立教大学「自然と人間の共生」の授業。
今日も200人の学生が聞いてくれている。
今回は、自然が教えてくれるもの・地域が育んでくれるものについて、山村留学:暮らしの学校「だいだらぼっち」の事例をもとに話をした。
そもそも自然や地域社会は想い通りにならないことだらけで、それはそれは不便なものだ。
言葉をかえれば「思い通りにならない」ということになる。
自然も人間関係も暮らしも、決して自分の思い通りにはならない。
そこに向き合うことは、このうえなく不便だ。
しかし、その「不便さ」こそが学びの土台になっている。
その「不便さ」を削ぎ落として成り立つ「現代社会」。
それは同時に、不便さに存在した「学び」も削ぎ落としているのだ、と。
最近とても便利な山村留学の事例を知った。
個室があり、食事も洗濯も掃除まで賄いのおばさんがやってくれるという。
家よりも便利な施設で、子どもたちはいったい何を学んでいくのだろうと不思議に思う。
不便さを楽しめなくて何が自然体験・生活体験なのだろうか。
便利過ぎなくていい。
不便過ぎなくてもいい。
ちょうどよい便利さ=適度な不便さに囲まれて、質の高い学びを得ていきたいものだ。
なあ、学生諸君、そう想わんか?
代表 だいち