免許の更新に行って参りました。千葉県の免許センターというのは幕張にあって、半日もあれば行って帰ってきて午後から普通に勤務できる程度なのですが、贅沢にも丸一日休暇を取って、ついでに御茶ノ水まで足を伸ばしてきました(ついで?)。
で、三省堂本店にて稲葉振一郎「モダンのクールダウン」を買ったり(これを種本としたブログ論を後日書きます。多分)、中古CD屋で昔友人に貸したきり回収不能になっているCDを十年ぶりに買いなおしてみたり(Bunちゃん、これ見てたら速やかにコーネリアスの「69/96」を俺に返すように(笑))、かれこれ6、7年ぶりにマジック・ザ・ギャザリングのブースターパック買ってみたり(第9版だってよ。俺がやってた頃第5版だったぜ?ホビージャパンからタカラトミーに版権移ってるし)色々好き勝手に遊び歩いてきたのです。今日はそんなプライベートな話で。
退屈を承知で個人的な経験を語らせていただきますと、御茶ノ水という街にはちょっとした思い入れがあります。といっても、大学入学前の一年間(要するに浪人時代)、御茶ノ水にある予備校に通っていた、というだけのことなのですが。ご多分に漏れず、受験勉強などそこそこに、三省堂行ったり書泉ブックマート行ったり古本街うろついたり芳賀書店行ったり(?)街中をうろうろしておったわけです。かれこれ十年以上前の話ですが、現在の私の基礎となる部分はこの頃に形成されたように思ってますし、また、この御茶ノ水なる街自体も、十年前と本質的に違いはないのかな、と感じさせる何かがあります。
私自身の主要なプレイタウンの移り変わりを振り返れば、高島平→津田沼→千葉→御茶ノ水→札幌→再び千葉、と移動を続けてきたわけですが、それぞれの環境を受容したときの自分の年齢と相まって、少しずつ「自らと異なるもの」に自分を慣らしていく過程であったように思います。つまり、私が生を受けて物心つく頃までを過ごした高島平は、典型的なニュータウンで、そこにいる子供たちもその属する家庭も皆似たり寄ったり、右も左も同類ばかりで、基本的にそう大した違いはなかった。ところが、津田沼→千葉→札幌と続く移動は、お上品なニュータウン住民だけでなく、より雑駁なものものを飲み込む「都市」へと、段階的に自らを慣らしていくように、結果的になっていたわけです。
そのような流れの中で「御茶ノ水」は明らかに異質な街です。「生活」の必然から徹底的に遠ざけられていることの帰結でしょうか。それまで、生きるために考えることしかできなかった私が、ここでようやく、考えるために考えることを可能にしたように思います。津田沼にいたときは津田沼の中で津田沼のことを考え、千葉にいたときは千葉の中で千葉のことを考えることしかできなかった私が、御茶ノ水に至ってようやく、「御茶ノ水という辞書で津田沼を引く」「御茶ノ水という辞書で千葉を引く」ことができるようになった。個人的には、御茶ノ水はそのような変化をもたらしてくれた街なのです。
えーと、つまり、何が言いたいのかというと、本屋って大事だねということ。かな?
考えようによっては、神田の古書店街というのも一種のテーマパークであるわけで、私は単にそれに乗せられている愚鈍な大衆の一員に過ぎないのかもしれませんが、巨大な「ライブラリ」としてあるところの御茶ノ水-神田というのは、生活の臭いをあらかじめ排除されてあることが、必要なのではないかな、と思います。図書館でものを食べてはいけません、というのと同程度に。
いや、もちろん御茶ノ水にも飲食店はあるのです。しかし、あくまでその店内で飲食を行う(あるいはそれに付随して調理済みの食品をテイクアウトさせる)店なのであって、例えば食材を販売するスーパーマーケットは(少なくとも表面的には)見当たらない。そういうことって、案外この街を訪れる人の思考にとって重要なんじゃないかな、という気がしています。
ですから、靖国通りからさほど離れていない辺りに、近年、中高層のマンション建設が散見されることが、私にとっては、多少不安なのです。もちろん、学生向けのワンルームマンションが何棟か建ったくらいで、御茶ノ水-神田の街がすかさず恵比寿ガーデンプレイスや六本木ヒルズに変化する、ということはありえないと思ってはいるのですが、それでも、もう少し靖国通りから見えないところに建ててもらえないもんかな、と、自分勝手なことを考えてしまう程度には、不安を感じているのです。
御茶ノ水が、この先十年後も私の愛する街であり続けていますように。
※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。
で、三省堂本店にて稲葉振一郎「モダンのクールダウン」を買ったり(これを種本としたブログ論を後日書きます。多分)、中古CD屋で昔友人に貸したきり回収不能になっているCDを十年ぶりに買いなおしてみたり(Bunちゃん、これ見てたら速やかにコーネリアスの「69/96」を俺に返すように(笑))、かれこれ6、7年ぶりにマジック・ザ・ギャザリングのブースターパック買ってみたり(第9版だってよ。俺がやってた頃第5版だったぜ?ホビージャパンからタカラトミーに版権移ってるし)色々好き勝手に遊び歩いてきたのです。今日はそんなプライベートな話で。
退屈を承知で個人的な経験を語らせていただきますと、御茶ノ水という街にはちょっとした思い入れがあります。といっても、大学入学前の一年間(要するに浪人時代)、御茶ノ水にある予備校に通っていた、というだけのことなのですが。ご多分に漏れず、受験勉強などそこそこに、三省堂行ったり書泉ブックマート行ったり古本街うろついたり芳賀書店行ったり(?)街中をうろうろしておったわけです。かれこれ十年以上前の話ですが、現在の私の基礎となる部分はこの頃に形成されたように思ってますし、また、この御茶ノ水なる街自体も、十年前と本質的に違いはないのかな、と感じさせる何かがあります。
私自身の主要なプレイタウンの移り変わりを振り返れば、高島平→津田沼→千葉→御茶ノ水→札幌→再び千葉、と移動を続けてきたわけですが、それぞれの環境を受容したときの自分の年齢と相まって、少しずつ「自らと異なるもの」に自分を慣らしていく過程であったように思います。つまり、私が生を受けて物心つく頃までを過ごした高島平は、典型的なニュータウンで、そこにいる子供たちもその属する家庭も皆似たり寄ったり、右も左も同類ばかりで、基本的にそう大した違いはなかった。ところが、津田沼→千葉→札幌と続く移動は、お上品なニュータウン住民だけでなく、より雑駁なものものを飲み込む「都市」へと、段階的に自らを慣らしていくように、結果的になっていたわけです。
そのような流れの中で「御茶ノ水」は明らかに異質な街です。「生活」の必然から徹底的に遠ざけられていることの帰結でしょうか。それまで、生きるために考えることしかできなかった私が、ここでようやく、考えるために考えることを可能にしたように思います。津田沼にいたときは津田沼の中で津田沼のことを考え、千葉にいたときは千葉の中で千葉のことを考えることしかできなかった私が、御茶ノ水に至ってようやく、「御茶ノ水という辞書で津田沼を引く」「御茶ノ水という辞書で千葉を引く」ことができるようになった。個人的には、御茶ノ水はそのような変化をもたらしてくれた街なのです。
えーと、つまり、何が言いたいのかというと、本屋って大事だねということ。かな?
考えようによっては、神田の古書店街というのも一種のテーマパークであるわけで、私は単にそれに乗せられている愚鈍な大衆の一員に過ぎないのかもしれませんが、巨大な「ライブラリ」としてあるところの御茶ノ水-神田というのは、生活の臭いをあらかじめ排除されてあることが、必要なのではないかな、と思います。図書館でものを食べてはいけません、というのと同程度に。
いや、もちろん御茶ノ水にも飲食店はあるのです。しかし、あくまでその店内で飲食を行う(あるいはそれに付随して調理済みの食品をテイクアウトさせる)店なのであって、例えば食材を販売するスーパーマーケットは(少なくとも表面的には)見当たらない。そういうことって、案外この街を訪れる人の思考にとって重要なんじゃないかな、という気がしています。
ですから、靖国通りからさほど離れていない辺りに、近年、中高層のマンション建設が散見されることが、私にとっては、多少不安なのです。もちろん、学生向けのワンルームマンションが何棟か建ったくらいで、御茶ノ水-神田の街がすかさず恵比寿ガーデンプレイスや六本木ヒルズに変化する、ということはありえないと思ってはいるのですが、それでも、もう少し靖国通りから見えないところに建ててもらえないもんかな、と、自分勝手なことを考えてしまう程度には、不安を感じているのです。
御茶ノ水が、この先十年後も私の愛する街であり続けていますように。
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