言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

第47回のうのう能

2015-11-22 | 能・芸能
平成27年11月20日  19時開演  矢来能楽堂

番組
1⃣What’s龍田?   解説:観世喜正
2⃣Mask & Costume
3⃣Let’s Know Noh!

● 仕舞  葛城   観世喜之    地謡:佐久間二郎 河井美紀 中森健之介
● 能『 龍田 』
シテ(巫女&龍田姫):桑田貴志  後見:観世喜正 永島充
ワキ(旅の僧):館田善博  ワキツレ(従僧):則久英志 森常太郎
笛:杉信太朗 大鼓:亀井広忠 小鼓:鳥山直也 太鼓:梶谷英樹
間狂言(所の者):山本則秀
地謡:坂真太郎 小島英明 鈴木啓吾 中森健之介

龍田川 紅葉乱れて渡るめり 渡らば錦 中や絶えなん
龍田川 紅葉葉閉づる薄氷 渡らじそれも 中や絶えなん

諸国を旅する僧が龍田神社に詣でようと川を渡ろうとすると、一人の巫女に呼び止められ、二首の和歌にもあるように川を渡ってはいけないという。参詣したいのなら自分が案内するという巫女に導かれ、龍田明神や境内の宮巡りをする。霜降りの月で枯れ木がある中、一本の紅葉の木が見事にあるのを不審に思った僧が訊ねると、紅葉の木はこの社の神木であり、この明神の御神体は紅葉であるという。そして末社をめぐるうち巫女は、実は自分は龍田姫の化身であると明かして社殿に入ってしまう。龍田姫は日本の秋の神様なのだ。僧たちが参籠していると龍田姫が神々しい姿で現れ、神楽の舞を見せ、夜明けとともに消えるのだった。

大小鼓の前に一畳台に乗った作り物が据えられている。これが龍田姫の社殿。巫女姿の前シテがこの中に入るのだけれど、一畳の半分くらいしかない長方形の箱のような作り物の中で、天冠を頭に頂き、長絹・大口の袴姿に変わる。それも間語りの終わりまでに完璧に完了するのだから着つける後見の役割も重責である。秋の神様というだけあって長絹には金糸・銀糸で豪華な文様があしらわれ、袴に紅葉の図柄が描かれていて見事な装束だった。舞尽くしの中入り後だけれどとても楽しめた。また地謡がまとまりよく盛り上げていてとても良かった。

映画「FOUJITA」

2015-11-19 | 映画 音楽
監督:小栗康平  2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション

映画前半は1920年代のパリが舞台。藤田の絵が売れ始めた頃から始まる。モンパルナスのどこかの場末にある倉庫のような粗末なアトリエで藤田は制作にふける。オカッパ頭に丸メガネ。仲間の集まるカフェにはピカソやモジリアーニなど後になって有名になった画家たちが集い、パーティーやばか騒ぎを繰り返している。パリの街角、夜のパリ。セーヌの濁った水。街角の八百屋、骨董市。カフェでの雑談。いろんな風景が映し出される。映像は絵のように決まってるが、蝋燭の光や淡い室内灯に照らし出された顔が暗闇に近い背景にボンヤリ浮かんでるようなシーンが多い。それだけに時々映し出される明るい光に満たされたパリの風景が美しい。藤田の出来事が脈絡もなく、断片的に展開されてゆく 。渋く重い感じのテーマ音楽、鋭いトリの声、硬い靴音、能の囃子・・・いろいろな効果音を背景に喜怒哀楽を感じない役者たちの台詞まわし。観ていて伝わってくるものがあまり無い。そして突然にという風に後半の1940年代の日本に舞台は変わる。

藤田は画壇のトップにいて、日本軍から先生と呼ばれ国威発揚のため大作の戦争画を描く。作画のシーンは殆ど無く、完成された絵を効果的に画面に挿入している。みずみずしい日本の山々。黎明の雲間に浮き上がる山々の連なり。いくつもの棚田が鉛色の光に照らされ藤田が畦道を歩く。樹齢が知れない巨大な古木に素朴な供物。農村の風景そして赤紙が来て招集される若者の母の苦しみ。果ては言い伝えの狐が、たくさんCGで挿入されたりして、断片的に映画は作られている。藤田の・・というより監督の心象を映像化してるのかもしれない。

そしてエピローグ。フランスの寒村に建つ礼拝堂。余すところなく映し出される。その佇まい。壁画、祭壇の絵。華麗なステンドグラス。天井のフレスコ画。すべて藤田の遺作なのだ。

映画を観ても藤田嗣治のことはさっぱり分からない。この映画は藤田の作品をバックに、日本とフランスを背景にした、大人の絵本のような作品かもしれない。数千点にも残る藤田の遺作があるという。しかし自分が知る絵はほんとに限定的なもののように思う。ある意味、藤田は戦争の犠牲者ともおもえるし、それは日本人に彼の作品が意図的に目に触れないように仕向けられていたのかもしれない。彼の絵はもっと日本人に評価されるべきなのだ。

観世九皐会十一月定例会

2015-11-11 | 能・芸能
11月8日   午後1時始      矢来能楽堂 於

番組

● 能 『 井筒 』
           シテ:遠藤喜久  ワキ:則久英志   間:山本則重    後見:長山禮三郎 遠藤和久
            笛:一噌庸二 小鼓:幸清次郎 大鼓:佃良勝
           地謡:小島英明 坂真太郎 桑田貴志 中森健之介 鈴木啓吾 駒瀬直也 中所宜夫 永島充
●  狂言  『伯母ヶ酒』

            シテ:山本則俊  アド:若松隆    後見:山本修三郎

●  仕舞
         ・経正  佐久間二郎 

         ・玉鬘  奥川恒治

         ・三笑  観世喜之 長山禮三郎 永島忠侈

                  地謡: 坂真太郎 五木田三郎 弘田裕一 河井美紀
●  能 『春日龍神』
         シテ:観世喜正  ワキ:殿田謙吉   ワキツレ:御厨誠吾  梅村昌功
                  間:山本則重  後見:弘田裕一  永島忠侈
          笛:熊本俊太郎 小鼓:住駒充彦  大鼓:小寺佐七  太鼓:高野彰
          地謡:佐久間二郎 桑田貴志 高橋康子 新井麻衣子 遠藤喜久 中森貫太 奥川恒治 永島充

『井筒』 正面にススキがセットされている。ススキは今が見ごろだ。青々とした茎・細長くしなやかに伸びた葉。ススキの穂は開いて丁度良いくらいに穂が垂れ下がり、照明に照らされ、くすんだ黄金色に光っていた。余ったのであろうススキは能楽堂の外で、花瓶のようなのに差し込まれて雨に濡れていた。今回は見所から見て右手に置かれていた。ワキ僧の名ノリは下掛宝生。なんだかピンとこない。ところでお調べのときから気になってたのだけど、哀しい物語にしては、お囃子も、名ノリもどこか陽気な音色に感じた。シテは終始物静かに有常の娘を演ずるが詞章聞き取りにくい。間はメリハリ良く語っていた。もう少し情緒があっても良かったかなと思う。

『伯母ヶ酒』 面白かった。シテもアドも熱演。アドは少し張り切りすぎたか声が割れてる感じで聞き取りにくかったところもあった。シテは歯切れよく物語を展開していった。酒売りの伯母に一度も酒を振舞われたことのないシテ。一計を思い付き、鬼に化けて伯母を脅かし、酒蔵に入り込み、大酒を飲み酔いつぶれて寝てしまう。このあたりを流れるように演ずる。酔いを演ずるのも無理を感じない。酒を飲むところを絶対見るなと厳命してはいても酔いには勝てずブツブツと鬼はつぶやくようにしてぐっすりと寝てしまう。静かになった酒蔵を覗いた伯母は、鬼の面を膝にかけて眠りこけているシテを見つけ、悔しがる伯母。ドタバタの退場だった。

『春日龍神』 唐・天竺に渡り霊地・仏跡を巡り、修行を深めようとする明恵上人(ワキ)は、渡航を前に挨拶のため南都に下り、春日明神へ詣でる。そこで宮守の翁(前シテ)が現れ、釈迦入滅した後、ここ春日山は、釈迦が法華経などを説法した山に相当するので、渡航するまでもないことを告げた。上人は渡海を思い止まる。シテもワキも悠然という風で、聴いていて心地よかった。中入り後、宮守の言った通り、龍神(後シテ)が現れ、三笠山に五天竺を移し、釈迦の誕生から入滅の様子を見せる。龍神は颯爽とキレよく軽快に舞上げ、とても面白く楽しめた。

映画「シーヴァス」

2015-11-05 | 映画 音楽
原題「SIVAS]  2014年トルコ・ドイツ合作映画 97分 監督・脚本:カアン・ミュジデジ

シーヴァスとは闘犬につけた名前。実際の犬種はカンガール犬というのだそうだ。主人公の11歳の少年にとって畳一畳くらいの大きさの犬だ。獰猛な顔つきをしている。それだけに寝ている顔はユーモラスである。大の大人二人がかりでも引きずられるくらい力強い。こういう犬が何匹も集まる。そして2匹ずつ激しくぶつかり、咬みあいどちらか逃げるか、死ぬまで闘う。それは闘牛と同じ、ショウだ。準主人公のシーヴァスは、勝負に負けて、半死半生になり、飼い主に捨てらてしまう。主人公の11歳の少年はこの犬を助け、家族の反対を振り切って飼い始める。少年の願いは再び闘って勝利し、どの犬より強い犬であって欲しいことだ。再起をかけて、いろいろ困難な環境を乗り越えて訓練し、闘いに望むのか・・と思ったがそういうストーリーはないのだ。学校のこと、友達のこと、イスラムの祈り、家畜の老馬の放逐等など延々と脈絡もなく場面が変わる。トラクターや車のエンジンの音、いろいろな効果音がうるさくて人の声がよく聞こえない。トルコのどこかで撮影したのだろうけれど、荒涼とした原野を背景に展開されるストーリーらしき展開に、詩情のようなものは殆どなく、たんたんとショットが映し出される。そして唐突にというかんじでシーヴァスは復帰戦に挑む。そこでガッチリと闘う様子を映し出してくれるのかと思うけれど、そうではなく、観客の背中や肩越しにチラリと見せ、獰猛な犬の声のみが館内に響き、やがてシーヴァスは勝利する。最強の闘犬となったシーヴァスを売るのだというようなことをチラッと大人が言うのを主人公は怪訝そうに見やるショットがあるのだがやがて映画は終了。犬の「ロッキー」版を期待してたのに、なんだかよくわからない映画だった。

映画「氷の花火 山口小夜子」

2015-11-03 | 映画 音楽
2015年 日本 97分 「氷の花火 山口小夜子」製作委員会

監督:松本貴子 出演:山口小夜子 他

満員。通路まで座布団敷いてたり、後列には立ち見が多数居た。山口小夜子は2007年の夏に、肺炎で57年の生涯を閉じた。この映画は、彼女と交友のあった監督の強い願いで完成したファッションドキュメンタリー映画だ。
山口小夜子の私有物は、処分されずに段ボール箱に詰め込まれ保存されてるらしい。それを監督は「・・遺留品を深呼吸させたい・・・」といって関係者を説得し、開封し、国の内外を問わず多くの協力を得て映像にまとめたのだ。艶のある黒髪、まつげにかかるくらいのオカッパ、切れ長で細く冷たく見つめる目、真っ赤な椿色した唇、白磁のような肌色、長い手足・・・1970年代頃から活躍し始め資生堂のポスターや雑誌に出てくる彼女の写真を見るたび、日本人にもこんな女性がいるんだと思ったものだ。映画にも出ていたけど、今の高校生には殆ど知られていないようだ。世界のトップモデルとしてパリやNYで活躍してたと思っていたけれど、いつの間にか世間から消えていったなーと思っていた。しかし、年を重ねるにつれ表現者としての道を歩んでいたのだった。公式サイトには、「映画、演劇、ダンスパフォーマンス、衣装デザインといった多彩なジャンルに進出し、常に時代の最先端に居続ける努力を惜しみなく続け、表現者として妥協を許さなかった彼女は、どこを目指していたのか。」とある。彼女が肺炎で亡くなったときも、彼女の関係するいくつかのプロジェクトがあったのだから本当に残念に思う。このあたりも映画に出てくるが、やはり手始めとなる山海塾との創作ダンスは一寸ショックだった。でもここでの体験、手足はもちろん全身をとおして表現することへの挑戦は、確実にいくばくかの実りを彼女の体内に蓄積されたようだ。後年再びパリコレの舞台を踏んだ彼女は、ただ単に歩くというだけではなく、華麗なダンスをしていたように思える。監督はじめ彼女を慕うスタッフは今を生きる女優、松島花に山口の衣装を着せ、生前彼女をメーキャップした人たちの技で、山口の再現を試みる。主に写真製作に挑むのだが、ほんとに生身の山口が現われたような素晴らしい映像だった。



・・・服が自然にどこかへ連れってくれるんですね。
「こういうふうに足を出したらいいよ」とか「こういうふうに手を持ってゆくと、この服がこう見えるよ」っていうふうに・・・・