ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

あやめ野小学校から流れてくる家路

2012年08月30日 18時27分19秒 | ペタンク爺さんの一日
家路

響きわたる 鐘の音に
小屋に帰る 羊たち
夕日落ちた ふるさとの
道に立てば なつかしく
ひとつひとつ 思い出の
草よ 花よ 過ぎし日よ
過ぎし日よ


毎日決まって午後5時になると、あやめ野小学校方向から家路の音楽の旋律が流れてくる、ドボールザーク作曲で世界的に知れ渡っている曲、日本では野上彰の作詞が有名で、冒頭の詩である。
学校では、児童たちにもうそろそろ家路に着きなさいと促しているのだろうが、我が家のベランダ外に見える公園では、そんなことなど意に介せず何時もの様に遊びまわっているのが見える、下町なので塾や習い事はしていない環境の子供たちと見える、多分幸せな子供達でないかと思えてならない。

近年は少子化で、子供たちの塾や習い事は一般的には当たり前になって来ている、我が団地界隈の子供達は私の子供時代と変わっていないなと嬉しくも感じる、公園そのものが小規模なのでサッカーやキャッチボールも出来ない広さなので、特に女の子たちの溜まり場になっている、暑さが続いているので決まってアイスやおやつを買い食いしている、おこずかい幾らもらっているのと聞くと、5年生は500円6年生は600円と答えていた。
月に計算すると、かなりの金額になる今時の親は馬車馬にならなければとつい思ってしまう、それでも子育て時代は後になってみれば楽しかったと云える時が来る。

我が家の教育方針は、ウィンタースポーツのアルペンスキーが勉強の前に来た、折しも札幌オリンピックがきっかけとなった事は、間違いない、その頃アマチャーの競技スキークラブは無かった、1971年に親子三人で遠藤スキースクールを結成する、私は38歳、長男:豊英は小学5年生、次男:庄二は小学1年生、その頃は怖いもの知らずだったように思う。・・・・そして私も若かった。
土日祭日は、無論のこと、毎晩ナイタースキーの日々が続いて行った、1975年5年後に藻岩レーシングクラブの誕生になって行った。
クラブ誕生とともに私は、組織運営に徹しサポート役に廻って行った。

折り紙飛行機大会の記録掲示版幼児
折り紙飛行機大会の記録掲示版小学生
遠藤スキーレーシング日誌
遠藤スキーレーシング日誌02



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