私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

49 牛

2009-01-01 00:48:43 | weblog
新年あけましておめでとうございます。
今年の干支は「牛」で自分の年に当たる。気がつけば私も還暦、古希を過ぎ人生6回目の「牛」年を迎えた。今年も高村光太郎の詩「牛」のように、達者でのろのろと人生の大地にしっかりと足をつけ一歩一歩着実に歩んで行きたい。
牛            高村光太郎
牛はのろのろと歩く 牛は野でも山でも川でも 自分の行きたいところへはまっすぐに行く 牛はただでは飛ばない ただでは躍らない がちりがちりと 牛は砂を掘り土を掘り 石をはねとばし やっぱり牛はのろのろと歩く 牛は急ぐことをしない 牛は力いっぱいに地面を頼って行く 自分を載せている自然の力を信じきって行く ひと足ひと足牛は自分の道を味わって行く ふみ出す足は必然だ うわの空の事でない 是でも非でも 出さないではいられない足を出す牛だ 出したが最後 牛は後へはかえらない 足が地面へめり込んでもかえらない そしてやっぱり牛はのろのろと歩く 牛はがむしゃらではない けれどもかなりがむしゃらだ 邪魔なものは二本の角にひっかける牛は非道をしない 牛はただ為たいことをする 自然に為たくなる事をする牛は判断をしない けれど牛は正直だ 牛は為たくなって為た事に後悔をしない 牛の為たことは牛の自身を強くする それでもやっぱり牛はのろのろと歩く どこまでも歩く 自然を信じ切って 自然に身を任して がちり、がちりと自然につっ込み 食い込んで遅れても 先になっても自分の道を自分で行く雲にものらない 雨をも呼ばない 水の上をも泳がない 堅い大地に蹄をつけて 牛は平凡な大地を行く やくざな架空の地面にだまされない ひとをうらやましいとも思わない 牛は自分の孤独をちゃんと知っている 牛は食べたものを又食べながらじっと淋しさをふんごたえ さらに深くさらに大きい孤独の中に入って行く 牛はもーとないてその時自然に呼びかける 自然はやっぱりもーとこたえる 牛はそれにあやされる そしてやっぱり牛はのろのろと歩く牛は馬鹿に大まかでかなり不器用だ 思い立ってもやるまでが大変だ やはりはじめてもきびきびとは行かない けれども牛は馬鹿に敏感だ 三里先のけだものの声をききわける 最善最美を直覚する 見よ 牛の眼は叡智にかがやく その眼は自然の形と魂とを一緒に見抜く 形のおもちゃを喜ばない 魂の影に魅せられない うるおいのあるやさしい牛の眼 まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼 永遠を日常によび生かす牛の眼 牛の眼は聖者の眼だ 牛は自然をその通りじっと見る見つめる きょろきょろときょろつかない 眼に角も立てない 牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ 外を見ると一緒に内が見え 内を見ると一緒に外が見える これは牛にとっての努力じゃない 牛にとっての当然だ そしてやっぱり牛はのろのろと歩く 牛は随分強情だ けれどむやみとは争わない 争わなければならない時しか争わない ふだんはすべてを聞いている そして自分の仕事をしている 生命をくだいて力を出す 牛の力は強い しかし牛の力は潜力だ 弾機ではない ねじだ 坂に車を引き上げるねじの力だ 牛が邪魔者を突っかけて跳ね飛ばす時は きれ離れのいい手際だが 牛の力はねばりっこい 邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも十本二十本の槍を総身に立てられて よろけながらもつっかける つっかける 牛の力はこうも悲壮だ 牛の力はこうも偉大だ それでもやっぱり牛はのろのろと歩く 何処までも歩く 歩きながら草を食う そして大きな体を肥やす 利口で優しい眼と なつこい舌と かたい爪と 厳粛な二本の角と 愛情に満ちた鳴き声と すばらしい筋肉と正直な涎をもった大きな牛 牛はのろのろと歩く 牛は大地を踏みしめて歩く 牛は平凡な大地を歩く