見学の順路に沿ったおおざっぱな好文亭紹介です。
①全体
天保13年(1842)に徳川斉昭によって建築された好文亭は、昭和20年の戦災で焼失し、現在の建物は昭和33年に復元されたものだそうです。ところが昭和44年に落雷により、再び奥殿と太鼓廊下が焼失し、昭和47年に復元されたそうです。左が奥殿で、右が展望室・楽寿楼のある二層三階楼です。料金所を入ってすぐあたりからの写真です。
②奥殿
10室があり、内3室(屋根はこけら葺き、7室の古い部分は茅葺き(かやぶき))は、柵町(さくまち)にあった中御殿の一部を明治2年に移築したものだそうです。各部屋には植物名等がつけられ、古い部分にある松の間は江戸時代、藩主夫人の休息所、新しい部分にある梅の間は明治はじめに徳川斉昭夫人の居室だったそうです。部屋の襖(ふすま)には部屋名にふさわしい絵が描かれています。写真手前が茅葺きの古い部分、奥がこけら葺きの新しい部分です。
③太鼓廊下と華灯口(かとうぐち)
奥殿とお三階は太鼓廊下で結ばれ、お三階の入口は華灯口になっています。写真は華灯口で、戻ると太鼓橋形の太鼓廊下があります。
④お三階1階
東塗縁 高齢者を慰安した養老会がここで開かれたそうです。部屋からの景色は、千波湖などが借景となっていてみごとです。庭側に蝦蟇石(がまいし)という大きな沓脱石があります。
藩主の間 両側にある東西の広縁の一部は透かして見える網代戸になっていて、部屋の様子が見えるようになっています。床の間にあたる場所には竹が立てられていて、簡素な作りです。
西塗縁 漢詩を作るときの参考になる漢字表が杉戸に書かれています。
何陋庵(かろうあん)と対古軒(たいこけん) 何陋庵という茶室と、茶室に部屋内から向かうときに待合として使われたりした対古軒という部屋があります。写真は藩主の間(左)前から東塗縁方向を撮ったものです。
⑤お三階2階(中2階) 武者控室
3畳の小さな部屋で、これが2階ということのようです。写真では、急な階段の奥が武者控室で、階段を上ると楽寿楼に至ります。
⑥お三階3階 楽寿楼
屋根はこけら葺きです。床柱は薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)から送られた薩摩竹だそうです。部屋の丸い窓枠は、陣太鼓の残り材で作られたそうです。今でも、ここからの眺めは大変楽しめますので、江戸時代には最高の眺めだったことでしょう。写真は丸い窓枠越しに見た眺めです。好文亭では、斉昭による色々なアイディアが見られ、これも楽しみの一つです。
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