前で、そして脳死に同意しようか迷っている人の前で、あなたは奉仕の精神持っていますか、欠落していませんかと言えるのかどうか。これが一人一人の現実の命や人生というものを見ていく視点ではないかと思うんです。

【中略】

 しかし、移植医療というものは二つの死に直面した命の間で初めて成立するものです。言うまでもなく、死んでいく人がいるから臓器提供が行われるわけです。そして、死に直面した人、そしてその家族が、一刻も早く臓器提供があり、この病者を救いたい、病気から解放してあげたいと思う、この二つの相矛盾する立場、これをどう調整するかということこそ今問われている問題ではないかと思うんです。
 そこの接点をどこに求めるのか。私が情報の偏りと言ったことは、救われる人たちの声、救われた人たちの声、そういうものはこの二十年の間、非常にしばしば言われてきました。移植学会もそれを代弁して強調してまいりました。しかし、提供した人がどういう状況にあるのかについてはほとんどだれも公にしてきませんでした。まれにドナー家族が本を書いたり、新聞にインタビューに答えたりしても、それは積極的に評価して、うちの娘は宝だ、臓器提供した娘は我が家の家宝だと、こういう家族たちは表に出ます。しかし、悲しみに触れ、PTSDになったり、うつになったりした人たちは、外部から接触されることさえも拒否しています。そういうことを考えて、移植現場、臓器提供の現場というものがもっともっと現実に即した形で考えられなければならないし、そのことを踏まえて法律はどうあるべきかということを検討していかなければいけないと思うんです。
※参議院厚生労働委員会会議録(平成21年7月2日)より、参考人柳田邦男氏の発言。強調は引用者によります。


 いや、こうした心配があまり深く省みられず法改正がされた点を憂慮すべきであって、喜んでいる場合と違うのでしょうが。

 さて、臓器移植法の話題はこれでおしまいにして、世間一般の興味も、臓器移植法よりは来るべき衆議院議員選挙と政権交代の可能性の方に向いておりますので、そのへんに関連して少々思うところを。
 知っている方は知っているとおり、涼風は、公共セクターのお仕事を生業としております。その中でも特に、地域密着性の高いオフィスでのお仕事をしていますので、うっかり「今回の総選挙の争点のひとつは、地方分権である」なんて話を聞いてしまうと、心穏やかではいられません。
 地方分権、というタームには何やら前向きな取り組みであるように感じさせる効果があるようで、自民党も民主党も経団連も知事会もこぞって、地方分権せよ、地方分権せよ、と騒ぎ立てております。ただ地方分権と百遍唱えれば極楽浄土に行ける、という性質のものではないでしょうから、問題は地方分権の「中身」でしょう。どのような地方分権か。あるいは、何が地方分権なのか。議論の中身をよくよく見ていくと、「地方分権」の語の指し示すものの中には、「国だけじゃ仕事やり切れないからあとは地方でやってよ」的なものから「金足りないからもっと地方に金くれよ」的なものまで、まったく性質の異なる主張が押し込められていることが分かります。地方分権という同床異夢です。

 このような「地方分権」の議論が出てきた背景には、小泉‐竹中ラインに代表される「小さな政府」論者による、サッチャー・レーガン改革に倣った「行政経営の効率化」という視点があることを、見落とさない方がいいでしょう。つまり、「民間にできることは、民間に」「地方にできることは、地方に」という議論は、まず行財政改革の必要にかられ、より少ないコストで効率的な行政運営をするための仕組みとして、導入されたものだったのです。
 国の行政運営を効率化するための、ツールとしての地方分権。乱暴に言い表してしまえば、これは「上からの地方分権」です。
 なぜこのようなことをわざわざ指摘する必要があるのかというと、現在の地方分権を取り巻く議論の根底には「上からの地方分権」があり、総じて「下からの地方分権」という視点を欠いている、ということを指摘したいからなのです。
 まがりなりにも民主主義国家であることを標榜するのであるならば、政治は「人民の(人民による、人民のための)」ものでなければなりません。したがって、本来、地方分権ということを深く考えるのであるならば、「俺たちの政府」としての「地方政府」において、人民(活動的市民)が自ら統治の形態を考え、また、統治に参加すること、そのための仕組みを作ることこそが、地方分権の究極目的でしょう。基礎自治体の数を1000にするか300にするか道州制でどことどこの県くっつけようか直轄事業負担金はぼったくりバーだ、なんて話題は、地方分権の枝葉の先の先でしかありません。

 不勉強なりにこの国の歴史を振り返ってみますと、明治維新により近代国家の仲間入りをした際、政治は、必ずしも人民のものになりませんでしたし、そして今もなお人民のものになっているとは言いがたい状況にあります。
 大日本帝国憲法は、今日の目から結果論として見れば、天皇による統治を実現するためのツールでした。列強と対等に渡り合うために、ひたすら富国強兵を推し進めることが喫緊の国家的命題であった当時の情勢下では、いかに自由民権運動だ大正デモクラシーだといっても、国家の仕組みの根本的な部分では、中央集権的にならざるをえなかったのでしょう。
 この頃の地方制度を思い返してみれば、府県知事は「官選」であり、中央の政府が地方の統治のために送り込んでくる、役人でした。都道府県知事が公選されるようになったのは、戦後、日本国憲法が作られてからのことです。
 このような側面からも、この国において「地方分権」の第一歩が記されたのは、何をさしおいても、まずは日本国憲法であった、ということがいえるのです。
 ところで、この日本国憲法は、アメリカ的な国家観の影響を随所に受けています。そのことの功罪をここで語ることは避けておきますが、いずれにせよ、国家制度の根幹たる憲法の制定に際して、アメリカという「世界に類を見ない、特殊な国」を参照してしまったことは、この国の事情を大変複雑にしていると思います。
 涼風が好んで引用するアーレント『革命について』の整理によれば、アメリカ独立革命こそが、人類史上唯一の、成功した革命である、ということになります。そして、アメリカの建国者たちは、その革命の仕上げの作業として、権力の源泉たる人民とは別に、法の源泉としての憲法、国家制度の骨格たるConstitutionを創設する、という作業を行ったわけです。
 つまり、日本国憲法は、世界で唯一の革命の成功例に倣い、革命の過程(それは必ず「下からの運動」を伴います)を経ないままに、革命の成果品である「憲法」だけを、落下傘的に受け入れてしまったものである、という性質を有しているのではないでしょうか。

 そうであるならば、日本国憲法とは、革命の成果である「自治」(住民が自ら統治の主体となる、という意味で)において、その目指すべき結論を先に持ってきていながら、かれこれもう60年以上も、自治の実現を待ち続けている「未完のプロジェクト」である、と評価することもできるのではないでしょうか。
 そのように考えると、今回の総選挙を「政権選択選挙」と位置づけ、「官僚主導の政治から国民が主役の政治へ」と呼びかける民主党の戦略は、基本路線としては、なかなかいい線をついているのではないかな、と思えてくるのです。(具体的な政策の是非は措きます)
 遅かれ早かれ、地方分権はこの国の仕組みとして必要になります。しかし、それは、単に霞ヶ関と全国知事会が権限と予算の引っ張り合いをするためのものではありません。予め憲法というゴールを示されている革命のルートを、これから走破する、という、制度史上おそらく類例のない稀有な出来事の中で、必然的に、「人民の(人民による、人民のための)」政治の実現として、浮上してくるものでしょうし、また、そうであってほしいと願います。