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緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

令和3年1月1日 初詣

2021-01-01 10:55:03 | 備忘録

500mほど離れたところにある大山祇神を祀っている神社へ初詣に行ってきた。社務所もないが、三が日くらいは氏子の人々がお守やおみくじを売っている。多分昔からあった富士市方面に行く道と、山梨・神奈川方面に行く道のちょうど道の分かれ目にある神社である。神社は神氣溢れるところと、こういった交通の要所のようなところに建てられるものなのだろう。そこから山梨・神奈川方面の方に100mも行ったところに、昔はそこで寺子屋もやっていたといわれる無人のお堂があったりするから、家の近所は結構昔の集落の中心部だったのかもしれないと思う。

今年は中共肺炎のせいもあってか、去年していたたき火やお振る舞いなどはやっていないが、若い人々や家族連れの出足は去年と同じくらいだった。

お神籤をひいたら、昨年までと違って、薄い紙になっていた。小吉であったが、書いてあるお告げはなかなか良かった。

 


怒濤のような自分自身の先週一週間

2020-07-28 19:26:00 | 備忘録
7月19日・・・久々の露の晴れ間このチャンスにと思いお墓掃除をして、お花を供え、線香を上げお参りをする。写真をとって妹に『お墓掃除をした    が蟻が巣を作っていて大変だった。」とメールをする。
7月20日・・・返信がないので、メールが届いているか?と尋ねるメールと常々夫から一方的で私より話しが長いと言われていたので、『一方的に    自分のことばかり電話で話さない方がいいよ。」と2通メールを送る。
7月21日・・・どのメールも返信がないので、妹が仕事が終わっている時刻を見計らって2回携帯に電話をするがでない。
7月22日・・・朝妹の家電に電話をしメールが届いているという事を確認し、『電話では一方的に長く話さない方がいいよ。」と私は言い、妹が
     こちらの駅についたら自分でタクシーを拾うから迎えに来なくていいという。
     お昼頃自宅家電に電話があり、夫に直に会って日頃のお礼とこれからもお世話になるだろうからと挨拶死体というので、「帰り
     がけに夫宅に送りがてら寄るからそこで挨拶したら?」というとそれが気にいらなかったようで「直に私の夫に電話をするという。」
     しばらくすると、私の家に夫が現れ、「こちらの方にゴミ出しに車で行っているとき、妹から電話があり、26日は妹が来たら私から
     夫に連絡をし、夫も私宅に来て妹の帰りは自分が帰りがてら駅に送ることになったから、この後は実家の庭木の手入れだから。」と
     言ってそそくさと帰る。
     「普段はお礼は言いに来る人がこちらに来るものだろ?」とか直ぐ言いそうな夫が妹の電話で妹がしたいように呼びつけ送っても
     らうことになっている。と言うことに対して不快感を感じたので、夫は庭木の手入れではなく家にいるようなので言ってそのことを
     話しに行く。
     夫曰く「私のことだから面白くなく思っているだろう。また、妹が話しを長い話しを聞いているとつまり帰りは自分に送ってほしいと
     言うことかなと思ったから自分から帰りは送ってほしいと言うこと?と聞いて自分から引き受けた。しかし、それがいやだったら頼
     んだ妹にそう言うべきだ。自分も引き受けてから車のどこに乗せようかと困った。」
     私は「だったら、妹を私も一緒に車にのって送るけれどそれでいい?」と聞く。
     夫はそれでいい。しかし私の嫉妬する気持ちの方が嫌だという。
     私は先週夫が盛んに妹を話題にしようとしていたことが気分悪かった。私は妹は自分の子どもではないからすべては受け入れ
     られないと言い、近所の人との約束があるから帰る。というと夫はこのままで帰ってしまっていいの?と言うが、保険会社の人との
     約束や近所の人との約束や父親を歯医者に送ってやることなどがあったので、そのまま帰る。
     話しをまだしたそうだったのに、先に帰ってしまったことが何か心残りだったので、これからも困ったことがあったらお互い助け
     合おうとは思っていると言うメールをする。
     夫から26日キャンセルと一人になりたい。というメールが届く。私も今まで言いたくても言えなかったことをメールで次々と投下する。
     例えば私は受け入れられないが、妹についてはああいう話し方しか出来ない人だよ。とか今まで頼れる年上の男がいなかったん
     だろうなと言ったが、私自身だってそうだったよ(夫は病気を理由に神社に住まわせてもらっていた)と言うこと等々
7月23日・・・お昼過ぎ突然娘から今死のうとして準備をしていたところとSOS電話がかかってくる。少し娘に対応してから夫にもどうしたら
     いいか聞きたいからと思い、娘からSOSが来た。行ってもいいか?と聞いても来なくていいという返信
7月24日・・・血圧の薬が足りなくなってきたからドアノブのところにでもかけておいてほしいとメールし、返信もないからいい。と二通目を
     出しておくと、昼過ぎに私の夫宅にあった荷物を全部(冷蔵庫のバターを除く)持ってくる。娘からの連絡がまだなくて心配とい
     うと「もう嫁にやった娘だから相手の家が対応すればいい。」という。離婚するかと聞くと私がしたかったらすればよいということ
     だった。
7月24/25日・・・夫がお世話になっていた神社の禰宜さんに相談
7月26日・・・神社に行ったが、足を運んでいなかったくせにという感じで相談に乗ってもらえず、お参りだけしてくる。後で娘に話すと
     「結局お金?」ということだった。
     26日は静岡から東側のすべての交通手段が途絶えていたので、結局妹は父に会いに来ることは叶わず。

「太陽の下で」という映画の感想

2020-03-25 12:04:42 | 備忘録
北朝鮮で人々の生活を記録したドキュメンタリー映画を撮るつもりの監督が、結局北朝鮮ではドキュメンタリー映画はとれないことに気づき、映画が乗っ取られ将軍様万歳のプロパガンダ映画になることに気づき、その乗っ取りの課程をつぶさに映画にして、こっそりと検閲を乗り越えて海外に持ち出した映画である。
 「8歳になる少女ジンミは模範労働者課程の模範児童として、少年団に入団する過程に密着する設定であった。少年団には、小学2年生から初等中学3年生までのすべての子供が加盟する(北朝鮮の義務教育は幼稚園1年、小学5年、初級中学3年、高等中学3年の12年間)。
 子供たちにとって、赤いマフラーの少年団員になることは憧れだ。ただ、全員が同時に入団できるわけではない。優等生、模範生から選抜されていく。ジンミが参加した「入団式」は、故金正日氏の生誕記念日の2月16日に合わせて挙行されていたが、これがその年の最初の入団式で、選抜された親も子供も誇らしくおめでたいものと考えるのだそうだ。」また、北朝鮮では少年団に入ることを皮切りに生涯何らかの組織に属して統制を受けることになるのだそうだ。なので、個人が自分に向き合って、自分の生き方を模索することなど決して出来ない。生涯組織に統制され、常に自分が北朝鮮では主体思想イデオロギーからずれていないか相互検閲することを強制され、それを外れるということはつまり処刑や収容所送りの死をいみするのだ。金正日が亡くなったときに声を上げて泣かなかった家族は一夜にして姿を消してしまったそうだ。
 実際の親子ではあるが、親の職場や住んでいるところは実際と違うところになっているという話だ。ジンミの少年団入りを親の職場の人も喜んでお祝いを言ってくれる場面や一緒に朝鮮舞踊を習っていた友達が捻挫して級友や教師と一緒にお見舞いする場面、ご飯を食べながら「キムチがは体によい民族の食べ物だから・・・」とか様々なやらせ場面があった。
 
 いかに、ピョンヤンでの生活が素晴らしいかを見せたかったようであるが、至る所にほころびがあった。例えば早朝の部屋であるが、普通の電力事情の国であればそのぐらいの薄暗さであれば十分電灯を付けそうな場面であったのに、電気がついてなくて薄暗い。ほかにもエネルギー事情がよくなさそう場面が多々あった。建物の階段から廊下にかけてやはり暗いのに電気がついていない。地下鉄のエスカレーターや電車内が異様に暗い。朝登校後教室の暖房装置の上に手をかざして手を温める様子。トロリーバスを大勢で押して、架線の下にまで持って行く様子。等だ。その他浮浪児か?と思われる子どもも二人ほど映り込んでいた。

 しかし、人間はロボットではないので、どうしても自然な部分が出てしまう。おじいさんの軍人が米軍機を金日成のおかげで打ち落とすことが出来たと言う話を、だらだらとされているときに眠くなってしまってうとうとしたり、あくびをかみ殺している場面などである。そして、最後に主人公の少女が「少年団に入って何を期待する?」と質問されるけれど、答えられなくて涙を流しそうになるが、少年団について教えられた事を答えるのだ。答え終わって涙を流し始める少女に、今度は「好きなことは?」と聞かれるが「よくわかりません。」と答えるそして重ねて「嬉しかったことを思い出して?」と聞かれても答えられないので、「好きな詩はある?」と聞かれるとやっと答えられると思ったのか少年団に入るときに覚えさせられた決意の詩を暗唱するのだった。

 この映画の中で一度もこの少女は笑ったことがなかった。最後の涙はこの撮影をずっと続けるのが辛くて、終わりに近づき緊張がほどけそうになって流した涙のようにも感じられた。

 改めて感じたことは、社会主義・共産主義は小さいころからのイデオロギーの洗脳や管理統制がなければ成り立たないということだ。そしてその管理統制から外れることは「死」を意味するのだ。人の心を管理統制などできるものではない。やはり社会主義・共産主義は不自然で人間にとって不幸な制度であると感じた。自分の人生を自由に生きることが禁じられている制度であるのだ。

 

私事だがフェイスブックの新しい友達

2020-03-18 19:15:07 | 備忘録
滅多にフェイスブックを使わないが、昨日友達申請が来ているお知らせがパソコンにあったので、開いてみた。外国の人のようだった。メッセンジャーでやりとりすると、軍人さんで今は海外の一定程度危険な基地で働いている人だった。
 
15歳の時、交通事故で自分以外の両親と姉を亡くし、5年くらいおじさんと一緒にいたがその方も亡くなり、軍に入ったが、同僚の死にもたくさんあった。2年前に奥さんを亡くして、一人娘が立ち直れるようにと娘は別の国の学校に入れたというなんか家族運が悪くて、寂しそうな人だった。辛い愛した人々の死を思い出させられるから、軍を止めたら本国には戻りたくないそうだ。

私も何やかやですごく寂しさを感じていた時期が合ったので、その方の気持ちはよくわかる。でも、今私はその寂しさということがない。乗り越えられたのだ。だからきっと彼も乗り越えることが出来るはずだ。今葉私は逆に一人が好きなくらいである。