『植物 オヤジ』

日々出会う植物たちの「たくましさ」と「美しさ」を再発見する、ハードボイルド・ボタニカルライフ。音楽、美食なども。

パーフェクト・デザイン

2014年09月11日 | 日記
                

みごとなデザインだ。
葵の紋章にもひけをとらない花びらの形と
何の悩みもなさげな黄色はつり合っている。
「路上のポン・デ・ライオン」
名前が分からないので勝手にそう命名した。


              

東海地方でしか生息していないという小さい白い花。
しらたまほしくさ。
「白玉星草」という。


こちらは群生してこその、みごとなデザインだ。
ときどきここにはハッチョウトンボという世界最小の赤いトンボがやってくる。
(昨日はオフで、近所の植物園へ定点観測に行ったのだ)
2ヶ月ほど前には見かけたが今日はシオカラトンボしか見かけなかった。

植物界はデザインの宝庫だ。
1926年に没したアントニオ・ガウディが手がけた大聖堂は未だに作り続けられている。
彼のデザインはすべて左右対称ではない。
植物をメインにした有機体をモチーフにしているからだ。
生きものだけがもつ不均一性と、なぜか逆に、感じられる全体の統一感。
永遠に完成しない大聖堂。
ガウディが仕組んだ壮大ななぞなぞかもしれない。
変化し続ける過程にこそ答えがあるようにも思えるのだ。

嗚呼、ボタニカル!

いのちのバトン〈草花編〉

2014年09月10日 | 日記
              

川沿いでは夏の花と秋の花が入り交じっていて面白い。
咲き始めたコスモスの奥には朝顔が控えめに咲いている。


              

イタメシ屋の玄関ではローズマリーが咲いてる。
地味だがきれいなブルーで、花の形もいい。


        

河川敷ではカンナがまだまだ咲いている。
イタリアンレッドが鮮やかだ。


                

コスモスの下には曼珠沙華が。
もうお彼岸なのか。
あまり好きな花ではないが季節を確実に知らせてくれる一年時計のようだ。

夏草の甘い匂いの中にも秋風が吹いて、日陰に入るともはや夏ではない。
草花も確実に夏から秋へ移っていく。
皆のいのちのバトン、ちゃんと見届けてやる。

嗚呼、ボタニカル!

花の匂い

2014年09月07日 | 日記



                   

ランの仲間達はいい匂いがする。
におってみていい匂いがするとすごく得をした気分になる。
いつまでもかいでいたいが、自宅ならともかく他所では危険だ。
オヤジが腰をかがめて花に顔を突っ込んで動かないとなると
変人か病気の人になる。
どちらもあまり好ましくない。



                

近所の植物園ではラン科の花がたくさんあり、オンシジュームやらなんやらが花を咲かす。
このキャラメル色した子はすごくいい匂いがした。



              

夏に買って帰ったカトレアもいい匂いがした。
匂いは時間に織り込まれる。
今年の夏は天気が悪かったことだけが記憶になったが
このカトレアの匂いも夏の思い出となった。
匂いは音楽のようにとらえどころがない。
言葉や写真のようにつかまえることができないからこそ、そのときの風景や風の記憶に刻まれるのだろう。
またいつかそれに触れることでしか確かめようがないところに惹かれるのかもしれない。

色と匂いは虫を引き寄せ、鳥を引き寄せ、人を引き寄せる。
静かなる植物のサバイバルだ。

嗚呼、ボタニカル!


一生に一度の花

2014年09月06日 | 日記
                         

リュウゼツランの仲間は多彩だ。
サンセベリア、ポニーテール、アガベ、ユッカ…。
中でも中南米に自生するような奴らは50年や70年は生きて
直径は2メートル超となるようだ。

花は一生に一度といわれており、30年から50年くらい経ってやっと開花するという。
近所の植物園では折しもアガベとリュウゼツランの「乱れ雪」が花を咲かしていた。
「乱れ雪」とは何ともいえない和名だが、名付けた人がたぶん演歌が好きだったのだろう。
乱れ雪は竿のような花茎を3メートルくらい伸ばし小さな花をびっしりつけている。
美しいとは言い難いが凄みはある。
花には蜜がたっぷりとあり、虫や鳥たちに大盤振る舞いだ。



                   

吉祥冠は開花の準備中だ。
花茎は150センチほど。
一日で15センチも伸びるそうだ。
こちらはこんなかわいい花をつけそうだ。
      

一生に一度花をつけると株は枯れて、根元の子株に命をゆずるという。
奴らが花を咲かすということは、そういうことなのだ。
花を咲かせ、世代を交代し、自分は枯れていく。
自分の居場所を譲るのだ。
ふむふむ。

               
うちにも先日アガベの小さいのがやってきた。
こいつの開花に立ち会えるかどうかはわからない。
花を待ち焦がれるような、違うような複雑な想いである。
しかし育てた末に子どもに譲るところも見てみたい。
つらい想いもすることにはなるが。
一生に一度の花とは、いのちそのものである。
花はいのちであったのだ。

嗚呼、ボタニカル!