ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

山菜日誌

2011年05月07日 14時50分43秒 | ペタンク爺さんの一日
初めて山菜日誌をつけたのは、30年も前に遡るまだ40歳半ば頃で、その頃は円山地域に住んでいたので、ばんけい方面の山には歩いても行けるくらいだった。
日誌を見ると、円山八十八箇所の登山ルートから外れたところでもアイヌネギは採れていた、少し足を延ばしばんけい峠辺りは、コゴメ、ササの子、たらの芽、フキ、ゼンマイ等を採っていた、収穫時の楽しみとフキなどは越冬食料として、食生活を豊にしていたと思う。
日誌も、1979年から1982年迄で春だけで終っている。
無論簡単な文章でつづられているが、正確では無いが参考にはなる、少し間が空いて、その後1997年から2年ほどつづられているが、内容はかなり正確に書かれている、良く見ると今でも参考になる記録と思っている。
その後、日誌は書いていないが、その年の収穫量だけ記録されている。
後半から始まった日誌には、キノコ日誌も記録されている、この頃はアルバイト程度の副収入として、ペタンク関係の支出を支えてきた。

今は、体力の衰えと共に楽しみだけの山菜採り(山遊び)に替わり、人生後半の目的のひとつにもなっている。
今年ほど、季節が遅れている年も滅多に無い、近頃は里山では滅多に見られなくなったカタクリの花を写真に収めようと豊平公園に出向く、街の中の小さなオハシスに早くも常連のお客さん(鴨)が訪れていた、つがいなので間もなく子鴨も生まれ、小さな池も賑やかになる。

街に出たついでにと、さっぽろ駅まで行き初めて地下道を歩く、明日は母の日三越で白いカーネションと丸井で母の好きだったおはぎを買って帰り仏壇にあげる。

豊平公園で

地下歩道にて 公園の花







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