言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

第31回のうのう能

2012-09-15 | 能・芸能
9月14日(金) 19:00~21:30  矢来能楽堂於
・番組
《Whats's 瀧田》   解説 観世喜正

《Make & Costume》

《仕舞》 「葛城」  観世喜之

《 能 》 「龍田」   シテ 観世喜正   ワキ 殿田謙吉

龍田川に漂う紅葉を乱して川を渡ってはいけないという呼びかけに始まる舞台。何故と問い返す僧。古い歌を引き合いに戒める巫女。実は瀧田大社の神霊、龍田姫。
中入り後、華やかな衣装をまとい、天冠をかぶり幣を手に持ち、大社のご神体という紅葉を敬うため、神楽を舞い、さらに神舞を舞う。華やかで楽しい能だった。

東京能楽囃子科協議会

2012-09-13 | 能・芸能
九月夜能   平成24年9月12日 17:30~20;30 国立能楽堂於
・番組

《舞囃子》
1.宝生流 「松尾」 山内崇生
2.宝生流 「七騎落」 小林与志郎
3.観世流 「東岸居士」 観世喜正

《狂言》
1.和泉流 「酢薑」  シテ 野村萬   アド 野村扇丞

《 能 》
1.観世流 「砧 梓之出」
     シテ  観世喜之    ツレ 坂 真太郎
     ワキ  宝生 閑

大曲「砧」。地べたを這うような深刻な能。愛する夫の帰郷を待ちわびて、待ちわびて、待ち切れず、砧を打つ音がかき消えるように地獄へ落ちる。やっと帰郷した夫は、亡霊となった妻と夢の中で会い、妻の恨みつらみを聴く。が、法華経の功徳によって成仏してゆく。 七〇〇年もの昔、遠く離れた異郷にいる人間がどうなってるのかは闇の中なのだ。愛するが故に日々の寂しさを募らせてゆくシテ(妻)が何を想い、狂わんばかりに死んでいったということも当時はあったのかもしれない。  この曲はシテの台詞と地謡の謡をジックリ聴くとジワっとしたものを感ずるかもしれないのだけど、雰囲気は良いものの善之師の台詞が今一つ聞き取りにくかったのが残念だった。

絵描き小僧展

2012-09-09 | 所感折節
ビートたけしの展覧会に行ってきた。とってもモダンな東京オペラシティーにあるアートギャラリーでやっていた。約80展余り。大半がキャンバスに描いたものだけれど、何点かは創り物もある。なんでこんな絵を始めたのか。『おいらが、なぜ突然絵をはじめたかっていうと、「HANA-BI」の撮影に入る前に絵コンテを描いてみたんだ。だけどいくら自分のイメージを描いても、現実には制約が多くてそのまんまは撮れっこない。無駄だと思ってやめたんだけど、せっかくだから、色をつけてみようかって。そこからはじまって、勝手に描いていたら絵がだんだんギャグになってきて、止まんなくなった。くだらないアイディアがどんどん出てきて、自分でも「しょうがねえな」と笑っちゃうよ。』と。『絵といってもしょせん「便所の落書き」だから、画家宣言なんてする気はないよ。』と言ってるけれど、カルティエ現代美術財団がサポートして、パリで好評を博したというから、もう立派な現代アーティストの一人と言うことなんだろう。しかし作品のバカバカしさ、くだらなさには、文句なく笑ってしまうのだ。「くだらねー、なにこれ」とか「バカバカしい。よくこんなもの、恥も外聞もなく出してくるもんだ」と思いながらもけっこう楽しいのだ。非常識を観る人に提示することでアートになるというか。誰でも創れそうだけど、ありきたりだったり、インパクトなかったり・・・それなりの才能がないとギョッとするような製作とはならないのだろう。
この展覧会を観に行くきっかけとなったのは、テレビでやってた「アキレスと亀」を視てほんとに笑ってしまったからだ。これまでも北野監督作品には絵が出てたけど、この映画は絵描きをテーマにしただけに、いろいろ試行錯誤する様を描いて面白かった。役の画商が「なにこれ!こんなの・・・」と酷評されながら飽くことなく夫婦して珍作に取り組む様子は、見せてくれる。 しかし北野監督の映画は、どことなく透明なペーソス感がある。モダンということではない。ゴテゴテした作品でも一寸離れてみると、日本の山とか川とかから感ずる淡白さを感ずる。日本人の感性と言うことかもしれない。あの淀川長治が、北野監督初期の作品を称して「なかなかいいものを持った人です」と言っていたけれど、本人の動機というのも、曰く『映画を撮ろうとしたのも別に転機ってほど大げさなもんじゃなかった。おいらは映画もテレビドラマも一緒だと思っていたからね。ただ、日本映画は甘いな、とは思っていた。もうちょっと感覚が違って、もっとおもしろくできるんじゃないか、とね。そういう感覚は漫才をやってるころからあったんで、いずれチャンスがあれば映画を撮らしてくれないかなと思ってたんだよ。』と。
ビートたけしの絵や映画からは、一期一会的な虚しさみたいなものを感じてしまう。

生きる思い

2012-09-08 | 語録
オーストラリアでリハビリ中に思ったこと・・・

『おいらが川の流れに浮いてるゴミだとしたら、河原から出っ張っている草に引っ掛かって、そこで停滞して腐っていくだけは御免だからね。
ゴミはゴミなりに、やっぱりそこを振り切って、また流れて行くんだという気概があるもんだ。』

   ビートたけし 「たけしの死ぬための生き方」