原題 : Silence 製作年 : 2016 製作国 : アメリカ 上映時間 : 162分
監督 : マーチン・スコセッシ
「沈黙」・・ 神の沈黙・・ イエスキリストの沈黙。 キリスト教徒遠藤周作の小説「沈黙」の映画化。
日本におけるイエスの沈黙は、例えば江戸時代初期の頃の切支丹弾圧政策の頃にあったであろうと、遠藤は小説化する。
幕府によって捕らえられた隠れキリシタンたち。迫害され拷問されて、「神がいるのなら、現れて助けてもらえ」と迫る役人たちに、ますます信徒達は信心にかたくなになってゆく。ここにすでに神の沈黙は現れている。ポルトガルの宣教師。 危険を冒し日本に潜入した神父は捕らえられ棄教させられたと聞き、信じられない思いの教え子たちの神父は、真実を求め、受難の日本の信者たちの心の支えとなるべく硬い決意をもって日本に潜入する。しかしやがて捕らえられてしまう。日本の役人は神父に言う「心に干渉するな」と。信徒達を死の苦しみから救い出せるのは神父たちの棄教だと迫る役人。神は、神父たちの目の前の惨劇に対し、救済の兆しさえ現わそうとしない。神を信じ 神の代理としての使命を帯びている神父なのに、何も霊験顕たかなことはできない。ついにある神父は拷問による死に瀕した信徒とともに死に、ある神父は、神は何故沈黙してるのかと問いつめ、苦悩する。そしてやがて弟子の神父も棄教する。神のしもべから幕府のしもべになり、日本名を与えられ幕府に貢献する。布教という崇高な使命が失われ、日本の政事に飲み込まれてしまう。およそ信仰というのは恐ろしいと思う。人間の思考の最奥に焼き込まれた言葉や映像は人間の五感を超越するものなのか。しかしあの頃から400年あまり経過した日本をおもうとつくづく平和だなと思う。信仰の自由が保障されている。教える側も法律で守られている。「日本は沼のようなところだ」と映画で神父が言っていたが、その体質は今でもそうなのではないのか。日本では仏教ですら、大部分の仏教徒達にとっては単なる方便、宗教という衣装を纏っているだけではないのか・・と思う。でもそれ でよいのかもしれない。だから平和なのかもしれない。
アメリカ人たちによる日本の風土を映画化した作品というとになるが、時代を想像した当時の日本の風景、衣食住、武士・僧侶や農魚民たちに対する感性のちがいのようなものを感じる。奴隷のごとく異様に従順な民、どこかなよなよした上級武士、大げさな俳優たちの表現・・・しかし役者たちは熱演してる。なんとなく、その日本人役者たちの熱演が、日本人にあまり評価されないのではないのかと思う。映画「ミッション」というのがあった。終始、背景に流れる音楽がいまでも印象に残る。「沈黙」に音楽はあるけど、ほとんどないに等しい。エンドロールも無音で、長々とただ文字の羅列が流され終わる。このような終わり方の映画も珍しい。だからかもしれないが、見終わって 「なんだかな~」という感じなのだ。