言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

喜正の会

2008-06-21 | 能・芸能
第六回 喜正の会 : 国立能楽堂
番組
狂言 『吹取』  何某 野村萬斎
            男 深田博治
            女 高野和憲
仕舞
   『道明寺』  坂井音重
   『雨之段』  観世喜之

能  『清経』  平清経  観世喜正
             妻  坂 真太郎
        淡津三郎   殿田謙吉

   大鼓:亀井広忠 小鼓:久田舜一郎
   笛 : 一噌隆之


狂言師が笛を吹くのを初めて観た。今回は萬斎先生が
笛を吹いた。笛の音に、なんとなくおかしみを感じたのは
狂言師だからだろうか。シテは「男」役のはずなのだけど、
萬斎先生は笛を吹きたかったのかもしれない。
能「清経」は初見だったけど、これも仕掛けがあった。
冥界から清経が現れる場面で、揚幕が半分しか上がらずに
閉じたり、上がって登場しても笛方との掛け合いで、橋掛り
で随分と時間をかける。だれも物言わず、楽器も鳴らず、
観客も静まり返ってしまうそんな場面が何度かある。
そうして清経の亡霊はやっと現世に立ち現われてくるのだ。
本舞台にたどり着くまでにけっこう寝ている観客がいた。
いつものことらしい。しかし清経の妻を演る能楽師は
殆ど片ひざ立に終始する。とてもできませんね~。
キリの舞でやっと修羅能らしさを感じた。


ヴラマンク展

2008-06-12 | 所感折節
ポスターのわかりやすい輪郭線と
色彩に魅かれた。これらの絵は1910年
までの作品らしいが、当時はサロンには
受けなかったようだ。「6歳の子供が描いた
ような風景画や人物画 云々」とある。
そのあと絵の印象は変わってゆくのだけれど、
やはりこの年代の作品は自分には共感する。
1876年生まれとあるから30歳前後と
いうことになる。それまでヴァイオリニスト、
競輪選手、小説家などと多才に恵まれ、その
感性で、勢いで描いたような絵だと思う。
ヴラマンク独自の画風は1920年代以降に
確立されたとあるけれど、ちょっと暗いの
ではないか。明るく明快なのがいい。

      損保ジャパン東郷青児美術館

横浜狂言堂

2008-06-08 | 能・芸能
横浜能楽堂普及公演 狂言の日

お話 高野和憲

狂言「昆布売」
   シテ(昆布売り)石田幸雄
   アド(何某)   野村万作

狂言「貰聟」
   シテ(舅)   野村万之介
   アド(妻)  竹山悠樹
   小アド(夫)  深田博治

今日は良かった。
やかましくもなく、騒々しくもなく
「美しく」「面白く」「おかしく」
と日頃万作先生が言われていることが
何となく感じるお芝居だった。
枯れた染井能舞台が華麗に見えたし、
舞台で演じる狂言師はみんな舞台に
溶け込むように合っていたし、セリフ回し
も妙に力んだところなど無く、ここぞという
ところではバシッと決めてくるし、
良かったなー。


坂東玉三郎(Ⅱ)

2008-06-05 | 語録
・男性が女性を演じるというのは?

やっぱり作り物だと思いますね。
例えば音符ってありますよね。
音符って紙に書いたオタマジャクシが
上り下りでしょ。それを楽器で弾くこと
によって、春を感じたり秋を感じたり
せせこましい時間を感じたりゆったりした、
あるいは空気を感じたりする。
そのように女形も、音符のように
今みたいな形を1個づつこう連ねていって、
もちろんセリフもお化粧も連ねていって、
全部すると春とか秋とか、風を感じるように
ある種の女を感じる・・・
そういうもんなんですよ。女形って。

・理想の踊りってどういうものなんですか?

極論ですけど、見ている人も踊っている人も、
踊っていた時間というのを忘れる時間と
思います。それでなにかニュアンスとか
魂とか、なにか一瞬の喜びとか、そういうもの
だけがサッと飛来して、何だったんだろうなって
思えたらいいかなと・・・

     NHK「プロフェショナル」