料理の素材を科学する!ってほどでもないけれど

食材や料理についてまとめてみました。
クイズや脳トレもありますよ。

廿日大根

2022年06月02日 | グルメ
【6月3日は何の日】測量の日
   現在の国土交通省国土地理院等が1989年に制定。
   1949年のこの日、「測量法」が公布されたことを記念して制定された。


【前の答】春巻き
Q1,ボクの日はいつでしょうか?
    a,2月6日  b,3月6日  c,4月6日  d,5月6日
     →c,4月=春、6日=ロールという語呂合わせから制定されました。

Q2,ボクの皮は何でできているでしょうか?
    a,米粉  b,小麦粉  c,そば粉  d,葛粉
     →b,生春巻きの皮は、米粉で作られています。

Q3,生ボクを、英語で何というでしょうか?
    a,raw rolls  b,summer rolls  
     →b,春(巻き)の後にやってきたから」という理由だそうです。
      ちょっと、おしゃれな呼び方ですね。



【今日の話】
ボクはヨーロッパ生まれなんだ。
見た目はカブの仲間と思われるかもしれないけれど大根の一品種で、
種を蒔いてから20~30日という短期間で収穫できるのが最大の特徴さ。
その代わり、世界最小の大根なんだけれどね。
根は小さく、形は球形か紡錘形で、一番多い色は赤さ。
日本には明治時代に伝わったんだ。
ボクは栽培期間が短いこと、
広い場所を必要としないこと、
連作障害がないことなどから、
家庭菜園やプランター栽培でも人気なんだよ。
3月中旬~5月の春蒔きは4月中旬~6月に収穫、
9~10月の秋蒔きは10~12月上旬に収穫できるんだ。
みんながイメージとしている赤だけど、
アントシアニンというポリフェノールなんだ。
抗酸化力があるんだよ。
ボクの葉っぱは緑黄色野菜なので、
カロテンやビタミン、ミネラルが豊富なんだ。
ごま和えにすると、とっても美味しくたべられるゾ。

Q1,ボクの生産量日本一はどこでしょうか?
    a,宮崎  b,高知  c,愛知  d,千葉

Q2,ボクの色でないのはどれでしょうか?
    a,黄  b,紫  c,白  d,黒  e,茶  f,灰



【今日のひと言】信頼は一日にしてならず

【今日の脳トレ】


【今週の話】何を思いますか?

ヘレン・ケラーを知っていますか?
ヘレン・ケラーは目・耳・言葉に障害を持つ三重苦でした。
ですから、ものの本質は指先で触れて、感覚で掴むのです。
その認識力は健常者の何倍もあったそうです。
彼女が昭和12年に来日した時に、手作りの和風人形が2体プレゼントされました。
1つは、主催者側の用意したもの。
もう1つが、中村久子が作ったものでした。
主催者側のものはガラスケースに入れられとても美しいのですが、
その人形にヘレン・ケラーが触れると、表側の美しい十二単の下には何もありません。
見えるところだけ重ねられていたそうです。
ところが中村久子の人形は、とても丹念に一枚一枚完璧に作られ、重ねて着せられていました。
帯もひもも本物通りに作られ、着せられていたのです。
もちろん、腰に巻く布もつけられていました。
糸の縫い目もしっかりとしています。
ヘレン・ケラーの指先が人形の足下に行った時、その足に足袋がありませんでした。
それは、完全なミスだったのです。
中村久子には、足がないのです。
実は、中村久子は3歳の時に病気となり、両足は膝から下、両手は肘から先を切断していたのです。
ですから、足袋は履かないので、普段自分に必要がないから、つい人形に足袋を履かせることを忘れてしまったのです。
久子は、明治30(1897)年、現在の岐阜県高山市に生まれました。
「どんなに貧しくても、たとえ親子が餓死しても、不幸なこの子を興行師などの手に渡すものか。
 誰が何と言っても、この子は、俺の手で短い一生を終わらせてやる。」
貧しい畳職人だった父はそう誓ったのですが、久子が7歳の時に病死してしました。
そこで母は、両手両足のない我が娘に、
何か一生食べていけるものを身に付けてやらねば、と考えたのです。
久子に対する躾は目に見えて厳しくなりました。
母は久子に、着物のほどきものを言いつけました。
「どうやってほどくのですか。」
「自分で考えておやりなさい。」
「そんな難しいことできません。」
「やろうと思えばできます。やりなさい。」
どうしても、どんなに工夫しても全然できないので、久子は泣きながら言いました。
「どんなにしてもできません。お母様、許して下さい。」
母は許しませんでした。
「どんなことでも、やらなければならないのが人間なのです。
 できないからと言って何もしなかったら、人間は何もできないままです。
 やらなければならないという気持ちになったら、必ずできます。」
「できません。無理です。」
「できない、というのは横着だからできないのです。
 やるという強い気持ちがあったら、できないことはありません。
 やるのです。」
母は、できないと言う我が子を容赦しませんでした。
やればできますと言い、ハサミと着物を彼女の丸い腕に持たせたのです。
ハサミと格闘する日々が何日か続いたある日、久子の目に針箱の隅にある小さなハサミが目についたのです。
「あのハサミを口にくわえてやれば、留め糸が切れるのではないか・・・」
そう閃いた久子は、ハサミを口にくわえました。
彼女は、何度も何度も留め糸切りに挑戦しました。
そして、やっと留め糸をパチンと切ったのです。
久子は喚声をあげました。
「わあ、切れた・・・」
躍り上がって喜ぶ彼女の頬に、一筋の涙がこぼれました。
「女の子はお針が一番大事じゃでな。
 なんとかして、あんたも針が持てたらええにな。」
母の言葉にふるい立った久子は、毎日工夫を続けました。
針にどうして糸を通すか、どうして運針をするか、
運針のあとの糸の結び玉はどうして結ぶのか・・・。
久子はこれらを一つずつ克服していったのです。
そして、何日もかかってようやく縫い上げた着物は、つばでベトベトに濡れていました。
その着物を手にした祖母は声をつまらせながら、
「おお・・・、縫えた、縫えた。」と涙をふきながら、
つばで濡れた小さな着物を、こたつで丹念にかわかしてくれました。
18歳の頃には、女物の袷なら1日半か2日で仕上げ、
編み物は1日に毛糸8オンスを楽に編めるようになっていました。
人形の着物づくりに自信を持っていた久子は、
ある時、近所の友だちに頼まれて人形の着物を縫いました。
できあがった着物はつばでベトベトに濡れていましたが、
幼友達は「久ちゃんが口で縫った人形の着物や!」と喜んで家に持って帰ったのです。
しかし、そこの家の母親は「こんな汚いものをもらってはいけません!」と言って、
取り上げるやいなや小川の中に人形の着物を投げ捨てたのです。
それを聞いた久子は、『汚い』という言葉が頭から離れませんでした。
そして、『濡れない着物をこしらえてやるぞ!』という発憤につながったのです。
この向上心、すごいですよね。
そして、13年かかって、濡れない着物を完成させました。
後年久子は、「この屈辱こそが宝であった。」と述べています。
ヘレン・ケラーは久子に初めて会った時、彼女を抱きしめると、
「私を世界の人たちは奇跡の人と言うけれど、あなたこそ、真の奇跡の人です。」と言ったそうです。
母親の躾のあまりの厳しさに、感謝の気持ちなど抱いたこともなかった彼女が、
この時、初めて泣いたそうです。
気がつくのが遅すぎたことへの悔し涙でした。
感謝の気持ちを伝えられないままに、すでに母が先立っていたからであり、
恩返しも出来ないことへの情けなさであったといいます。 
最後に、娘の富子の思い出を一つ。
久子は掃除の時も雑巾を抱えて拭いたそうですが、
トイレ掃除の時も雑巾を口で絞っていたそうです。
そして、その絞る力が両手のある人と変わらないほどであったことに富子さん自身も驚かされたそうです。
そして、「手足が無いことは、母にとってはあたりまえのことでした。
強く厳しく生きましたが、とても楽しい人で、優しい人でした。」と話しています。
あなたは、中村久子に、何を感じますか?何を思いますか?
コメント (4)
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