緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

初ヘミシンク

2019-01-01 15:07:59 | ヘミシンク
 高次元瞑想をしてから、F21に行ってみた。今日のガイドさんはまたスリムな若者だ。茶色いぴったりしたパンツに、カーキ色っぽいベスト姿だ。F21の茶室で、お茶をいただいた。お菓子はかんきつ類のゼリーをひも状にしたものを結んだものだった。その後、囚われの世界を二つ見た。あるいは過去生だろうか?一つは中近東か、インドかどこかの十代の少女。頭にもかけた布が体を覆っていて、サリーぽくも見える。部族かなんかのあらそいで、負けて親兄弟は殺されたかバラバラになってしまい。奴隷みたいな立場でちょっと良い家庭に引き取られる。そこの正妻は子どもができないので、代わりに子どもを生ませられるらしい、生んだ子どもは乳児の頃は育てられるが、その後その家の子どもとして引き取られてしまうので、自分は乳母か下女みたいな立場で生んだ子どもたちも、使用人に対する態度で接っしている。そのため、さびしい思いをして一生をすごしたようだ。もう一つは現代のある新興宗教で一生懸命修行をしている人、そこで向上を認められることだけに躍起になっていて、自分のことを本当に愛してくれている人たちの存在に気が付かないでいるというような場面である。
 二つともレトリーバルできるような感じでもなかった。でも、さびしく悲しい場面を見たせいか、その後受け入れセンターのなかの、シャワーを浴びるところで七色の光のようなシャワーを浴びたようだった。

元旦の朝日浴びつつ初詣 おみくじは末吉

2019-01-01 09:36:56 | ヘミシンク
 静かで穏やかなよい元旦である。朝5時台には目が覚めた、6時台に雨戸をあけたらまだ真っ暗だったので、また閉めた。一応昨夜用意していた晴れ着としているピンクのウールのワンピースに、白のボタンを留めれば首がタートルネックになり、袖がモモンガーのような白いロングカーディガンをその上に来て、お雑煮を作ることにした。婚家にいた頃大根やニンジン、サトイモは塩水で下煮をしてたくさんとっておくという慣わしだ。それは便利なやり方だと思った。私も昨日大根だけは切ってレンチンしておいた。婚家のおせちは野菜だけなのであんまりおいしくなかった。実家は小松菜や鶏肉も入れていた。なので、私の作るのは昆布・鰹節の出汁に、まだ干しシイタケをふやかした出汁が残っているので、その三つを混ぜたものに、水素水をたしたものでつくった。具は大根・人参・里芋・小松菜・鳥もも肉の細切れ、味は酒・醤油と塩、吸い口にゆずの皮の飾り切りを浮かべる。作りながらあたりが明るくなってきたのであわてて、外に出るともう初日の出は箱根の外輪山からすっかり昇ってしまっていた。でも、とりあえず初日ということで拝んで家に入った。年末に作っておいた、おせちとかまぼこを少しずつお皿に盛ってお雑煮と一緒に食べることにした。ずいぶん前に買ってあっただろう祝箸もあった。まずは昨夜からつけておいた屠蘇散のバッグを出して、そこに味醂を60CCほど加えたものを退職祝いでもらったおちょこに入れて二杯ほど飲む、リキュールというかカクテルのようで飲みやすい。
 朝ごはん後は初詣であるが、朝起きた時に12月の組の集金常会に出忘れたことを思い出したので、お隣に電話をして確かめてみる。出たのは娘さんのようで、母に確認してみますということでお母さんに代わってもらったらやはりそうだった。顔を合わせた時に言おうと思っていたが、そういう機会がなかったからといっていた。まだ、起きたばかりというのですぐにお金を持っていこうと思ったがそうしなかった。出かける支度が済んで、出かける前にお隣に行って、お礼を言いつつお金をおいてきた。普段は自転車に乗るが歩いて行こうと思い、ワンピースの上にコートを着て、バッグにもなっているマフを首から下げて歩いて出かけた。近所の氏神様は大山咋神を祀っている日吉神社という。家から500m弱のところにある。距離だったら300mくらいのところにある。九州から転居してきたときは今ほど、賃貸住宅がなくて、家の2階を借りて住んでいた。その家はその神社の富士市のほうへ抜ける道の向いにあった。その境内から鹿が出てきて驚いたこともあった。かなりの大きな杉林に囲まれているので、江戸の初期くらいには十分あった神社だと思う。富士市のほうに抜ける道と山梨のほうに向かう道の分かれ目にあるということで、建てられたのではないかと勝手に思っている。普段はだれもいないのだが、大みそかからお正月にかけては天幕を張って臨時のお札売り場ができる。去年もそこで、お神酒をもらっておみくじを引いたので、今年も同じようにした。お札は人氣契約になってしまうということなので買わない。たいしてお賽銭もいれないが、今年はお神酒に加えてお汁粉までごちそうになった。去年は大吉を引いて喜んだが、今年は末吉である。でも、書かれている内容はそんなに悪くない。引いたおみくじをすぐに木の枝に結んでいる人もいたが、私は持ち帰った。あまり木の枝におみくじを結ぶと木の負担になりそうだとおもう。近くに専用の縄が張ってあったので、私はもし結ぶときはそちらにしようと思う。境内の参道を挟んで反対では穴を掘って打った杉の枝とかをもしていた。お汁粉のカップもそこに捨てるようにいわれた。きっと、夜中はもっと次から次へと参拝者が来ていたのかもしれない。私が行ったときは参拝者は2,3人ずつ入れ替わりというくらいだった。
 来た道を帰るのもつまらないので、帰りは神社の境内のわきを通る道を使った。そこは林の中を通る道だ。第二東名の工事現場のところの関係者以外立ち入り禁止を通ればもっと近いのだが、きちんと通れるところを通って帰ってきた。
 冬の冷気が心地のいい初詣であった。まるの日さんのブログとかで神氣人氣のことを知る前は、わざわざ隣県の金運で名高い神社まで足を運んだりしていた。娘夫婦が来たからと一日に2回往復したりしたこともあった。初詣は普段住んでいて、お世話になっている地元の神社へご挨拶をということにとても納得したので、去年からはそのようにしている。神社はご利益を願うところではなく、神氣に触れることによって祓われそれによって、自分の本質につながりやすくなるためのところである。