将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

自閉症メーリングリスト

2007年04月04日 | 想い
最近、私の参加している自閉症のメーリングリストに韓国映画「マラソン」についての投稿があった。「子供に自信と誇りをどう教えて行くのか、考えさせられました。」とずいぶん感動しておいでのようだったので、それを学校全体で取り組んでいる所が日本にありますと光の村の事を書いて返信した。

はたして、全く何の反響もなかった。まるでブラックホールだ。他の話題は結構盛り上がるのに、光の村の話題は無反応という事は、どういう事か意味がわからなかった。

小生に当てはめれば、以前書いたように、土佐校の新しいサイトを初めて見た時のような印象を与えてしまったのかとも思う。(もちろん、私の話題の提供の仕方、表現の仕方自体が適切ではなかったのかもしれないが・・・。)

私の場合は、林間学校のような事をさせてみたいと常々思っていたので、たまたまそれに類した事をやってもらえる光の村に興味を持った訳だが、そういう発想が元々自分の方になかったら、「マラソンをして強い体を作る」、云々と学校側からアピールされてもどう感じていたか、今となっては返答に困る・・・。

「うちの子に果たしてできるかどうか。」
「そんな事までする必要性を感じない・・。他にもっとやる事がたくさんある。」
「危ない。もしもの事があったらどうするんだ。」
「マラソンして自閉症が良くなるなんて、どういう根拠で言ってるんだ。」
「本人が好んでするわけでもなく、かわいそうだ。」
「子供は、親の自己満足のための犠牲者だ。」
「赤の他人様に寮生活の面倒までみてもらうのは心苦しいし、安心できない。」
「障害は雨と同じだ。雨を止める事はできないのだから、雨でも生活できるように周りが変わって行くしかないのだ。そのうち雨がやむ事もあるし、それを気長に待つ事も大事なのだ。」

おそらく、こんな事を感じてしまうのではないだろうか。
そうした時、以前見たヘレンケラーの映画「奇跡の人」の一節をまた思い出す。


「どんな方法でヘレンの心をつかむ?」
「知ってます。しつけの悪い山猿ですわ。甘やかすのは哀れみの履き違いです。教えるより同情する方が楽ですものね。6年間も同情しか知らなかった子が哀れです。」
「ヘレンの障害は目や耳ではありません。家族の愛情と哀れみです。この家で言葉を教えても無駄ですわ。昼も夜もともに過ごし、私を頼らせるのです。道はこれしかありません。あなた方がいては駄目です。」
「そう言う弱気の姿勢が一番いけないのよ。降伏は何も生まないわ。」
「服を着たら食べさせます。本人は思案中です。」
「ヘレンは愛情や愛撫を求めていません。」
「あなたが彼女に教えたのは、ただ、『---するな!』という事だけ。理解のない服従は目が見えないのと同じです。」
「地下水が湧くまで忍耐強く待ちます。」

小学校卒業までに、いろんな意味で、当時の自分にできる事は全てやった。それでも、ああだったのだ。あのまま成人になってしまうのだろうと、先が見えた気がした。あの流れをいったん変えないと、将来、親子心中しかないと思った。進むも地獄、退くも地獄なのは百も承知の上で・・・。

そして、人様の手を借りた小学校の宿泊学習では意外にいい子だった、と聞いた。そうか、親が問題なのかも知れないと自ら悟った。そういえば、やたら厳しいか、甘いか、どっちかになってしまいがちだった。先生方のような、理性的な中庸がなかなかとれなかった。

だから、ヘレンケラーのご両親のように、まさにヘレンケラーのように子供を教えてくれる先生方を探した。

そして、秩父で巡り逢えた。そして、1年・・・。

お陰様で、幸いにもここまでは本当に良かった。







追伸(1): 
知的障害児の教育方法がどうしてマラソンなのか、トライアスロンなのか。その疑問はいまだに小生にもある。ただ、他にこれといった、いい方法がないのも事実だろう。あるいは、せめて10㎞マラソン程度にしておいてもいいのではないかとも思う。この教育方法を編み出された西谷先生の、教育方針の変遷自体を開示して戴く事こそがその一番いい回答になると思うのだが、いつか機会が許されればお聞きしたいと思う。

ただ、トライアスロンが目立つし、それを学校として目玉にしていらっしゃるところもあるが、親から見てそれ以上に魅力的なのは、規律正しい寮生活、形から入る生活指導、持久走を通じて培われた忍耐力と工夫する力で作業をやり切る能力を育てて下さる事だ。個性を育てるのは、次の段階でもいいと、将人に関しては思う。


追伸(2):
意味があるか、いい事かどうかは全く別として、親父の得意な腹筋運動、腕立て伏せを将人も一緒にやろうとする事に限りない頼もしさを覚える。また、親父が50回腹筋をやって、「将人はマラソンの後だから30回でいいよ」と言うと、まだ相当きついだろうに、それでもうれしそうにして頑張る。

これは決して強要でも何でもないのだ。こういうのは、男同士の波長だと思う。こういう気持ちの触れ合いを持てる事が限りなく有り難い。自分の体力的限界を極めるようなスポーツ以外で、これが果たして可能なのかどうか、自分には疑問だ。





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3 コメント

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ひとこと・・・・ (土佐の保護者)
2007-04-07 08:14:42
光の村検索でこちらを見つけました。
はじめまして土佐校の保護者です
一言、言わせてくださいませ
学園長先生の素晴らしさは、生徒と一緒に暮し
寝起きを共にし、一緒に行動し、子ども達一緒に食事を作り
仕事を教え、社会的マナーを教え、一緒に体育をして
その子達の持つ内在した可能性の素晴らしさを見出され(気付き)
た事だと思います。

机を挟んでの授業、また日中の時間内だけでは
到底気が付かないものだったと
私はそう理解させて頂いています。
だから、他の全日制の学校に自宅から通わせている方や
全日制の先生たちには、もしかして西谷学園長先生が
されている事には気が付かれない部分があるのではないのか
と光の村に来てから私は気が付いた次第でした。

生徒と寝食を共にし、仕事を一緒にやり、生徒が作った製品を
仕事を終わった後に自転車で何キロ先へも売りに歩かれ
その売り上げで得たお金を教育費として特殊教育の実践を
されて来られたからこそあの教育が創り上げられたのではないでしょうか?
光の村は土佐校が本校なのです。
あの土佐校をそれこそ子ども達と一緒に一から手作りで創られた
とお聞きしました。一輪車で土を運び、コンクリートを流し、
木を運び。生徒と共に建てた校舎から光の村は出発したと
お聞きしましたです。

子ども達は普通の子達のように頭脳を鍛え上げても
その素晴らしさは出てきません、これは息子で体験済みです。
光の村へ入る前は、微分積分ばかり学校でやらせられていました
また、どこまでも理解し解けるので先生もそればかり重視してました
漢字もすぐに覚え、私が書けないような漢字もすぐ覚えます
しかしこの子達は算数が出来、国語が出来、英語が出来ても
就職は出来ません
この子達にはこの子達に適した教育があります。
秩父の保護者さんたちの中にもそれを熟知されていらっしゃる方は
沢山いると信じます。

土佐も秩父も、わが国が誇る素晴らしい特殊教育の先駆者である
西谷英雄学園長先生の教育を受けられる一握りの生徒たちだと
私は思います。人は人、誰が何と言おうが我が子の成長と成果を見ればその正さは歴然としています。
その素晴らしさ、正さをわざわざ言いふらさなければならないとは私は思いません
この教育を見抜ける親であるかどうか、親の資質が問われるだけではないでしょうか

初めてですが、私の思いを書かせていただきました
失礼がありましたらお許し下さい


返信する
光の村を知らない人に、できるだけ客観的に紹介することを目的にしています。 (guangsong)
2007-04-09 18:40:39
こんにちは。コメント、ありがとうございます。

ただ、大変申し訳ありませんが、このブログは光の村を知らない方に光の村を紹介することを唯一の目的にしています。

もっと言えば、光の村と聞いて腰が引けるような方にも、多少興味を持って頂けるようにと書いております。

秩父校を広く紹介し、秩父校の生徒を増やすことは西谷先生のお気持ちそのものでもあります。

もう既に光の村をご存じで、今の状態で完全に満足されているのですから、それを世の中の困っている方にそういう風にご紹介になられたらいいんじゃないかと私は思います。

子供の状態は千差万別で、親も千差万別の思いがございます。

討論する気は全くございません。

ただ誤解しないで頂きたいのは、私は光の村が科学的にみても、いい所に着目した教育で、とってもいいんじゃないかと思っています。

なるべく客観的に、できれば光の村に拒否反応を示すような人にさえご理解いただけるようにしたいと思っています。

麻酔が発見された150年前にも当初同じような事がありました。しかし、本物は広がるはずです。日本中の養護学校が光の村方式になっても不思議じゃないと私は本当に思っています。
返信する
10年後に、あの時、将人の親父がああ言ったのが良かったと思われてるようにしたいです。 (guangsong)
2007-04-09 18:43:12
申し忘れました。

ただ、私のような新参者が長い歴史のある光の村養護学校、それも土佐のように多くの施設を併設した所から遠く離れた関東の秩父校だけを見て、光の村を語ることはどうなのかという思いはございます。

しかしながら、新参者だからこそわかることもあり、特に新入生用には適しているんじゃないかと考えています。

さらに申し上げれば、光の村の上級生、あるいは卒業生の親御さんはどうして情報発信をしてくれないんだと思います。

日本、いや世界の障害児教育の歴史の中で、光の村養護学校はわかる人だけがわかればいいんだという段階はもうとうに過ぎていると小生は感じています。

西谷先生の個人的魅力にばかり頼っていてはご高齢の先生にもむしろ失礼じゃないのかと思います。

光の村は学校法人です。西谷先生を教祖様にした宗教でもなく、マニアックな障害者集団でもありません。

良いところ、改善していただいたらもっと良いことをざっくばらんに申し上げる雰囲気が醸成されてこそ更なる飛躍があると小生は自分勝手に考えます。

ただ、小生の思いとは裏腹に、うざったい、学校の品位を汚す、間違った印象を世間様に与えてしまう、などと言うことが少しでもありましたら、小生は黙ります。

それはこのブログを書き始めるにあたって、秩父校の小峯校長先生にも申し上げております。

5年後、10年後に、あの時、将人の親父があんな事を言ったのが今となっては良かったんだと、みなさんに思われるようになっている事を心から願っています。

乱文乱筆、本当に失礼いたしました。
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