言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
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その他勝手な思いを日記代わりに。

関寺小町・三山

2010-04-25 | 能・芸能
観世九皐会百周年記念特別公演
 先代二世観世喜之三十三回忌追善  国立能楽堂於

 番組

 ・仕舞
     『敦盛』     観世敦夫
     『松風』     永島忠
     『隅田川』    梅若靖記
     『山姥』キリ   梅若紀長
 ・能 
     『三 山』
           シテ:観世喜正 ツレ:長沼範夫 
           ワキ:森 常好 ワキツレ:館田善博 森常太郎 間:山本則重
 ・狂言
     『泣尼』
           シテ:山本東次郎 アド:山本則孝 山本泰太郎
 ・仕舞
     『白楽天』   山階彌右衛門
     『藤戸』    梅若万三郎
     『西行櫻』   梅若玄祥
     『船辦慶』   観世芳伸
 ・一調
     『誓願寺』   観世清和  観世元伯
 ・能
    『関寺小町』
           シテ:観世喜之 子方:梅若志長
           ワキ:宝生 閑 ワキツレ:工藤和哉 御厨誠吾 大日方寛
           後見:観世清和 梅若万三郎 観世喜正
           大鼓:安福建雄 小鼓:幸清次郎 笛:一噌庸二
           地謡:梅若玄祥 遠藤喜久 奥川恒治 山崎正道
              中所宣夫 弘田裕一 梅若晋矢 五木田三郎

『関寺小町』は能楽師のなかにあっては滅多には演じられる事がない曲ということで楽しみにしていた。演能されない理由は、老女ものとして大切に対応しているので、表現するには演者がそれ相応の年齢でなければいけないという暗黙の物理的な条件がある上に、狭い作り物の中に1時間近くも留まっていたり、百歳ともいうかっての貴人、小野小町の人となりを連想させる身のこなしを演じなければならないということで、相当の覚悟が必要だからだろう。今回喜之師が決心したのは、75歳で他界した父への追善、自身75歳になった事、また流儀のお偉方の協力を得られたからと挨拶文に記載されていた。また明治維新後この曲を演じた能楽師の中に観世姓はいず、もちろん矢来観世家では初めての演者となったとのことが書かれていた。それだけこの演能は記念すべき事だったのだ。皆、長袴を佩いていた。
藁屋が運び込まれやがて始まる。老いの物語を思わせる掠れ切った笛で始まった。関寺の住職が稚児を連れて登場し「待ち得て今ぞ秋に逢ふ」と謡いだす。これは現在能、幽霊の物語ではない。僧たちは稚児を伴い、藁屋の老女に会いにゆく。藁屋に着くと老女は「朝に一鉢を得ざれども」と謡い始める。そして寂びさびと詠嘆し「あら来し方恋しや」と結ぶ。艶のあるよく通る声だ。静かになってゆく見所の気配。しだいに物語の中に引き込まれてゆく。僧は「歌詠むべき様を」教えて欲しいと言い、老女は「心を種として言葉の花色香に染まればなどかその風を得ざらん」と返す。そしてひとしきり和歌に関するやり取りをし、僧は老女が小野小町と気づく。「げにやつつめども」から「弱り行く果てぞ悲しき」あたりまで地謡と老女とのやりとり。地謡は良く調和して丁寧に謡われていた。うとうととするくらいだ。と稚児の「いかに申し候」と溌剌と発声。老女も共に七夕の祭りに行こうと誘い出す。稚児に誘われ関寺に藁屋を出る老女。関寺での華やかな稚児の舞。それを見つめる老女。やがて老女はかっての五節の舞を思い出し、百歳の自分も舞いたくなり、序の舞を舞い始まる。杖をつき扇を手によろよろと、でも気高く舞う。ゆったりとした扇さばき。みごとな老女ぶり。やがて疲れてシテ柱あたりで崩れるように休み、そしてまた舞う。この老女の舞い切ってみたいという願い、執心。「百年は花に宿りし胡蝶の舞」と老女が謡い「あはれなりあはれなり老木の花の枝」と地謡が引き取り「告げ渡る東雲のあさまにもならば」と謡う。そして年甲斐もなく舞った老女は「羽束師の森の」と謡い杖にすがってよろよろと再び我が藁屋へと戻るのだ。物語はこれまででこの後、稚児とワキ僧たちの退場。老女は藁屋を出、杖をつきよろよろと幕に消える。舞台に誰もいなくなるまでの長丁場だったけれど、見ごたえありました。名演。枯れ切った熱演。 よかった。
  

第50回 野村狂言座

2010-04-16 | 能・芸能
番組
・『梟山伏』
   山伏:高野和憲   兄:中村修一   弟:野村野村遼太

・『長光』
   すっぱ:野村万之介  田舎者:月崎晴夫  目代:野村万作

・『塗師平六』
   塗師平六:野村万作  師匠:野村万之介  妻:野村萬斎

・ 男舞
      笛:栗林祐輔  大鼓:柿原弘和  小鼓:森澤勇司

・『二人袴』
   聟:野村裕基 舅:石田幸雄 太郎冠者:竹山悠樹 親:野村萬斎

寒い日だった。都心にも雪が降った。44年ぶりとのことだ。開演時間の頃、外は冷たい雨が降っていて見所も定めし寒かろうと思っていたけれど、思いのほか暖かく、半袖でもよいくらいの温度になっていた。少し暑い位だったが能楽堂の配慮が嬉しい。
今回もよく上演される演目や目新しい演目を含め、見どころ満載だった。『梟山伏』は梟の巣に悪さをした男に、梟が取り憑いた狂言。取り憑かれた様を体現してゆくのだけど、声も含めかなり大胆・おおらかに表現していて面白かった。山伏の祈祷は全く効かなかったのだけど物語としてはなにか途中という感じがした。『長光』備前の刀工長光の刀を横取りしようとひと騒ぎする狂言。『茶壷』と似たような展開だが左右小拍子が無かったり目代がせしめると言うのでなく、盗人だというのが見破られていろいろと言い繕うところが面白かった。万之介先生の枯れた演技が良かった。『塗師平六』久々の兄弟親子共演。萬斎先生の妻とか女の演技はいつもいいなと思う。こ日は謡・舞は無かったけど悪女?ぶりを好演してました。後半、幽霊にさせられた平六を演じた万作先生が、能の亡霊の装いで橋懸りから現れお囃子も入ってちょっとした能舞台だった。ひとしきりその亡霊の舞台となるのだけれど、それでこの演目は終わりとなり、ちょっと物足りない感じは残った。『二人袴』裕基君の聟役。裕基君に合った衣装・長袴が若々しくも春らしくて良かった。それにしても短くはない物語の台詞を良く自分の物にしているなと感心した。ベテランの狂言師たちが裕基君を優しく盛りたてているという風で、ほのぼのとした舞台だった。「花の袖」「宇治の晒」「七つ子」だったかな、親子で舞ったのは。面白かった。合間に「男舞」があった。今回の男舞は良かった・・というよりもスゲーよく鳴る笛だなとびっくりした。始めから終りまで見所の隅々のゴミまで落としてしまうのではないかというくらい鳴った。大鼓・小鼓が笛に彩りを添えてるというふうで、これで舞囃子を観てみたいものだと思った。終演は8時半の予定とあったが、9時は尤うに過ぎていた。外はまだ冷たい雨が降っていた。