一生

人生観と死生観

科学と宗教ーひとつの軌跡

2009-02-18 12:01:22 | 哲学
2月18日 晴れ後曇り
 科学と宗教は必ずしも矛盾するものではなく、別々の文化と言うべきであろう。
ここにある一人の人生航路を紹介してみる。ニッポニウムを発見した小川正孝の長男新太郎は東北帝国大学理学部化学教室を卒業後大学院に残り、生化学を専攻した。その後助手として同教室に勤務し、種々の面白いアイデアで注目される成果をあげた。東北大には青森県浅虫に付属の臨海実験所があるが、彼はここでナマコの呼吸回数測定装置を発明して、文部省の記録映画にも映された。この装置は生物学者の昭和天皇も映画で見たようだ。その他微量分析装置の改良をして後々まで使われるものを作ったという。彼は中学時代から目を患い、大学時代は相当不自由になり、その後遂に失明する。彼は大学を退職してアメリカで聖書の研究をする。
 帰国後新太郎は気候温暖な鎌倉に住み、ここで学習塾の先生として小学生たちを指導した。目は見えないが、大変実力もあり、面白い先生として評判になったという。その当時の生徒の一人は後にアメリカのミシガン大学の心理学教授になった。当時のことを回想し、新太郎先生は東西冷戦の行方を聖書の言葉によって予言したが、その通りになったと言っている。苦難の人生を信仰者として明るく生きた人であった。科学は宗教を否定しないし、また本来の宗教は科学を否定して成り立つものでもない。新太郎の生涯はそのひとつの例証であろう。

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