年末の話ですが、NHK教育テレビが「もう一度見たいETV50周年」とかそんな名前の特番組んでて(ゴールデンウィークに1回やった特集の焼き直しですが)、『おーいはに丸』だの『できるかな』だのといった昔の「名作」を放送してました。
で、『はたらくおじさん』とか『たんけんぼくのまち』とか見ながら妻がふと、「こうやって見ると、昔の教育番組と今の番組って違うよねー」とか言い出すわけです。妻曰く、昔の教育番組は「早く大人になりたい」あるいは「どんな大人になりたいか」というメッセージが頻繁に含まれていたのに、最近の教育番組には、それがない、と。言われてみると確かに、最近の子供向け番組(娘のおかげで私もすっかり教育番組に詳しくなりました)は、子供である現在をありのままに楽しむことに主眼を置いていて、大人へ向かう一過程としての子供、という捉えられ方はされていないように思えます。
ところで最近、涼風は通勤の車内でflumpoolの1st『What's flumpool!?』を聴きまくっております。年末の千葉テレビで『見つめていたい』のPVが流れてるのをふと耳にして、すっかり気に入って買ってきたのですが、まあ、こんな若い子たちが(とか言ってしまえる歳になってしまいました)、今時こんな古典的なバンド・スタイルの音楽を作っていることにまずはびっくり。ドラム&ベースのハードな作り込みと、だだ甘のメロディーライン&歌詞のギャップというか、危ういバランスが心地よいです。ただ、とにかくドラムが上手すぎるので、却ってこのバランスがいつまで保てるか少々不安。
って、今回は音楽の話というより、歌詞の話なのですが。上記アルバムの最後に収録されている曲『フレイム』は、就活応援サイト「マイナビ2011」の「就活応援ソング」なんだそうです。応援ソング、なんていうフレーズからは前向き一直線な印象を受けますが、実際のところは
走った分だけ 磨いた分だけ すべて報われるわけじゃない
とか、平気で後ろ向きな歌詞を歌い上げています。
所謂「リーマン・ショック」以後、就職難が再びクローズアップされています。政治家の皆様は「第二のロストジェネレーションを作らない」とか息巻いてますが、その言い方ではすっかり見捨てられたこと確定となる、第一次ロストジェネレーション真っ只中の涼風としては、何だか他人事とは思えません。
企業が採用枠をぐっと絞ってる中で就職活動を続けるというのは、結構精神的にしんどい作業です。自分自身を商品として、誰も買ってくれない中で飛び込み営業を繰り返しているようなものです。「買わないよ、邪魔だ、帰れ」と何度も門前払いを食いながら、それでもなお「労働力いかがっすかー」と売り歩く訪問販売です。何度も拒絶され、否定されていくうちに、こうまでして働く価値があるのか、こうまでして生きている意味があるのか、みたいな「就活うつ」に陥る事例も、少なからずあるでしょう(実際、私はなりかけました)。
そのうえ、少なくとも私が就活していた頃は、周囲もむやみに「頑張れ」を繰り返すわけです。振り返れば就活に限らず、受験でも何でも、「大丈夫だ、お前はやればできる、頑張れ」的な応援というのは涼風の身の上に繰り返されてきた出来事であって、それは重圧となって、あるいは理想と現実のギャップとなって、若かりし頃の涼風を苦しめてきた出来事であったわけです。
そう考えると、今就活に向かう、涼風より一回り若い世代の人々は、「頑張っても上手くいかないことがあることを知っている」分だけ、涼風たちの世代より強くなれる可能性がある、のかもしれません。少なくとも、flumpoolが歌うように、拒絶され、否定され、傷つき、疲れたとしても、そんな経験もひっくるめて全部自分を肯定できるように、そっと支えて応援してくれる雰囲気があるのであれば、「第二のロストジェネレーション」などとあまり悲観しなくてもいいのかもしれません。
『はたらくおじさん』的な将来が唯一絶対の正解ではないのだ、ということを、涼風の世代の場合はある程度大人になってから知らされてがっかりしたわけですが、今の大学生くらいの人たちは、そんなことにはずっと子供の頃から気づいてるんじゃないかと思うのです。
指で創ったフレイムを覗きこめば
遠くで手を振る 真っ白な僕がいる
くたびれたリュックは空っぽのまま
それでも微笑(わら)って Yesと答えたい
自分で良かったと思える瞬間
この世に出会えて良かったという瞬間
自分で良かったと叫びたい瞬間を追いかけて歩く
生きてゆくよ
『フレイム』の歌詞のクライマックスを引用して終わっときます。
頑張れ、あるいは、頑張るな、若者。